N.Y.ニッチ-July 15, 2015
日本人監督による初の英語ドキュメンタリー「クジラ映画」が制作企画され、クラウド・ファンディング中です!
これは太地を中心にイルカ/クジラ漁をめぐる国際論争をテーマにした長編ドキュメンタリー映画。
監督は、アート収集家夫妻のドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー」で話題となった佐々木芽生(めぐみ)監督。
その彼女がなぜ捕鯨をテーマにして映画を撮る気になったのか?
それは和歌山県太地のイルカ漁を批判的に描いた「ザ・コーヴ」が引き金になったと言います。
「非常によく出来ている映画だと思いました。だからこそ一方的な見解ではなくて、漁師の側の声や歴史や文化も届けなくては、と思ったんです」 と佐々木監督。
「ザ・コーヴ」は2009年度のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞して、全世界に「太地」の名を知らしめ、イルカの血に染まった湾のようすが衝撃を与えました。
佐々木監督が2010年に太地に行ってみたところ、そこで目にしたのは、海外の環境活動家と地元漁師たちとの一触即発の緊張関係、町役場や漁業組合、小学校にまで届く大量の脅迫状。そして深まる対立と憎しみだったといいます。
「日本人監督として世界へ向けて発信しないと、この状況はエスカレートする一方ではないか。そう思って映画をつくることにしました。
この映画では、捕鯨賛成派、反対派、両方の声に耳を傾け、歴史をさかのぼって食文化や伝統、そして人間と生き物の共存、異文化の衝突という視点から考えます。
クジラとイルカ問題における、日本の視点を含めて描いた初めての長編ドキュメンタリーです。
映画を通して健全な対話が生まれることを願います」
現状では、日本から英語で世界に発する意見がほとんどありません。
多くの人達から少額の資金を募るクラウド・ファンドで、この映画を作ることは大きな意義があると思います。
わたし個人の立場を表明しておくと、クジラ/イルカ漁には反対派です。
ただし「なるべくなら」というカッコつきで。
調査捕鯨の継続には賛同しませんが、いっぽう太地のようなイルカ/クジラ漁を「自分たちの文化やアイデンティティとして踏襲している」人たちに対して、伝統的価値観を全面否定できないし、生活の補償なくして「仕事を変えろ」とはいえないからです。
正直にいえば、自分では捕鯨問題について詳しいわけではないので、初めはさほど映画製作に興味はありませんでした。
ところが「この映画の製作は絶対に必要だ!」と痛感したのは、シー・シェパードの創始者ポール・ワトソンの激烈な批判コメントを読んでから。
国際刑事警察機構(ICPO)から国際指名手配を受けているポール・ワトソンは、現在フランスでヒーローとして扱われて暮らし、新婚生活中。
そのポール・ワトソンが、朝日新聞の英語版でこのクジラ映画の記事が出たあと、フェイスブックで佐々木めぐみ監督を「太地の虐殺者たちを支持するプロパガンダ監督だ」と罵倒したんですが、このバッシングが過激すぎる!
https://www.facebook.com/captpaulwatson/posts/10153223716040932?pnref=story
ある意味で、一見の価値ある罵詈雑言です。ぜひ読んでみて下さい。
なかでも驚いたのが、この下り。
“「虐殺者たちとどう理性的に議論しろというのだ。
イルカ漁師たちと議論をするというのは、ナチスと、強制収容所に連れていかれるユダヤ人を守ろうとした側が話しあうようなものだ。奴隷所有者と、奴隷廃止論者が議論するようなものだ」 „
えええ、ナチス? イルカはユダヤ人?
あまりに喩えが飛躍していて唖然としますが、さらに太地町では毎年クジラの慰霊祭をしていることについても「そんなものは奴隷所有者が、奴隷がタダ働きをしてくれたことに慰霊するようなものだ」とバッサリ。
その他の一般人たちの書き込みを見ても「イルカ漁を容認するのは、児童結婚を許すようなもので受けいれがたい」とか「佐々木めぐみはイルカの食べ過ぎで水銀が頭に回っておかしくなっているんじゃないのか」とか、まさにテロリストなみに糾弾されているのです。
すっかりイルカには「人権」がある前提になっていて、なにもイルカ漁を支持する映画ではないのに、製作するというだけで批判が殺到。
さらに「佐々木めぐみは日本政府からどれだけの金をもらっているのか」「太地漁業が金を払ったに違いない」といった見当外れな陰謀説も多々見られます。
スポンサーをつけず、クラウド・ファンディングしているっていうのに!
