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白老・アイヌ民族に献身医療した故高橋氏の功績紹介

2015-07-12 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年7月11日(土)朝刊】
 白老で37年間医療活動に従事し「コタンのシュバイツアー」と慕われた高橋房次氏(1882~1960年)の功績を振り返る展示会(白老町教育委員会主催)が、18日から8月16日まで仙台藩白老元陣屋資料館で開かれる。
 高橋氏は1922年(大正11年)、40歳のとき道庁立白老病院の初代院長に赴任、「新白老町史」は「赴任後直ちにアイヌの人々の診療に必要な基礎的調査を進めるため、各家庭を訪問し、健康状態を調べた」と伝えている。また「地域医療ことにアイヌの人々のため献身した」とも記している。1937年(昭和12年)同病院を引き継ぎ、高橋医院として開院、55年白老町名誉町民。60年(同35年)78歳で死去。町葬には千人余が参列した。亡くなる前年まで医療活動に従事したという。2009年(平成21年)高砂町の病院跡地にアイヌ記念公園が整備され、胸像が移設された。
 展示するのは約100点。高橋氏の生誕地である栃木県小山市の親族、出身校である日本医科大、函館市中央図書館、道立図書館から借りた資料のほか、仙台藩白老元陣屋資料館所蔵の資料が並ぶ。
 冬季の往診時に着用したタヌキの襟巻き、名誉町民のメダル、紋付き羽織、自筆の俳句集、蔵書、寄稿文が掲載されている新聞記事、手紙、年賀状、千島に渡った際の調査報告書「千島アイヌ論」、町葬参列者への礼状、「コタンの父逝く」と死去を伝える週刊誌など。展示写真は診療活動の様子や雪の中をつえをついて往診に向かう姿、診療の合間にお酒を傾ける様子、町葬などを収めている。
 平野敦史学芸員は「これまで目にすることができなかった資料などを通して高橋医師の人となりを理解するいい機会になると思います。また2020年の象徴空間開設に向けてあらためてアイヌ民族と和人社会が過ごしてきた歴史を見直し、これからに生かしていくという気運を高めるのも大きな目的」と語り、多くの来場を期待している。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/07/11/20150711m_08.html

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バーナビー市に「釧路公園」/公式訪問団

2015-07-12 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2015年07月11日
  姉妹都市提携50周年のカナダ・バーナビー市を訪問している釧路市の公式訪問団は9日(日本時間10日)、四つの公式行事を精力的にこなし一層友好を深めた。その一つが「釧路公園」命名式。同市内には、釧路市出身のアイヌ民族彫刻家、床ヌプリ氏の木彫作品群「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)が設置されているバーナビーマウンテン・センテニアル公園があり、この場所を「釧路公園」と名付ける催し。命名式でコリガン市長が「長期友好を願い、バーナビーを象徴する地に『釧路』の名をつけます」とあいさつ。蝦名市長は感謝と有効継続への決意を伝えた。同公園は市街地を見下ろす丘陵にあり、1990年の提携25周年の協定更新時に床氏が木彫群を制作した。
http://www.news-kushiro.jp/news/20150711/201507111.html

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台湾球界から永久追放の右腕、米大リーグで10年ぶり白星

2015-07-12 | 先住民族関連
フォーカス台湾 2015/07/11 20:10【芸能スポーツ】

(ロサンゼルス 11日 中央社)大リーグ、ドジャースの曹錦輝投手(34)が10日のブルワーズ戦で2005年5月以来、10年ぶりとなるメジャー勝利を挙げた。
台湾原住民(先住民)アミ族出身の曹は今年1月、2007年に在籍していたドジャースとマイナー契約を結び、今月8日には8年ぶりのメジャー昇格を果たした。
この日は2点を追う7回表から2番手として登板し、1回を2安打無失点に抑えた。その裏に味方が3点を奪って逆転したため、久々の白星を手にした。
ロッキーズ時代の2003年にメジャーデビューし、台湾2人目、投手では初めての大リーガーとなった曹。故障で2007年にドジャースを、2008年にはロイヤルズ傘下3Aのオマハを自由契約となるも、2009年の台湾プロ野球・兄弟入団は注目を集め、観客動員数の大幅増につながった。今回の勝利は、同年末に八百長容疑で永久追放処分を受けて以来の快挙となる。
長いブランクから復帰した右腕の活躍について、野球ファンからは「おめでとう」と喜びの声が聞こえる一方、「素直に祝福できない」とする意見もある。
(呉協昌/編集:羅友辰)
http://japan.cna.com.tw/news/aart/201507110006.aspx

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ボリビア:教皇、民間運動関係者との世界ミーティングに出席

