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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

『ディストラクション・ベイビーズ』&『ヒメアノ〜ル』、門間雄介が“ヤバい映画”を分析

2016-05-26 | アイヌ民族関連
Business Journal (風刺記事) (プレスリリース)-2016.05.25

【リアルサウンドより】
 真利子哲也監督、柳楽優弥主演『ディストラクション・ベイビーズ』が絶賛されている。
「面白い映画ができました」
 試写の前、真利子監督はニコニコしながら言った。「ぜひ楽しんでください」。でもこれは「面白かった」とか「楽しかった」とか、そういったシンプルな感想とは最も縁遠い作品だろう、多くの人にとって。
 確たる理由もなく人に殴りかかり、伸されてもまた這いあがる獣のような男。柳楽扮する主人公の泰良はそういった男だ。彼のその野蛮な力に、ある者は翻弄され、ある者は惹きつけられ、またある者は恐れを抱く。あたかも暴力そのもの、暴力の化身のような泰良は、観る人に『ダークナイト』のジョーカーや『ノーカントリー』のアントン・シガーを想起させるかもしれない。でもジョーカーやシガーが凶行の果てに快楽を見出すのと違い、泰良はただ反射的に、膝を叩けば足がピョンと跳ねあがるような無意識の反応として、ひたすらに凶行をくり返す。だからそこには、善も悪も、快楽の欠片すらもない。あるのは混じりけのない純粋な暴力だけだ。
 そんな抽象的で象徴的なキャラクターを、柳楽は限りなく透明で、限りなく血なまぐさい存在として演じている。あ、野獣だ。その動物的な芝居に思わず目をみはる。彼のフィルモグラフィーを振りかえるとき、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した『誰も知らない』以上に、ある意味重要な意味合いを持つのが『許されざる者』だ。「誰?」。彼を観ても、はじめは彼だとわからなかった。クリント・イーストウッド監督の西部劇を、明治時代初期の蝦夷地に移し替えたこの作品で、彼が扮したのは和人の血を引くアイヌの青年。その野性味あふれるたたずまいには、かつてのあどけない面影どころか、スマホを眺め、カフェにたむろするような現代人の痕跡すら微塵もない。
これは憑依か投影か、いったいなんなのか。『誰も知らない』は俳優=柳楽優弥を産み落とした記念すべき作品だが、そのポテンシャルを本格的に開花させたのは『許されざる者』だ。『ディストラクション・ベイビーズ』はそんな彼の才能が隅々まで目いっぱい解き放たれた作品になった。
 インディペンデントの奇才として、その商業映画デビューが長く長く待望されてきた真利子にとっても、もちろんこの作品はブレイクスルーの一作になるだろう。力の暴発を描く映画はこれまでにもたくさん存在した。でもほとんど言葉を発することなく、心のうちをさらけ出すこともない、なおかつ作品のラストまで役名が明かされないキャラクターを主人公に据えたことで、真利子は現代的な暴力の匿名性や拡散性に言及する。作品の冒頭、主人公の背後に寄り添うカメラが、このキャラクターの視点と観る人の視点を重ねて提示するのは、彼はあなたであり僕でもあり、あるいは何者でもないのかもしれないというリアリティーだ。泰良の暴力が菅田将暉扮する高校生の裕也、小松菜奈扮するキャバ嬢の那奈に感染し、しまいには村上虹郎扮する弟の将太をも取り込もうとするのも、また泰良の暴行がSNSによってシェアされたりリツイートされたりしていくのも、もともと彼の記名性を強く持つはずの行為が、拡散し、やがて名無しの誰かの暴力に変質していくさまをとらえている。そんな自爆テロやメディアリンチにも通じる性質を長い射程に収めた真利子の嗅覚。卓越している。
 菅田、小松、村上、それから池松壮亮といった既に引く手あまたのキャストに加え、北村匠海、岡山天音、吉村界人ら、関係者が一様に注視する20代前半から10代後半の俳優を起用し、一定の期間、彼らを地方ロケのために拘束しているのも、考えてみればすごいことだ。
