FINDERS 9/18(金) 18:01
※編集註:この文章は、9月18日に出版されたレベッカ・ソルニット『【定本】災害ユートピア』(亜紀書房)掲載の巻末解説「レベッカ・ソルニットを読み解く 災害ユートピアが生まれた背景」(執筆:渡辺由佳里)を基として、漢数字の年月日表記の英数字化など、最低限の表記変更を加え、FINDERS編集部が付けた記事タイトル・小見出しを挿入しております。2010年に邦訳版が出版されて以来、日本でも地震・台風など大型災害が発生する度に言及されてきた同書ですが、定本版では旧版での抄録部分、原注などを完全収録し、60ページに上る増補も加わっているとのこと。ぜひこの機会に読んでみてください。
思想家?社会活動家?フェミニスト?
私は、2020年刊行の『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)の翻訳を担当したのをきっかけに、日本でのレベッカ・ソルニットの愛読者とソーシャルメディアなどで言葉を交わすことが増えた。そこで気づいたのが、読者によってソルニットという人物の捉え方が異なるということだった。
『ウォークス 歩くことの精神史』や『迷うことについて』が好きだと言う人は、ソルニットを博学な思想家として捉えているようだし、『暗闇のなかの希望』に共感したやや年配の男性にとってはリベラル左派の社会活動家の印象が強いようだ。そして、『説教したがる男たち』を読んだ女性読者は、フェミニズムの代表的論者としてのソルニットに強い共感を覚えている。
私がソルニットについて初めて触れたのは、『説教したがる男たち』の元になったエッセイについてだった。現在では「マンスプレイニング」という言葉が日本でもよく使われるようになっているようだが、私が「なぜ男は女に説明したがるのか? アメリカでも揶揄されるmansplaining」というエッセイをケイクスに書いた2015年当時には、アメリカでも新しい用語だった。これはMan(男)とexplain(解説)を掛けあわせた造語で、あるオンライン辞書は「男性が、(そのトピックについて)中途半端な知識しかないにもかかわらず、自分のほうが相手(特に女性)よりも詳しいという誤った前提にもとづき、見下した態度で語りかけること」と説明する。ソルニット自身が作ったわけではないが、この造語が流行語になったきっかけは、彼女が2008年4月にロサンゼルス・タイムズ紙に載せたエッセイだった。
ソルニットがまだ40歳くらいの頃に、友人と一緒にリゾート地アスペンの大金持ちの別荘でのパーティに出席した。雰囲気に馴染めなくて立ち去ろうとしたのだが、パーティ主催者である年配の男性につかまって質問攻めにあい、その年に刊行した写真家エドワード・マイブリッジの本、『River of Shadows: Eadweard Muybridge and the Technological Wild West』について語ろうとした。すると、マイブリッジという名前を耳にした男性は、すぐさま「それで君は、今年出版されたマイブリッジについての重要な本のことを知っている?」と話をさえぎり、いかにも「教えてやる」という独善的な態度で、その「重要な本」について彼女に解説し始めた。ソルニットの友人が、「それは彼女の本よ」と何度も割り込んだのに、男性はそれにすら耳を傾けようとしなかった。そのうえ、彼は『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評だけで、この「重要な本」について読んですらいなかったというオチもある。
このマイブリッジの本でソルニットを知ったアメリカ人にとっては、彼女は歴史ノンフィクションの著者のイメージがあるだろう。
けれども、日本では、本書『災害ユートピア』でソルニットを知った人が多いようだ。日本で最初に刊行されたのが2010年12月で、その3ヶ月後に東日本大震災が起こったというタイミングも大きかったと思う。動揺し、不安を抱える多くの読者が、この本から何かを得ようとしたのだろう。震災直後のソーシャルメディアでは、被災地の人々に対する差別や専門家への誹謗中傷などやるせないことが目についた。けれども、現地ではソルニットが書いたような住民たちの支え合いが起こっていた。この書でのソルニットは、『暗闇のなかの希望』に通じる社会活動家であり、エリート層に踏みつけられている人々の代弁者である。