2015-07-12 | 先住民族関連
バチカン放送局 10/07/2015 18:51

教皇フランシスコは、7月9日、ボリビアのサンタ・クルスで行われた「民間運動世界ミーティング」に出席された。
ボリビア滞在2日目、午前中、聖体大会開会ミサをサンタ・クルス市内の広場で捧げられた教皇は、午後から、サレジオ修道会が運営する学校「コリセオ・ドン・ボスコ」で、同国の司祭・修道者・神学生らとの出会いを持たれた。
続いて、教皇は「民間運動世界ミーティング」が開催された見本市会場へと向かわれた。
「民間運動世界ミーティング」は、期間労働者や、インフォーマルセクター労働者、都市周辺の貧困地域住民、先住民族、移民、小作農業者らの生活向上を目指す様々な民間運動関係者の国際集会。第1回目の会合は2014年10月にバチカンで開催された。この機会に、教皇はボリビアのエボ・モラレス大統領と会見されている。
第2回目となったこのミーティングには、モラレス大統領をはじめ、およそ3千人の参加者が集った。
「神はご自分の民の叫びをお聞きになる」と述べた教皇は、「土地・家・仕事」は聖なる権利であり、そのために闘う価値のあるものと強調。
自分の耕地を持てない農民、家の無い家族、権利の無い労働者、こうした人々の存在を前に、わたしたちは何かを変える必要を強く感じていると話された。
それは、あらゆる手段で利益のみを追求し、社会的疎外と自然破壊を考慮しないシステムを変えるということであると教皇は述べられた。
「わたしたちは変化、真の変化を願っています。なぜなら、このシステムはもう維持不可能だからです。人々はもうこのままではやっていけません。聖フランシスコが姉妹なる大地と呼んだ地球の自然ももう守れません。」
希望と連帯のグローバル化は人々から、人々の間に生まれると述べた教皇は、これを排除と無関心のグローバル化と交換しなくてはならないと訴えられた。
http://ja.radiovaticana.va/news/2015/07/10/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2%EF%BC%9A%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E6%B0%91%E9%96%93%E9%81%8B%E5%8B%95%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%B8%AD/1157501


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ボリビア:教皇、サンタ・クルスでミサ「使い捨ての論理から交わりの論理へ」

2015-07-12 | 先住民族関連
バチカン放送局 09/07/2015 18:51

ボリビアを訪問した教皇フランシスコは、7月9日、サンタ・クルスでミサを捧げられた。
このミサによって、ボリビア国内の第5回聖体大会が開会された。教皇ミサの会場となったクリスト・レデントール広場と周辺は参加者で埋め尽くされ、その数はおよそ200万人に達した。
ミサ中の祈りには、ボリビアの多様な民族性を反映し、スペイン語をはじめグアラニー、ケチャ、アイマラの先住民族の言語が用いられた。
説教で教皇は、「わたしたちの間におられる神を祝うために、わたしたちは様々な地方や国からここにやって来ました。聖なる神の民としてここに共に集うために、わたしたちはしばらくの間、家や共同体を後にしました。十字架と宣教のイメージは、イエスの名のもとにこの地上に生まれたすべての共同体を思い起こさせると共に、わたしたちがその後継者であることに気づかせるのです」と話された。
この国でよく見られるように、子どもたちを肩に乗せた多くのお母さんたちの姿に感動を覚えると述べた教皇は、「人々が背負っているのは命、この国の未来、喜び、希望であると同時に、失望や悲しみなど実現されなかった正義の傷でもあります。皆さんが背負っているのは民の記憶です。民は記憶と共に歩んでいるのです」と話された。
歩みの中で疲れを覚えることもあれば、希望を保てない時もあるが、特にイエスの弟子たちが経験したように、到底すべての人に食べさせることは不可能な、大量の人々の群れを見ることもあるだろうと、教皇は日常生活や社会の現実を見つめられた。
こうした絶望した心にある種の論理が入り込むことは簡単であるとしながら、すべては交換可能な消費の対象と見、一見生産性、採算性が無く不要に思われるものを切り捨てようとする論理が広がる危険を教皇は指摘。
何も食べる物のない大勢の群集を解散させようとする弟子たちに「いや、行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言ったイエスの言葉をわたしたちは再び聞く必要があると話された。
「誰一人疎外されてはいけない。誰も出て行く必要はない。排除はやめて、あなたたち自身が食べる物を与えなさい」というイエスの招きは今日も響いていると教皇は強調された。
そして、パンを取り、祝福し、それを分けるようにと渡す、イエスの3つの動作に倣い、わたしたちも使い捨ての論理を、交わりの論理、共同体の論理に変えていかなければならないと説かれた。
天を仰いで賛美の祈りを唱えるイエスの手と、飢えた群衆にパンを分けるイエスの手は同じ手であることを教皇は示しながら、人々の手から手へと、遠くまで渡っていくパンと魚を想像するように招かれた。
「聖体は世界の命のために裂かれたパンです」と述べた教皇は、聖体の交わりが、個人主義から抜け出し、共に生きることを可能にし、わたしたちが持っているもの、ありのままのわたしたちが、神の愛の力のもとに受け入れられ、祝福され、分け与えられるならば、それは他の人たちの命のパンとなれるという確信を与えてくれるようにと祈られた。
http://ja.radiovaticana.va/news/2015/07/09/%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2%EF%BC%9A%E6%95%99%E7%9A%87%E3%80%81%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%A7%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%80%8C%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BA%A4%E3%82%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E8%AB%96%E7%90%86%E3%81%B8%E3%80%8D/1157273