「オリジナル脚本、地方が舞台、このテーマ……プロデューサーが嫌がることを商業デビュー作で全部やっている」
 そんなことをぶつくさ言いながら、なぜかうれしそうだった表情が忘れられない。撮影が終了して間もない頃の西ヶ谷寿一プロデューサーだ。真利子の中編『NINIFUNI』をプロデュースし、TVシリーズ『ノーコン・キッド ~ぼくらのゲーム史~』『ディアスポリス -異邦警察-』でも真利子を監督のひとりに指名した彼が、確かな関係性を育み、昨今の日本映画ではなかなか成立しにくい企画を推し進めた。彼のプロデュース作品には共通点がある。冨永昌敬監督『パビリオン山椒魚』『パンドラの匣』、沖田修一監督『南極料理人』『横道世之介』、井口奈美監督『犬猫』『人のセックスを笑うな』、岨手由貴子監督『グッド・ストライプス』。インディペンデントの才能に機会を与え、世に出し、その後へと至る道筋をどう付けるか。彼の続くプロデュース作品は、『横道世之介』で脚本を務めた劇作家、前田司郎の監督2作目『ふきげんな過去』だ。スタッフに関して付記するなら、同じく『ふきげんな過去』や『ディアーディアー』で撮影を手掛ける佐々木靖之のカメラが、ある種のみずみずしさとともに登場人物らの破滅的と言っていい刹那を記録することに成功している。
 ヤバい映画を作ろう。まるで示し合わせたかのように、バイオレンスを妥協なく描こうとする映画が立て続けに公開される。でもエグい描写を盛り込んだからといって、それでヤバい映画ができあがるほど話は単純じゃない。その点、『ヒメアノ~ル』はよく練りあげられた構成のもと、緊張と弛緩の緩急を自在に使い分け、日常に不意に侵入してきた連続殺人鬼の恐怖を体感させる。
 前半の童貞臭あふれる日常はイカ臭く馬鹿馬鹿しく。一点して殺人鬼の狂気が日常に浸潤する後半は残酷で凄惨に。脚本も自ら書いた吉田恵輔監督の腕が冴えわたる。『さんかく』『ばしゃ馬さんとビッグマウス』など、恋愛を中心に人間の関係性を底意地悪く見つめたオリジナル脚本作で評価の高い吉田だが、古谷実のコミックを実写化した本作でも彼の持ち味は失われていない。いや、それどころか人間の闇に深く切りこむことで、脚本も演出も覚醒したと言っていいだろう。
 唸ったのはこんなシーンだ。濱田岳扮するチェリーボーイの岡田は、高嶺の花だったユカと思いもかけず結ばれ、イチャイチャベタベタしている。一方、森田剛扮するシリアルキラーの森田は、手駒のようにこき使う同級生とその婚約者に襲われるが、反対に彼らを惨殺する。その明と暗の対比を、後背位で絶頂に至るユカと背後からメッタ刺しにされ失禁する婚約者のカットバックで見せる、鮮やかさ、嫌らしさ、惨たらしさ!
 森田剛扮する冷酷無比な森田は、荒み、乾ききって、人間らしい血とも涙とも無縁だ。すぐそこにいそうな、ごく普通の青年を演じさせたら、濱田の右に出る者はいないこともあらためてわかる。他にも、ユカ役の佐津川愛美、風変わりすぎる先輩役のムロツヨシなど、キャスティングは的確で抜かりがない。『ヒメアノ~ル』。これは紛れもなくヤバい映画だ。
■門間雄介
編集者/ライター。「BRUTUS」「CREA」「DIME」「ELLE」「Harper's BAZAAR」「POPEYE」などに執筆。
編集・構成を行った「伊坂幸太郎×山下敦弘 実験4号」「星野源 雑談集1」「二階堂ふみ アダルト 上」が発売中。Twitter
■公開情報
『ディストラクション・ベイビーズ』
公開中
監督・脚本:真利子哲也
脚本:喜安浩平
出演:柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎、池松壮亮、北村匠海、三浦誠己、でんでん
配給:東京テアトル
(c)2016『ディストラクション・ベイビーズ』製作委員会  
公式サイト:distraction-babies.com
『ヒメアノ〜ル』
5月28日(土)、TOHOシネマズ 新宿ほか全国公開
監督・脚本:吉田恵輔
原作:古谷 実
出演:森田剛、濱田岳、佐津川愛美、ムロツヨシ 
配給:日活
(c)2016「ヒメアノ〜ル」製作委員会
公式サイト:himeanole-movie.com/
http://realsound.jp/movie/2016/05/post-1768.html