いやもう、まだ出来ていない映画のことでこれだけ騒ぎになるなら、上映したらどうなることか。
この映画を作る佐々木監督は、火中の栗というか、ダイナマイトを拾うようなもので、その勇気に敬服します。
「やはり名指しでバッシングされることは痛いです」 と佐々木監督。
「けれども反捕鯨団体から攻撃の対象となったことで、太地町民の心境を理解できました」
多くの日本人にとって食べたこともなければ、あまり関心もないイルカ/クジラ漁が、これだけバッシングされていることに、あらためて驚く人も多いのでは。
それほどイルカとクジラが特別視されて、捕鯨が世界では批判の対象になっていることを知っておいたほうがいいとは思います。
そしてこれだけ激しく批判する人たちがいる一方、現時点での問題は、圧倒的に日本からの発言が少ないということ。
ポール・ワトソンに対する日本からの反論は、ほとんどなし。朝日新聞の英語版にも日本からの捕鯨賛成派の書き込みはほとんどないようです。
日本国内でいかに「イルカ/クジラ漁支持」の意見をいっても、英語で発言したり、海外の掲示板にポストしたりしないかぎり、まったく世界には通じません。
英語の掲示板で発言しなければ「黙っている」とみなされるし、海外の認識は「ザ・コーヴ」の段階で止まってしまいます。
佐々木監督は「日本側が主張する「鯨食は日本の食文化」という一言では世界は納得しません。捕鯨の歴史や文化についての情報は皆無。ここに問題の大きな原因があると思いました」 といいます。
クジラに対する認識は、国内外ではかなり違うのです。
捕鯨賛成派は必ず「なぜ牛を食べるのはよくて、クジラはだめなのか?」という命題を出しますが、アメリカで牛を大量に畜殺していながら、イルカの捕殺だけを「残酷」とバッシングするのは、たしかに不公平。
ただし最大の違いはイルカやクジラは養殖できないということ。
飼育で増やせないがゆえに、環境保護のシンボルになっているわけです。
またスピリチャルな波動がある生き物として、イルカやクジラを特別視する人たちも います。
現在アメリカでは「イルカやシャチといった高度な知能を持つ海洋生物をショーに使役するべきではないし、狭い水族館で監禁すべきではない」という意見が高まり、 今やシーワールドが激しい批判を浴びています。
今後シャチやイルカのショーは減っていくでしょうし、水族館で飼うことにも規準が求められたり、規制がかかったりするようになっていくでしょう。
サーカスにおけるゾウの芸も批判の対象となっていて、有名なリングリング・ブラザース・サーカスも2018年までにゾウの曲芸を終わらせることを決定。
近い将来サーカスでの動物の曲芸は禁止される方向になっていくはずです。
ペットショップでの生体展示販売も多くの州条例で禁止されていて、「ペットは買うものではなくてアニマルシェルターから里親しよう」という意見が強くなっています。
フォアグラもカリフォルニア州では禁止になっていますし、フカヒレのためにサメを乱獲するのも問題視され、米国の海域ではサメのフィンニング(ヒレだけ切り取って死骸を遺棄する漁法)が禁止されています。
なにも「イルカ漁批判は日本叩き」というわけではなくて、サーカスもシーワールドも犬食もフォアグラもフカヒレも動物実験も叩かれているのです。
当然ながらそれで生計を立ててきた人たちの反発もあり、いろんな業界で新しい方法を模索したりしている段階です。
わたし自身は犬食が減っていくことを望みますし、イギリスのキツネ狩りも復活すべきではないし、スペインの闘牛もいずれ消えていくでしょう。
風習というのは時代によって変わってくるもので、今どきブルドッグと牡牛を闘わせることはないし、犬追物で犬を射たりはしない。
人々のコモンセンスが変わり、もはや需要がないからです。
今までは人間が利用するだけだった人類と動物との関係を少しずつ見直していて、動物の権利も考えだしている段階で、大きな流れでいえば畜産も変化していくでしょうし、そもそも畜産肉では世界人口を養うことができず、いずれ大豆やプランクトンや虫でタンパク質を補う時代が来るかもしれません。
かたや文化差別の問題もあります。
生き物を守るのはよいとしても、民族やその土地柄といったローカルな文化を全否定するのはどうなのか、人類の文化の多様性をなくして物の考え方を画一化していいのか、という問題です。