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台湾先住民の青年8人、故郷目指し300キロ走破 地元への愛表現

2015-07-12 | 先住民族関連
フォーカス台湾 2015/07/10 18:49【社会】

(台東 10日 中央社)「故郷の伝統文化を大切にする思いを伝えたい」と、台湾原住民(先住民)アミ族の青年8人が出身地の東部・台東県都蘭集落で開催される収穫祭参加のため、北部・基隆からの約300キロを走破する挑戦を行い、出発から4日後の10日午前、目的地に到着した。
青年らは強い日差しや台風接近による大雨の中、毎日80キロを目標に疾走。挑戦を成し遂げられるよう互いに励まし合っていたという。
青年の母親の一人は、子供の安全が心配で当初は挑戦に反対していたと話す。だが、走ってやって来る子供の姿が見えると「息子は大きくなった。立派だ」と我が子の成長に涙を流していた。
青年の年齢は17歳から23歳。アミ族の年齢階級では“青少年期”から“青年期”へ移行する段階だとされており、集落に戻った青年は同日午後に山に入り、3泊4日におよぶ野外訓練を受けた後、15日に収穫祭および成年になる儀式に参加する。
頭目と呼ばれる集落の代表によれば、青年らは伝統に則り、道の途中の先住民集落に立ち寄り、収穫祭開催の知らせと成年へと成長するにあたっての決意を伝えていたという。
(盧太城/編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201507100012.aspx