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アイヌ語トランプと日本のことわざかるた 及川久美子さん、訪日外国人向けに考案

2016-05-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 5/25)

アイヌ語トランプと日本のことわざかるたを手にする及川さん
 苫小牧市弥生町に住む及川久美子さん(57)が、訪日外国人向けにアイヌ語トランプと日本のことわざかるたを作成した。トランプは苫小牧西港フェリーターミナルの土産店「メモリア」、かるたは新千歳空港国際線ターミナルビル内の売店「小笠原商店」で販売中。及川さんは「外国の人たちが、アイヌ語や日本のことわざを覚えるきっかけになれば」と話している。
 トランプとかるたはアイヌや日本の文化を広く知ってもらおうと、増え続ける外国人観光客をターゲットに作成。トランプはアイヌ文化の伝承者として知られる平取町二風谷に住む山道康子さんの協力を得て、約半年間かけて完成させた。
 アイヌ文化に関心を持ち、長年、アイヌ語に触れてきた及川さんは「道内の地名の大半はアイヌ語に由来している。北海道が誇れる文化だが、消滅の危機にある」と話す。実際、国連教育科学文化機関(ユネスコ)も世界の約2500ある言語の中で、アイヌ語は消滅の危機にあると指摘している。
 トランプはカードの上半分にさまざまなアイヌ語を記載。発音をカタカナとローマ字で表記し、その下に日本語と英語で語句の意味を記している。54枚すべて違う単語で構成している。
 ことわざかるたも、外国人に日本のことわざの意味を知ってもらおうと取り札の裏側には、表側にローマ字で書かれていることわざの英訳とその意味を英文で記載した。及川さんは「トランプやかるたといった遊びから、日本とアイヌの文化を感じてほしい」と、期待を寄せる。
 アイヌ語トランプは1000円(税込み)、ことわざかるたは2000円(同)。紀伊國屋書店札幌本店などでも販売している。
http://www.tomamin.co.jp/20160538758

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時評 5月 「日本」の真実 境界にいる者のみが知る=田中和生