それぞれの読者から見えるソルニットのイメージは異なるようだが、私にとってはいずれのソルニットも違和感がない。『ウォークス 歩くことの精神史』や『迷うことについて』の原書を読んだときも、自分の人生に重ねて共感を覚えた。たとえば、私は重度の方向音痴であるにもかかわらず異国でひとりきりで歩くのが好きで、よく道に迷う。道に迷うことで怖い思いをしたこともあるが、迷ったからこそ得られた思いがけない宝物のような体験も数え切れないほどある。人生においても、目標に向かって直進したことがなく、よく迷路に入り込んでしまう。日本の田舎の中学生だったときに弁論大会で、「人混みに埋もれて見えなくなる自分になりたくない」「そこに道があるから歩くのではない。自分が歩くから道ができるのだ」といったことを語ったときから、それを実践するために大小の旅と闘いを続けてきた気がする。その過程で、想定していなかった自分に変わっていく。ソルニットの書くものはすべて、彼女が歩き、迷ってきた過程を反映していると思うのだ。
ひとりの女性が、どんな社会問題に対して強く感じ、それについて書こうと思うようになったか
人間には多くの側面があってあたりまえなのだが、ひとつの専門的な側面しか見せないことが多い。ひとつの面で知られるようになると、別の側面を見せにくくなる。周囲からのプレッシャーだけでなく、自分で自分に制限を与えてしまう。
けれども、ソルニットはそれをしない。自分が強く感じることや興味を抱くことの中に自ら飛び込み、体験し、掘り下げ、幅広い知識につなげて自分の言葉で語る。その知識の大きな箱の中に入っているのは、ギリシャ神話であったり、おとぎ話であったり、アメリカ先住民族の歴史だったりする。社会問題を語るときでも、激しい口調で糾弾するのではなく、神話や伝説を交え、詩的な言葉でストーリーテリングをしてくれる。私がソルニットに共感するのはその部分だ。
2020年3月にアメリカで発売されたソルニットの回想録、『Recollections of My Nonexistence』を読んで、ソルニットというよりも、私が彼女に共感を覚える理由がさらに理解できるようになった。
回想録と言っても、そこはソルニットのことだから、普通の回想録ではない。どんな子供時代を送って、どんな学校でどんな体験をしたとかいった説明はないし、リニアに進むわけでもない。けれども、ひとりの女性が、どんな社会問題に対して強く感じ、それについて書こうと思うようになったのかは感じ取ることができる。
家族問題なども抱えていたソルニットは、高校には行かず15歳でGEDという検定試験に合格して高校卒業に相当する証書を得た。16歳からコミュニティ・カレッジに通い、17歳で4年制のサンフランシスコ州立大学に転入した。貧乏だった彼女は、19歳のときに自分の予算内で住めるアパートを見つけ、その時から黒人の住民が多い地区で暮らし始める。このときのソルニットは「自分が誰なのか、どうやってその人物になるのか、その答えをみつけようとする、まだ初期の段階だった」と振り返る。けれども、この地域に住むことで、ソルニットは自分が特権階級の白人であることや、女であるというだけで命の危険にさらされるという現実を把握するようになった。彼女は、自分の体験からマジョリティの傲慢さとマイノリティの苦痛に目を向けるようになったのだ。
観察眼と分析力があるソルニットは、自分にはそれを文章で表現する能力があることも感じていた。その能力に磨きをかけるためにカリフォルニア大学バークレー校のジャーナリズム大学院に入学したのだが、生真面目な大学生よりも若くてパンクロック的な彼女には、あまり合わなかったようだ。同級生たちはニューヨーク・タイムズ紙の一面記事を書く硬派の記者を目指していたが、ソルニットはエッセイストになりたかった。
ソルニットが書きたいと思ったのは、「直線的で論理的(linear and logical)なものよりも、直感的で連想的(Intuitive and associative)」、そして「もっと親密でリリカル(more intimate and lyrical)」な文章だった。とはいえ、硬派のジャーナリズムを学ぶのは決して無駄なことではなかった。どのようにして物事を探し出すのか、どうファクトチェックをするのかといったことを、ソルニットはここで徹底的に学んだのだ。