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「沖縄アイデンティティー」と沖縄住民の自己決定権

2015-07-12 | ウチナー・沖縄
nippon.com- [2015.07.10]島袋 純 【Profile】
沖縄の米軍辺野古基地建設を強行する安倍政権への対抗軸として打ち出された「沖縄アイデンティティー」とは何か。沖縄人の歴史認識、沖縄への「構造的差別」を踏まえて、社会的連帯を目指す動きを解説する。
「イデオロギーよりもアイデンティティー」で保革団結
沖縄の「アイデンティティー」ということがよく言われるようになったきっかけは、2014年の県知事選で翁長雄志(おなが・たけし)氏が、「イデオロギーよりもアイデンティティー」と訴えたことだ。保守系から共産党系まで沖縄のすべての政治勢力を結集して、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する対抗軸をつくろうという意思だった。
それまでも「沖縄のことは沖縄で決める」と主張する人たちはいたし、多くの国政選挙で衆議院議員、参議院議員の候補者たちが同様の主張はしていた。だが、そうは言っても自分の選挙母体、政治的な基盤を、保守系から共産党まで含めて幅広く求めて、その結集軸として沖縄アイデンティティーを用いるということはなかった。
1972年5月の沖縄復帰前後から、自民党は自民党沖縄県連、社会党は社会党沖縄県本部という形で系列化していき、沖縄でも本土と同様に保革の対決があり、それが政治の基盤だった。特に労使関係を中心とした対立軸と、基地賛成反対の対立軸とが重なり沖縄においてもいわゆる保革対立の政治が行われていた。しかし、辺野古移設の問題においては、2010年に保革が一致団結して反対を決め、自民党本部の切り崩しにあって自民党沖縄県連の大半は離脱するが、残った保守系と旧革新を結集する軸として沖縄アイデンティティーが打ち出されたことが大きな特徴だ。
国際慣習法の中で主権国家として認知されていた沖縄
その意図する沖縄アイデンティティーとは、沖縄の土地、海、資源に関して、沖縄の人々「ウチナーンチュ」が決定できる「自己決定権」を持つという主張と一体化している。
それが辺野古移設反対の大きな根拠になるとしている。
自己決定権とは主権的な権限であり、地方自治権よりもはるかに強い。そういった強い権限を持ち得るという論拠を立証すれば、日本政府と米国政府だけで沖縄の基地問題を決定することはできず、沖縄の意志が必ず尊重されなければならないということになる。沖縄の自己決定権を尊重した上で日本政府の決定を提案をしない限り、その提案は認められないという論理だ。
この主張の背景には琉球・沖縄の歴史がある。第1に重要な歴史的事実は、琉球王国の武力威嚇による強制併合であり、第2にポツダム宣言受諾とそれに続く戦後の米軍支配の歴史である。まず、1879年の「琉球併合」、つまり日本の武力による琉球の併合の前には、琉球は独立した王国として中国に冊封(さくほう)していた。中国の内藩ではなく独立した外国の関係であり、中国は沖縄の政治的な独立性を完全に認めた上で形式として臣下のかたちを取るというのが冊封体制の原型だ。
日本も足利義満の時代に日本国王として冊封を行っているが、琉球王国では500年にわたって冊封が続いていた。この冊封体制を維持することが薩摩藩のメリットでもあり、1609年の薩摩による侵略以降も琉球の内政に関して基本的に干渉しないというのが大原則だった。その中で琉球は1854年にアメリカと琉米修好条約を結んでいる。つまり、その当時の国際慣習法の中で琉球は主権国家のように扱われていたことになる。
その琉球を日本陸軍が首里城を包囲することによって、強制的に併合した。その後、琉球救国運動(または復国運動)、琉球士族の清に対する支援要請、あるいは各国の大使館に対する要請など、いろいろな抵抗があった。明治政府はその動きを徹底的に弾圧し、抵抗する士族たちは中国に亡命、あるいはその後ハワイに移住するというかたちで、最後まで抵抗していた琉球王国の旧支配層は解体し、沖縄では同化を受け入れざるを得ない状況となっていった。
「主権国家」的な存在として既に認知されていた琉球の強制併合は国際法上も正当化できないと同時に、琉球・沖縄の人々は自分らの意志で自己決定権を日本に移譲したことは一切ないというのが、現在の主張の根底にある。後で述べる「琉球民族独立学会」の結成の論拠もここにある。
スコットランドの「権利章典」にみる自己決定権の主張
わたしは長年自己決定権のモデルとしてスコットランドを研究している。一度統合された地域が主権を回復する権利があると自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例だ。歴史的に独立主権国家だったことが明白なスコットランドは、スコットランド人民の自己決定権に関する確固たる信念が脈々としてある。
1689年、イングランドの名誉革命の際にスコットランドは「権利要求章典」(The Claim of Right)を発布、その中で、国王が守るべき自分たちの権利を定め、それを守る政府を作るべきことを宣言した。このような歴史的な経緯を踏まえ、1989年にスコットランド選出国会議員8割とほぼ全市町村の代表らが参加して会議体を設定し、スコットランド人民が、独自の政府を作る権力を有すると主張する同じ名称の権利の宣言文を発布した。その会議体はその後憲法制定会議として、スコットランドの新しい統治の構造、基本法の案を提案していく。
つまり、スコットランドはスコットランドの人民に主権があるという人民の自己決定権を主張し、その会議体が統治の基本法をつくった。その統治の基本法の原案が1997年総選挙におけるトニー・ブレア率いる労働党の選挙公約にほぼそのまま取り入れられた。政権を握ったブレアはこれを国会に提出、イギリス国会はスコットランド憲法制定会議で作られた原案をほぼそのまま承認した。