2016-05-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年5月25日 東京夕刊
 二〇二〇年開催予定の東京オリンピックについて、日本の大手広告代理店が仲介して適切ではない金銭授受があった可能性があり、フランス検察当局が捜査しているという報道が、イギリスの「ガーディアン」電子版(五月一一日付)に出た。二億円という金額も、国際的な信頼という意味でも、舛添要一東京都知事の公私混同した金銭問題よりはるかに重要なはずだが、日本のマスメディアで報道される比重はまったく逆である。
 不思議だと思っていたら、フランスのネット記事「電通は日本のメディアを支配しているのか?」(マチウ・ゴレン記者)の翻訳が目に入り、そこから本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書)を読み、あらためて報道の自由度が世界七二位である日本の現状を実感した。三・一一の震災後に虚偽であることが明らかになった「クリーンエネルギー」である原発の「安全神話」を生んだ、電気料金に上乗せできる広告費によって維持される政・官・財一体の「大本営発表」体制は、おそらくいまも健在である。
  ■   ■
 こうした広告という生活の一部が政治的な役割を担い、戦前から変わらない「空気を読む」文化のなかで、真実が語られにくくなるという日本のメカニズムは、現在の文学作品にも影を落としている。たとえば寓意(ぐうい)的な作品を得意とする三崎亜記は、中篇(ちゅうへん)「愛国の魚群」(『すばる』)で東西冷戦後の韓国と北朝鮮のように、分断されているらしい近未来の日本を描く。語り手の「私」が所属しているのは、愛国心によって宗教を克服した国民が自発的に「大本営発表」を信じる、東経一三八度以東の「分断日本東」である。
 そこに震災以前の日本がそのまま残ったような、劣っているとされる隣国の「分断日本西」から研修生がやってくる。国際政治を学んでいるという研修生と「私」のやりとりは、徹底的にすれ違うが、しかし憲法九条と自由が生きている「分断日本西」が、その生活とメディアと政治が一体化した「分断日本東」を相対化する力をもつわけではない。たがいに理解を絶したまま気を遣いあって、どこに「日本」の真実があるのかわからない不透明さが残るのが、作品としても不気味だ。
 女性として結婚と出産を無意識に強いられる、生身の身体が所属する世界が正しいとは思えず、コンビニの店員としてシステムに身を委ねる方が心地よいという女性を描いた、村田沙耶香の中篇「コンビニ人間」(『文学界』)は、とくにコンビニの描写が秀逸だ。ただどちらの世界にも真実がないという感触が三崎作品に通じ、一つの限界になっているようにも思える。こうした不透明さを突破するためには、真実が語られない日本的な世界の境界まで言葉をもっていく必要がある。
  ■   ■
 そのような意味で、日本語による現代文学のひとつの理想型を提出しているのが、津島佑子の遺作となった長篇『ジャッカ・ドフニ』(集英社)だ。作者自身を思わせる語り手の「私」は、震災後半年ほどになる日本にいて、北海道網走にある北方民族博物館を訪れる。そうして思い出すのは、二十六年前に幼い息子と訪れたことがあり、昨年閉館したばかりの、トナカイ遊牧民ウィルタ族の資料館「ジャッカ・ドフニ」である。
 アイヌ民族の口承文芸「カムイ・ユカラ」にも魅せられている「私」は、日本的な世界の外にある言葉を求めるように、少数民族が生きる土地に立って想起する震災前の自分を「あなた」と呼び、その「あなた」に流れ込む言葉を記録する。そしてそこから力強く立ち上がってくるのは、アイヌの血を引く北海道生まれの孤児で、江戸時代に入って迫害されているキリシタン一行と津軽から長崎、さらにマカオへと海を渡って流転して生きる女性「チカ」の物語だ。
 アイヌ語で鳥(チカップ)の名をもつ「チカ」は、十七世紀でオランダが支配するバタビアまで辿(たど)りつき、そこで子を産んで生を刻みつける。その「水に流されて」豊かに命を育む「チカ」の物語は、かつて「水に流されて」息子を失った「あなた」の記憶と対になり、震災後にいる「私」の「ジャッカ・ドフニ」、ウィルタ語で「大切なものを収める家」まで届く。こうしてウィルタやアイヌの隣には、被災者や日々見えない放射能に苦しむ被曝(ひばく)者がいることに気づかされるが、それはつまりわれわれ自身のことである。
 おなじく境界にいる者の姿を突きつけてくるのは、群像新人文学賞を受賞した崔実(チェシル)の長篇「ジニのパズル」(『群像』)だ。東京からハワイ、さらにオレゴンへと学校を変わってきたらしい「私」は、アメリカ合衆国という境界の外で、かつて日本にいた自分について語る。そこに生々しく浮かび上がってくるのは、日本生まれの在日朝鮮人である「私」が、中学生になって通うことになった朝鮮学校での日々である。
 北朝鮮からデポドンが発射された二十世紀末の日本で、チマチョゴリを着て北朝鮮指導者の肖像が掲げられた学校へ通う、日本語しか話せない「私」は境界そのもののような存在だ。だがその「私」の生きづらさは、真実が見えない日本的な世界の「真実」を表現している。力強い新人の登場だ。(文芸評論家)
http://mainichi.jp/articles/20160525/dde/018/070/009000c