環境問題を書くようになったのにも、彼女の個人的な体験が関わっている。ソルニットがネバダ核実験場での大規模な反核抗議運動に初めて参加したのは1988年のことだが、その運動をオーガナイズしていたひとりが彼女の弟だった。
その間にも、ソルニットは「ハングリー」でい続けた。食べることよりも、愛されることや、物語、書物、音楽、権力にハングリーだった。そして、何よりも「真に自分自身の人生(truly mine)」を生きることと、「自分自身になること(become myself)」に対してハングリーだった。
飢えを自覚できるのは、お腹が空いているのに食べ物を手に入れることができない者だけだ。ソルニットが「真に自分自身の人生」を手に入れようとしてあがいているときに何度も邪魔したのが女性に対する社会の構造的差別であり、ミソジニー(女性蔑視)だった。若い女性は、独り歩きをしているだけでレイプされたり、命を失ったりする危険がある。しかも、そうなったときに女性のほうが責められる。仕事でも、女性というだけでまともに扱ってもらえないことがある。そういったことで深まるのは、「ひとりの人間として公平に扱われ、尊敬される」ことへの強い飢餓だ。
私は1960年生まれで、1961年生まれのソルニットとはほぼ同い年だ。育った国は異なるが、同じような思いを抱えて生きてきた。学生運動がまだ盛んだった1970年代後半には、「社会正義」で拳を振り上げる男子学生たちが平気で女子学生に身の回りの世話をさせていたし、私が普段から考えていることを口にすると、男子学生から「難しいことを言うと可愛くないよ」と言われた。信用していた知人から性的暴力を受けたこともある。20代後半に企業で責任ある仕事をいくつも押し付けられていたときには、社長から「あなたの給与のほうが多いとわかると、男性社員が士気をなくすから」と仕事に見合う給与を拒否されたことがある。
こういった体験がない人には、そのとき私やソルニットが感じた怒りや、女として生きることの独自の「飢え」を理解しにくいと思う。社会活動家としてのソルニットに共感を覚えても、フェミニストとしてのソルニットに違和感を覚えるとしたら、この「飢え」を体験したことがないからかもしれない。
飢えを体験するのはアンラッキーであり、ラッキーでもある。なぜなら、飢えの体験なしには、個性的で卓越したエッセイストとしてのソルニットはありえないからだ。
数々の体験と、そこから導き出す学び、それらにもとづいて取る行動、それらの積み重ねが人物を作りあげる。同じ体験をしても、それをどう捉えるのか、そこから何を学ぼうとするのか、それぞれの選択で、異なる人物が出来上がる。それがソルニットの書く、「あなたの人生は線ではなく、何度も、何度も分岐していく枝で描かれるべきだ(Your life should be mapped not in lines, but branches,forking and forking again)」ということなのだ。
多くのアメリカ人ですら知らないアメリカ西部の歴史を語るソルニットも、環境問題を語るソルニットも、トランプ政権を批判するソルニットも、若きフェミニストらから尊敬されるソルニットも、すべてひとりの女性であり、60年近く「真に自分自身の人生」を生きようとしてきたひとりの人間である。
きっと、読者のみなさんも、他人が知らない多くの側面を持ったひとりの人間であることだろう。そのユニークな複雑さに価値がある。
だからこそ、あなたが知らなかったソルニットの側面に出会ったとき、そこから目を背けないで欲しい。それは、あなたが知らなかった「飢え」を知るチャンスなのだ。そして、あなたの人生に沢山の枝葉ができるきっかけなのだ。
『災害ユートピア』を読むときに、この文章を書くに至ったひとりの女性の人生を想像していただくと、さらに素晴らしい読書体験ができることだろう。
渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
https://news.yahoo.co.jp/articles/083a3ed076fb03b11d5402edb5f2c795b3114c21