内的自決権という、内政について国の立法権、国会の法律と同じレベルの効力を持つ法の制定権を獲得したわけで、あとは外交、防衛、マクロ経済などの分野に関する権限を中央に残したが、すでにスコットランド人民の自己決定権を内外から承認され、高度な自治権を有している以上、独立するかしないかは大きな問題ではない。
沖縄でも2013年1月、41市町村の議長と首長、県議会の全会派の代表、および経済界、労働界の代表が署名した「建白書」を政府に手交した。スコットランドの権利要求章典は、そのやり方に近い。沖縄の要求は「普天間の即時閉鎖、オスプレイの配備撤回、県内移設断念」である。これを発展させていけばいいと考えている。
日本人としてのウチナーンチュのアイデンティティー
沖縄の自己決定権を追求していくといっても、「独立」を目指すという意見が現時点で多数派となっているわけではない。翁長知事を初めとする現在の沖縄の主流派は、やはり日本人としてのアイデンティティーも併存して持ち、日本社会全体に対する期待とその一員としての貢献を前提としながら辺野古反対の闘いをしている。
かつて「沖縄学の父」と言われた伊波普猷(いは・ふゆう、1876~1947)は、沖縄の住民、文化は日本民族、日本文化と同根である主張した。沖縄に奈良時代あるいはそれ以前の古い言葉、慣習、風習が残っているという見方、つまり沖縄の日本本土とは違う独自の文化を日本文化の古層に結び付けることによって、日本の枠の中で沖縄の固有性や独自性を正当化した。
日本への同化を受け入れつつ、同時に伊波は、ウチナーンチュのアイデンティティーも一緒に確立しようとした。沖縄の特徴ある文化、言語をうまく残しながら日本の枠の中に収めていくというアプローチである。沖縄の研究者、知識人には伊波普猷の影響が非常に強かった。現在でもこの考えは最も有力といってもよい。
だが、戦後の沖縄に対して、日本とは違う取り扱い、いわゆる「構造的差別」の問題が明らかになった。1945年、本土防衛の捨て石とされた沖縄戦以降、その後も日本はいろいろな局面で沖縄を「切り捨て」ていく。現在の、自己決定権を持つウチナーンチュであるというアイデンティティーは、この切り捨てによって失われた人権と自治権の回復と闘争史である沖縄戦後の歩みに基づく。
米軍基地恒久化を確定させた「天皇メッセージ」
1945年3月に沖縄に上陸した米海軍は、「ニミッツ布告(※1)」発布で、住民に対して日本の行政権が停止されたことを通告、4月5日には、読谷村比謝に軍政府を設立した。沖縄戦の死闘は3カ月以上も続く。
敗戦後の1946年、47年と始動し始めた沖縄の政党はすべて独立論を唱えていた。かりに沖縄が日本人とは異なる集団だとすれば、自己決定権を持つものとなり、沖縄人自身が自分たちの主権回復を要求できることとなる。沖縄の基地の恒久化を望む米国にとっては非常に困る事態だった。
ところが1947年9月に昭和天皇が米側にメッセージ(※2)を送り、沖縄の主権は、日本にあるとしつつも「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に「長期租借」する方針を示した。これは米国にとって渡りに船であり、1952年サンフランシスコ講和条約の第3条(※3)によって、沖縄の主権をもつとされた日本が認めた形で米国による沖縄の分離支配が確定する。
沖縄の自己決定権を認めずに、日米政府が沖縄の処遇を決めていくシステムは日本の戦前から続く基本的な政治構造に根ざしており、これを打破するには独立しかない、というのが琉球民族独立学会に代表される独立論者の主張だ。特徴的なのは、先住民族の権利回復運動こそが学会の存立基盤であり、自己決定権を持つ権利主体と会員資格を一致させていること、つまり、独立の権利主体である先住民族としての琉球王国時代の琉球民族の血統に限定されるという点と、言語、文化の継承が侵害されているという大きな危機意識だ。沖縄の文化を継承し、発展させる自由と、教育の自由が奪われているということだ。学習指導要領にそって沖縄でも東京と全く同じ教育をしている。琉球史、琉球語を通常の正規の教科カリキュラムにおいて教えることはない。それ自体が人権侵害といえるわけである。
沖縄に対する人権侵害を世界に訴える運動
一方、今、私が関わっている「島ぐるみ会議」(「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」)は、国際立憲主義に基づき、普遍的な価値、普遍的な論理で世界中の人々に連帯と参加を呼びかけるという姿勢だ。国連では先住民族権利宣言がなされており、日本政府に対して沖縄への先住民族としての権利保障に取り組むよう意見や勧告が出されている。その中で言明された自己決定権についても重視する取り組みや運動を行うが、自己決定権の権利主体として「先住民族」に運動への参加や会員資格を限定することはない。
世界に通じる普遍的な価値で一番重要なのは、すなわち人権であり、世界人権宣言、国際人権法、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約など日本が批准する国際的な規範だ。
既に国連の人種差別撤廃委員会は2010年沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定した。国連の人権理事会の特別報告や自由権規約委員会の意見などでも沖縄への人権侵害の認識は共有されている。この事実を最大に活かすことによって、沖縄の人々の訴えに対する共感者を世界レベルで増やすことを目指している。