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憎悪表現対策法 差別許さぬ社会に向けて

2016-05-26 | アイヌ民族関連
西日本新聞2016年05月25日 10時35分
 特定の民族や人種に対する差別的言動の根絶を目指すヘイトスピーチ(憎悪表現)対策法がきのう衆院本会議で可決、成立した。
 憲法が保障する表現の自由を侵す恐れがあるとして禁止規定や罰則は設けなかった。いわゆる理念法で実効性を疑問視する声もあるが、差別を許さない社会づくりに向けた契機と捉えたい。
 ヘイトスピーチは2013年ごろから顕在化した。在日コリアンが居住する東京・新大久保地区などで一部団体が「日本から出て行け」「殺せ」など聞くに堪えない掛け声を上げながら集団で行進する。常識を疑う恥ずべき行為だ。法務省によると、こうしたデモは年間約300件が確認された。
 街頭で耳にする側は恐怖心さえ覚えることを知るべきである。同時に、日韓併合(1910年)によって朝鮮半島の人たちが日本に住むようになった歴史的経緯を改めて正しく認識すべきだ。
 法案は与党の自民、公明両党が共同提案し、参院で野党案を一部取り入れ衆院に送付されていた。
 ヘイトスピーチを許してはならないのは当然である。法制化の最大の問題は「言論」に対する規制の可否だった。法の規定が曖昧では公権力が拡大解釈して恣意(しい)的に運用する恐れがあるからだ。
 今回の対策法は、保護対象を日本以外の出身者や子孫で日本に適法に居住する者と限定した。その上で、地域社会から排除することや危害を加えることをあおったり、著しく侮蔑したりすることは「許されない」とし、国や自治体に啓発と教育を求めている。
 地区出身者やアイヌ民族など実際にヘイトスピーチの矛先が向いた人たちが含まれていない。不十分であることは提案者側も認め、付則で今後の検討課題とした。法の趣旨に沿い、生命を脅かすなど悪質な行為には既存の法令を適用するなどして対応したい。
 そもそも基本的人権を尊重する成熟した社会ならば本来、こうした法律は無用であるはずだ。対策法を必要とする社会のありようもまた問われているのではないか。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/247493


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【父の教え】「好奇心を育て、知ることの楽しさ教えてくれた」 言語学者・金田一秀穂さん

