室蘭民報 【2015年7月11日(土)朝刊】
白老で37年間医療活動に従事し「コタンのシュバイツアー」と慕われた高橋房次氏(1882~1960年)の功績を振り返る展示会(白老町教育委員会主催)が、18日から8月16日まで仙台藩白老元陣屋資料館で開かれる。
高橋氏は1922年(大正11年)、40歳のとき道庁立白老病院の初代院長に赴任、「新白老町史」は「赴任後直ちにアイヌの人々の診療に必要な基礎的調査を進めるため、各家庭を訪問し、健康状態を調べた」と伝えている。また「地域医療ことにアイヌの人々のため献身した」とも記している。1937年(昭和12年)同病院を引き継ぎ、高橋医院として開院、55年白老町名誉町民。60年(同35年)78歳で死去。町葬には千人余が参列した。亡くなる前年まで医療活動に従事したという。2009年(平成21年)高砂町の病院跡地にアイヌ記念公園が整備され、胸像が移設された。
展示するのは約100点。高橋氏の生誕地である栃木県小山市の親族、出身校である日本医科大、函館市中央図書館、道立図書館から借りた資料のほか、仙台藩白老元陣屋資料館所蔵の資料が並ぶ。
冬季の往診時に着用したタヌキの襟巻き、名誉町民のメダル、紋付き羽織、自筆の俳句集、蔵書、寄稿文が掲載されている新聞記事、手紙、年賀状、千島に渡った際の調査報告書「千島アイヌ論」、町葬参列者への礼状、「コタンの父逝く」と死去を伝える週刊誌など。展示写真は診療活動の様子や雪の中をつえをついて往診に向かう姿、診療の合間にお酒を傾ける様子、町葬などを収めている。
平野敦史学芸員は「これまで目にすることができなかった資料などを通して高橋医師の人となりを理解するいい機会になると思います。また2020年の象徴空間開設に向けてあらためてアイヌ民族と和人社会が過ごしてきた歴史を見直し、これからに生かしていくという気運を高めるのも大きな目的」と語り、多くの来場を期待している。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/07/11/20150711m_08.html
白老で37年間医療活動に従事し「コタンのシュバイツアー」と慕われた高橋房次氏(1882~1960年)の功績を振り返る展示会(白老町教育委員会主催)が、18日から8月16日まで仙台藩白老元陣屋資料館で開かれる。
高橋氏は1922年(大正11年)、40歳のとき道庁立白老病院の初代院長に赴任、「新白老町史」は「赴任後直ちにアイヌの人々の診療に必要な基礎的調査を進めるため、各家庭を訪問し、健康状態を調べた」と伝えている。また「地域医療ことにアイヌの人々のため献身した」とも記している。1937年(昭和12年)同病院を引き継ぎ、高橋医院として開院、55年白老町名誉町民。60年(同35年)78歳で死去。町葬には千人余が参列した。亡くなる前年まで医療活動に従事したという。2009年(平成21年)高砂町の病院跡地にアイヌ記念公園が整備され、胸像が移設された。
展示するのは約100点。高橋氏の生誕地である栃木県小山市の親族、出身校である日本医科大、函館市中央図書館、道立図書館から借りた資料のほか、仙台藩白老元陣屋資料館所蔵の資料が並ぶ。
冬季の往診時に着用したタヌキの襟巻き、名誉町民のメダル、紋付き羽織、自筆の俳句集、蔵書、寄稿文が掲載されている新聞記事、手紙、年賀状、千島に渡った際の調査報告書「千島アイヌ論」、町葬参列者への礼状、「コタンの父逝く」と死去を伝える週刊誌など。展示写真は診療活動の様子や雪の中をつえをついて往診に向かう姿、診療の合間にお酒を傾ける様子、町葬などを収めている。
平野敦史学芸員は「これまで目にすることができなかった資料などを通して高橋医師の人となりを理解するいい機会になると思います。また2020年の象徴空間開設に向けてあらためてアイヌ民族と和人社会が過ごしてきた歴史を見直し、これからに生かしていくという気運を高めるのも大きな目的」と語り、多くの来場を期待している。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/07/11/20150711m_08.html