人種差別撤廃委員会は、さらに2014年8月には沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告する「最終見解」を発表した。重要な点は、沖縄の人々の政治的な地位の自由であり、それが結果として「独立」、国内の自治州、沖縄県のいずれでもかまわないが、ただ、自分たちの自由な意志でその政治的地位を決める権限を持つということである。
「沖縄振興計画」は経済発展の自由に対する侵害
国際人権規約第1条は、政治的地位の自由、経済発展の自由、文化、社会的な発展の自由を記している。特に近年沖縄では、経済発展の自由に対する侵害がよく論議される。日本政府は「沖縄振興計画」の策定権限を持ち、沖縄に配慮してきたというが、本来は地域の言語、文化、自然への配慮、沖縄の人々のニーズに見合った経済発展であるべきだ。
しかも、90年代後半以降、基地の見返りとしてのつかみ金のような振興策事業、いわばばらまきのアメ、というような補助の与え方に対して、沖縄経済界から批判が出てきた。2014年の知事選で土木建設業を含めて多くの企業が翁長陣営に付いたのは、現在のシステムが沖縄の経済的な自立性の阻害要因であり、経済的効果がないだけではなく、沖縄の経済的な発展の自由の権利を侵害しているという認識を共有したからだ。
今、沖縄に基地を押し付けることを始めとして、沖縄が「構造的差別」を受けているという意識が、以前と比べて明らかに強くなっている。
構造的差別の端的な例は、沖縄復帰時の1972年5月に施行された「沖縄における公用地暫定使用法」である。米軍が強奪して建設した土地に対して、その正当性を全く問わずに、公用地として強制使用するための法律だった。憲法95条は、特定の地方公共団体にだけ適用される特別法は、住民投票による住民の同意を得なければ制定できない、と定めている。本来は72年の施行以前に住民投票を行うべきだった。
「島ぐるみ闘争」以来の社会的連帯をアイデンティティーに
さかのぼれば、1950年代半ばの米軍基地をめぐる土地闘争「島ぐるみ闘争」以来、沖縄の人々は土地を取り上げられる痛み、人権侵害を日本全体で共有してくれるだろうと願ったが空しく、1972年の復帰の際も痛みの共有どころか、人権侵害を合法化する「公用地暫定使用法」を制定した。その後、1995年米兵による少女暴行事件などを経て、沖縄に対する構造的な差別が可視化され強く意識されるようになった。
現在では、沖縄の保守、経済界の側ですら、構造的差別を日本政府が強制し、基地利益があるから甘受せよという姿勢を崩さず、それに対して日本国民の全体の世論もメディアも、ほぼ政府の言っていることと同じような感覚しか持っていないことに対するいらだちを募らせている。
この構造的差別と対決するために、沖縄の島ぐるみ闘争以来の歴史をもう一度学び直し、人権の闘争、自治権の闘争であることを明確にしてこれを継承していく。それをするのがウチナーンチュとしてのアイデンティティーの確立にもなっていく。
戦後の苦難の歴史で共有されたもの
つまり、今、沖縄で共有され強く主張されているアイデンティティーとは、琉球王国に直接由来するというよりも、戦後の苦難の歴史の共有に基づくものといえるであろう。米軍による分割統治・分断統治が徹底していた1950年代、土地権や人権を守るための島ぐるみ闘争により社会全体で共闘していく基盤を作り、60年代のキャラウェイ高等弁務官(※4)との自治権闘争などを経て、沖縄全体で理不尽な抑圧や侵害に対抗しながら自分たちが結びつき築き上げてきた社会的連帯に基づくものだといえる。
現在の日本の政治とメディアの主流は、在沖海兵隊が中国軍と戦う可能性が皆無であるにもかかわらず、恒久的な海兵隊基地を沖縄に置くのは軍事地理的に必然性があるという思考停止と、基地経済および基地ゆえの財政移転による大きな利益享受を理由として基地を甘受することが当然という差別的な論調にある。それは、米軍基地建設や維持のための不正義と抑圧に対して立ち上がり連帯し闘い続けてきた戦後沖縄の歴史と社会の抹殺であり、沖縄の人々の尊厳とアイデンティティ―の否定である。日本の政治とメディアによる新たな沖縄への拒絶と分離の意志を示すものと受け取られる。
(2015年6月30日 記)
タイトル写真=2014年2月沖縄県・首里城を訪れたキャロライン・ケネディ駐日米大使(左から2人目)/ 時事
(※1)^ 沖縄侵攻の総指揮を執った米海軍太平洋艦隊司令長官兼太平洋方面総司令官、ニミッツ元帥が出した沖縄占領統治の基本法令。
(※2)^ 1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内府御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモ。メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。
(※3)^ 「日本国は,北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。),孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島,西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで,合衆国は,領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」
(※4)^ 復帰前の沖縄の最高責任者である3代目高等弁務官・ポール・キャラウェイ氏。1961~64年在任。強権的な政策を進め、沖縄の自治権を「神話だ」と評した発言が住民の反発を増大させた。
http://www.nippon.com/ja/in-depth/a04501/