シー・シェパードは米国でネイティブ・アメリカンのマカー族が70年ぶりに再開した捕鯨を妨害しましたが、わたしはこれに賛成できません。
先住民族の住む場所を取りあげておきながら、一匹のクジラを獲るのを妨害するというのは順番が違う気がする。
世界にはいまだにイルカを獲る地域があります。
その地域で、その文化で暮らしていく民族もいるのですから、そこに自分たち規準の正しさを押しつけるのは、エスノセントリズムではないかと感じるのです。
では、どうしていくべきなのか。
生態系に影響のない範囲で、苦痛のない捕殺のイルカ漁ならよいのか。
それとも知能の高い、スピリチャルな生き物として、絶対的に捕殺を禁止すべきなのか。
太地漁業の売上げでいえば、イルカは食用より、じつは生体を売ることが大きな売上げになっていて、今は中国の水族館をトップに、ウクライナ、ロシア、韓国などに売られています。
注)http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H0Y_Y5A600C1000000/
もし今後中国やロシアの水族館に生体を売ることができなくなって利益が激減したとしても、「伝統」としてイルカ漁を続けるべきなのか。
正直わたし自身にはわかりませんし、知識も足りません。
だからこそ模索したいし、このクジラ映画を世界に観てもらいたいと思います。
大事なのはまず共通語である英語で世界に伝えること。
この作品の途中まで撮ったダイジェスト編集のフィルムを見る機会がありましたが、予想以上に興味深いものでした。
そこには「賛成」「反対」というだけでなく人間模様が描き出されているからです。
街宣カーで「イルカ漁支持」を英語で訴える日本人男性が、シー・シェパードのメンバーたちと会話を交わしていたり、捕鯨反対派のメンバーたちが浜辺で日光浴をしていたりと、イデオロギーを超えて人間臭さが滲み出るんですね。
そこにはわずかながら話し合いの余地があるように思えるのです。
実際に佐々木監督の協力者であるアメリカ人編集者は、当初は「クジラ漁なんてとんでもない」と大反対であったものの、取材内容や実態を知るにつれて映画製作に賛同することになったそう。
つまり情報をわかちあえば、捕鯨反対であっても「なるほど、そういう見方もあるか」と考えるきっかけにはなるわけです。
相手の意見をくつがえすことはなくても、少なくとも憎しみを避けられる。
「この映画は、捕鯨の賛否を問うのではなく、両サイドの意見をテーブルに載せた上で見えてくる人間ドラマを描きたいと思っています。その辺を理解して応援して下さる方が多いことに、とても勇気づけられています」
と佐々木監督。
この映画が世界に発信されることは非常に重要です。
まず製作を完成させることが課題であり、捕鯨反対国のアメリカでこそ上映されるべき。
スポンサーをつけるべき映画ではないし、漁業組合の援助を受けたら、それこそプロパガンダになってしまう。
だからこそクラウド・ファンディングで映画を作るのが正しいと思います。
捕鯨文化と日本の伝統を支持する方はこの機会にぜひともファンドして下さい。
国内ではなく海外にむけて発言する機会をぜひとも利用してみて下さい。
そしてまたイルカ/捕鯨漁に反対する人たちも、なぜ太地の人たちが止めないのか、どう考えているのか知りたいところでしょう。
太地の漁村が天然資源を獲る一次産業の暮らしで、他に収入の方法がないのだとしたら、環境団体はイルカを水族館よりはるかに高い値段で買い上げて放流する、あるいは太地町に違う海洋産業を築ける何かの養殖施設なり、産業なりを持ち込む方法もあるかもしれません。
賛成反対どちらにせよ、相手の立場も考えてみる、ということはできるはず。
「批判は自分が引き受ける」という佐々木監督、ぜひとも映画のクラウド・ファンディングを応援したいと思います。
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ファンディングの締切は7月22日。
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