2016-05-26 | アイヌ民族関連
産経ニュース-2016.5.25 09:08更新

「今月、父の十三回忌でした。長くも短くもなく、こんなものなんでしょうね」と語る金田一秀穂さん=東京都三鷹市
 親しみやすいユニークな語り口で日本語の面白さを伝えている言語学者の金田一秀穂さん(63)。アイヌ語の研究で名高い祖父、京助さんから3代続く学者の家系。日本語の方言や音韻、アクセントの研究で大きな功績を残し、辞書の編者としても有名な父、春彦さんは、普段の会話を通して物事を知ることの楽しさを教えてくれた。
 明治生まれで厳格、家庭を顧みずに研究に打ち込んだ祖父に比べると、大正生まれの父は家族思いで「俗物」だった。「お金を稼ぐこと、有名になることが大事。家族としては(祖父より父の方が)ありがたい。『~しなさい』と父に言われた覚えはありません。遠くから見守ってくれている、という感じでしたね」
 国語学者だった父だが、本でさえ「これを読め」と命じたことはなかった。愛読していた「三国志」「十八史略」といった中国の歴史書は薦めてくれたが、「これ、面白いぞ」とそっと置いていくだけだった。
 何かを強制することはないが、面白いと思うことは子供たちと楽しんだ。
 小学生だった頃、方言の研究を兼ねて講演で全国を歩いた父には、何百枚もの年賀状が届いた。それを差出人の住所で都道府県ごとに分け、日本地図を作っていた。「『あ、島根だ』とか言って、父は喜んでる。僕は僕で『謹賀新年』とか『迎春』とか祝詞で分けた。それで去年より『謹賀新年』が多いぞ、なんて父に報告する。すると父は『ふうん』と感心してすごく喜んでくれましたね」
 混沌(こんとん)とした物事を、ある基準に基づいて分類し、整理する。それはあらゆる研究の第一歩だ。日々の発見を伝えると、いつでも感心してくれた。自然な好奇心を育て、知ることの面白さを教えてくれた。
 大学では心理学を専攻したが、卒業後は定職に就かず、3年ほど「今でいうニート」だった時期がある。好きな時間に起きて本を読み、散歩する。「父は特に何も言わなかった。僕のことを信頼して、待っていてくれた」
 そんなふうに過ごしていた昭和54年、父の仕事に同行して中国を訪れた。昼間、父が講義をする間に街を歩き、寄席のようなものをやっている場所など興味深いところを見つけては、父と2人で改めて出かけた。「僕ね、好奇心だけはあるんです。僕の好奇心は父も好き。つまり、面白いと思うことが一緒なの」
 中国旅行の後、外国に出たいとぼんやり考えていた頃、「日本語を教える仕事があるぞ」と教えてくれたのも父だ。春彦さんのキャリアは戦中、中国人留学生に日本語を教えることに始まる。父の背中を追って「ニート」から脱し、中国や米国で日本語を教える仕事に就き、現在に至る。「『正しい日本語』なんて言うけれど、父が言っていたように『言葉はみんなのもの』だと僕も思う。みんながその言葉を使って楽しんでいるなら、それでいい。父は『規範』というものから遠いところにいた」
 3代続く言語学者だが、研究に打ち込み功績を残した祖父や父とは違う、と笑う。「でも、正しいとか間違っているとか判断する前に面白がるっていうのは父譲りかな。いいものをもらったと思います」(戸谷真美)                   
◇≪メッセージ≫
 僕は、相変わらず楽しく生きてます。「今こんなことしてる」って話したら、やっぱり「ほお」って聞いてくれるんだろうな。
◇【プロフィル】金田一春彦
 きんだいち・はるひこ 大正2年、東京都生まれ。東京帝大(現東京大)国文学科卒。国語学者。「新明解古語辞典」をはじめとする辞書の編者としても知られる。上智大教授、東京外大教授などを歴任。平成9年、文化功労者。16年、91歳で死去。            ◇【プロフィル】金田一秀穂
 きんだいち・ひでほ 昭和28年、東京都生まれ。上智大心理学科卒、東京外大大学院博士課程修了。中国大連外語学院講師、米ハーバード大客員研究員などを歴任し、杏林大外国語学部教授。専門は日本語教育。著著に「適当な日本語」など。
http://www.sankei.com/life/news/160525/lif1605250007-n1.html


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解消法成立、国の責務に ヘイト定義は曖昧のまま

2016-05-26 | アイヌ民族関連
産経新聞 5月25日(水)7時55分配信
 自民、公明両党が提出した特定の人種や民族への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)の解消をめざす法律が24日、衆院本会議で可決、成立した。憲法が保障する表現の自由を尊重し、禁止規定や罰則は設けていない。
 解消法は、在日韓国人らに向けた言動を念頭に、適法に日本に住む日本以外の出身者や子孫に対する「不当な差別的言動は許されない」と明記。対象の言動を「差別意識を助長する目的で、公然と危害を加える旨を告知したり、著しく侮蔑したりして地域社会から排除することを扇動する」ものと定義した。
 相談体制の整備や教育、啓発活動の充実に取り組むことを国の責務と定め、自治体には同様の対策に努めるよう求める。付則では、こうした取り組みについて「必要に応じて検討を加える」とした。
 野党は審議段階で「適法に居住」「日本以外の出身者」との要件に関し「不法滞在の外国人やアイヌ民族への差別的言動が野放しになる」と批判。これを踏まえ憲法と人種差別撤廃条約の趣旨に照らし、国や自治体に適切な対処を求める付帯決議を採択することで決着した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160525-00000067-san-pol


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(社説)ヘイト対策法 差別を許さぬ意識こそ

2016-05-26 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2016年5月25日05時00分
 特定の人種や民族への差別をあおり、人としての尊厳を傷つける。そんなヘイトスピーチの解消をめざす法案がきのう、衆院本会議で可決、成立した。近く施行される。
 具体的な禁止規定や罰則のない理念法で、効果については意見が割れる。だが「不当な差別的言動は許されない」と明確に宣言する初めての法である。
続きは無料登録
http://www.asahi.com/articles/DA3S12374620.html

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