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【神対応】「黒人がエルサ?」「黒人は醜い」『アナ雪』コスプレの女児が暴言を受ける

2015-07-12 | 先住民族関連
→ いきさつを知ったディズニーの対応が感動的と話題
livedoor-2015年7月9日 9時0分
夢と希望を与えてくれるディズニー! 国や文化を超えて多くの人に愛されているが、先日、オーストラリアで行われたディズニーイベントで先住民族アボリジニの女の子が差別的な言葉を浴びせられるという事件が起こってしまったそうだ。
女の子は深く傷つき、「人種差別はまだあるのか」と多くの人が憤ったが……これを知ったディズニーの対応が素晴らしいと話題になっているのだ!
・アボリジニの女の子がエルサのコスプレ
2015年5月、アボリジニの女の子サマラちゃん(3)はメルボルンのショッピングセンターで開催されたディズニーイベントに大好きな『アナと雪の女王』エルサのコスプレをして参加したそうだ。
サマラちゃんが母親のレイチェルさんと、イベントの列に並んでいるときに事件は起きた。
・他の参加者が女の子に暴言を……
同じくイベントに参加していた親子連れが、サマラちゃんに心ない言葉をぶつけたのだ。「どうしてエルサの格好をしているのかしら? エルサは黒人じゃないのに」
レイチェルさんが、どういう意味だと詰め寄ると、彼女らはサマラちゃんの顔を指さしこう言った。「あなたのことよ。黒人は醜い!」
・深く傷ついたサマラちゃん
これを聞いたサマラちゃんは泣き出してしまった。レイチェルさんは、さまざまな人種が暮らすメルボルンで、依然としてこのようなことを言う人がいるということが信じられなかったという。
その日以来、サマラちゃんはふさぎ込みがちになり、アボリジニのダンスのレッスンにも行かず、肌が白くなるようにと体をゴシゴシとこすったりするようになったそうだ。
レイチェルさんがこの事件をFacebookに書きこんだところ、多くの応援メッセージが届き、同時に拡散されていった。だが、この悲しい事件を知ったのはネットユーザーだけではなかった。ディズニーにまで伝わったのだ!
・ディズニーが神対応! エルサからメッセージ「ありのままのあなたでいて」
事件を知った米フロリダ州のディズニーワールドから、サマラちゃんにメッセージが届いたというのである! メッセージの主は……なんとエルサ本人!! 
傷つき、自分に誇りを持てなくなってしまったサマラちゃんに、エルサが「ありのままのあなたでいてね」という言葉を贈ったのである。劇中歌の『Let it go』とオーバーラップする。なんて粋なはからいなんだ!
・ついにエルサと対面を果たす
その後、サマラちゃんはいくつかのディズニーイベントに招待され、さらに7月5日に現地で行われたイベントで本物のエルサと対面を果たしたのである。サマラちゃんは「エルサ大好き! もちろんアナも!!」と、思いを伝えたのだ。当日のサマラちゃんの服装は、もちろん、エルサと同じブルーのドレスだ。
再び笑顔を取り戻したサマラちゃん。母親のレイチェルさんは、「あの一件以来、私と娘はさまざまなディズニーイベントに参加でき嬉しく思っています。でも最も嬉しかったのは(皆さんからの)希望のメッセージです」と話しているとのことである。
参照元:Facebook、THE AGE[1]、[2]、The Courier(英語)
執筆:沢井メグ
http://news.livedoor.com/article/detail/10326626/

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多彩な催しで歓迎 11、12日に北海道「えべつやきもの市」 クラフト展や陶芸教室…

2015-07-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞07/09 16:00

4日から市セラミックアートセンターで開催中の「クラフト動物園」
 【江別】11、12日にJR江別駅前周辺で開催される「えべつやきもの市」(実行委主催)に合わせ、市内では今年も多彩な関連行事が予定されている。プロによるクラフト展や陶芸教室をはじめ、骨董(こっとう)市などで江別最大のイベントを盛り上げる。
 市セラミックアートセンター(西野幌114)では、日本クラフトデザイン協会の会員ら46人が動物をテーマに皿やおわん、ネックレスなど約400点をすでに展示中。展示担当の佐藤一志さんは「魚の形をした猫用の食卓など、趣向を凝らした作品ばかり」と来場を呼び掛ける。
 陶芸・絵付け体験は小学生以上が対象で、皿やマグカップを作る。問い合わせは同センター(電)385・1004へ。
 錦山天満宮(野幌代々木町38)では「野幌古民具・骨董市」(実行委主催)を開く。道内外から約30の業者が出店するほか、幕末から昭和にかけての絵画や掛け軸を約30点展示する。問い合わせは実行委代表の岩佐邦夫さん(電)090・7646・3345へ。
 JR江別駅近くのドラマシアターども4(江別2の2)では、江別出身の造形作家原田ミドーさんが岩手県大船渡市で制作中の復興モニュメントの写真展と、原田さんが指導する水彩画教室の生徒の作品展がともに7日から開催中だ。
 アートスペース外輪船(江別2の1)では「ユぺオツの会アイヌ刺繍(ししゅう)展」などが催される。(高田晃太郎)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0154792.html

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駐日イスラエル特命全権大使 白老・アイヌ民族博物館訪問

2015-07-12 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 7/7)
ムックリ演奏を体験するルツ・カハノフ大使
 駐日イスラエル特命全権大使のルツ・カハノフさんが4日、夫のラム・オシェロヴィッツさんと共に白老町のアイヌ民族博物館を訪問した。北海道に対する協力の在り方とともに、「その一環として先住民であるアイヌ民族のことも学びたかった」とルツ大使。2時間弱の滞在時間の中では古式舞踊や民族楽器のムックリ演奏などを体験。アイヌ民族の文化などを興味深く学んだ。
 大使の北海道訪問は今回が初めて。戸田安彦白老町長、岩城達己副町長、アイヌ民族博物館の野本勝信代表理事、村木美幸専務理事らが来訪を歓迎。博物館では野本正博館長が案内役を務め、アイヌ民族が自然と共生してきた歴史や文化などを説明した。
 大使夫妻は伝統家屋「チセ」で定期公演している古式舞踊なども鑑賞。ムックリやトンコリなどの楽器演奏をはじめ、鶴の舞「サロルンチカプリムセ」やクマの霊送りの踊り「イヨマンテリムセ」が披露されると、大きな拍手で伝統文化を絶賛。職員のアドバイスを受けながらムックリ演奏にも挑戦し、「どれだけ皆さんが上手な演奏をしているかよく分かりました」と笑顔を見せた。
 訪問を終えた大使は「アイヌ民族の生活や歴史、習慣などを教えてくれる素晴らしい博物館だと感じた。地域共同体や政府が協力して施設を守っていこうとする姿勢も素晴らしい」と高く評価していた。
http://www.tomamin.co.jp/20150727613


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台湾・台東市 花火大会中止で余った経費を娯楽施設火災の負傷者に寄付

2015-07-12 | 先住民族関連
フォーカス台湾 2015/07/07 15:30【観光】

(台東 7日 中央社)台東市役所の広場で6日、台湾原住民(先住民)の祈祷師らが集まり先月27日に北部・新北市で起きた複合レジャー施設火災による負傷者に祈りを捧げた。同市では8月1日に開催予定だった花火大会の中止により削減した経費や、民間団体の協力などで集められた27万台湾元(約107万円)を負傷者らに寄付するとしている。
この日市役所で一同に会したのはプユマ族、アミ族、パイワン族、ルカイ族の祈祷師ら。ともに祈りを捧げた張国洲市長によれば、同市の負傷者に対してすでに慰問金を支給したという。また、職員には募金を呼びかけており、市民の愛情を結集して、負傷者の一日も早い快復を願いたいと語った。
(盧太城/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201507070004.aspx

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シンポジウム:南米エクアドル、環境破壊の危機 鉱山開発考える 19日、上京・同志社大で /京都

2015-07-12 | 先住民族関連
毎日新聞 2015年07月07日 地方版
 南米エクアドルで豊かな自然と住民の暮らしを脅かす鉱山開発を通じ、「人権と開発問題を考えるシンポジウム〜資源開発の現場で何が起きているのか?」が19日午後2〜5時、京都市上京区の同志社大今出川キャンパス良心館306号教室である。市内に会員のいるNGOなどでつくる実行委員会が主催し、研究者ら4人が講演する。【太田裕之】
 エクアドルのインタグ地方はアンデス山脈の裾野に位置し、生態系豊かな霧雲林が広がる。近隣には先住民族も多く暮らし、住民たちが自然と調和した暮らしを続けてきたが、同国の鉱山開発公社などが銅・モリブデンの採掘を計画。環境破壊に反対する住民に圧力が加えられてきた。
 昨年4月には開発で大きな影響を受けるフニン村のハビエル・ラミレス村長(当時)が反逆罪で逮捕され10カ月拘留された。当局による監視など住民への抑圧が続く中、同村周辺を含む90カ所で試掘の準備が進められ、水質・土壌の汚染や森林破壊、農牧畜やエコツーリズムへの悪影響が懸念されている。
 シンポジウムでは、エクアドルのコーヒーを販売する「春風珈琲」の日下部伸行さんがインタグの過去20年の経過について▽京都外大客員研究員の小林致広さんがメキシコ先住民族居住地域での反対運動について▽同志社大経済学部教授の和田喜彦さんが放射能汚染について▽資源・環境ジャーナリストで京都大大学院経済学研究科共同研究講座特任教授の谷口正次さんが人権・労働・環境・政治腐敗の各側面について、それぞれ話す。
 4人との質疑応答もある。資料代1000円(学生無料)。問い合わせは実行委の一井さん(075・601・6409)。
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20150707ddlk26040543000c.html


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