北海道新聞 01/03 18:00
こちらの女性、見たことある人も多いのでは? 「北のアリョーナ」ことアリョーナ・ブズドゥガンさん(31)。北海道のローカルテレビ番組に出演し、道民にはおなじみかもしれない。タレントだけではなく、通訳やロシア語講師としても活躍。2020年3月にユーチューブ・チャンネル「北のアリョーナ」を開設し、さらにファンを増やしている。「これまで以上に北海道の魅力、伝えていきますよー!」。彼女の北海道愛、その原点は?(編集本部 椎葉圭一朗、鰐渕小百合)
■ソ連崩壊後のサハリン 漁師の父のお土産で膨む北海道への憧れ
12月間近の札幌・大通公園の夕刻。もう日は落ち、幻想的なイルミネーションが輝き始めた。鮮やかな光を背景に、セルフィー(自撮り棒)を使いこなしさまざまな角度から動画を撮影する。こだわりは臨場感だ。「VRを見ているみたいに、ここに来られない人にも北海道を感じてほしいんです」
彼女が初来日したのは2008年、北海道文教大への約1ヶ月の交換留学だった。念願の日本だったという。
なぜ念願だったのだろう。
生まれ育ったサハリン島の南、アニワ湾に面した港町コルサコフは、人口3万4千人ほど。漁業が主な産業のまちだ。幼かったころ、1990年代のサハリンはソ連崩壊後の混乱の真っ只中。母に当時のことを尋ねると、スーパーには食べ物も十分に並ばないほど、景気が落ち込んでいたのだという。
そんな中、漁師だった父はよく小樽や函館を訪れ、お土産を買ってきてくれた。「日本の服はとってもかわいくて見えて。ピンクのズボンがお気に入りでした。サハリンでは私が一番おしゃれだったんですよ! 覚えているのはハローキティのぬいぐるみや『しまむら』の洋服とか! お土産がとっても、とってもうれしかった」
交換留学の後、北海道大学大学院国際広報メディアコミュニケーション学科などで学んだ。北大在学中の2013年、HTB(北海道テレビ)のディレクターにスカウトされ、情報番組「恋する北海道」に出演したことをきっかけにタレントデビュー。番組で出会う北海道の食や自然、暖かい人たち、その魅力にはまっていった。通訳の仕事を含めると、これまで道内179自治体の約7割を訪れた。
■ユーチューブチャンネル開設 多言語で発信が目標
「口のなかに入れた瞬間、うま味、甘みがブワァーーっと広がって、とってもおいしいんですね!」。食レポするのは、鮭のルイベ。「ああ、最高、幸せ」。道産焼酎のあてはアサリの酒蒸し。アリョーナが動画で紹介するのは道内の海の幸、山の幸だ。
一方、 旅動画では、夏の富良野のラベンダー畑、秋の札幌・定山渓の紅葉など。道内の四季の魅力を伝える。
道内各地を巡ったこれまで。これからも自分らしい表現で、多くの人に見てほしい-。2020年3月、ユーチューブ・チャンネル「北のアリョーナ」を開設した。1年たたずに登録者数は約1.5万人を数えることになった。
動画編集は独学で、他のユーチューバーを見て研究中だ。日本語の動画製作に力を注ぐ一方、ロシア語に英語の字幕をつけたチャンネル「ALENA IN JAPAN」も立ち上げた。
取材、撮影、編集、機材の管理、作業はほぼ全て一人。世界中、誰もが見ることのできるユーチューブの世界だからこそ、クオリティは落としたくない。ユーチューバーとしては新米だから、量産はできない。「毎日、動画をアップするユーチューバーもいます! あー、無理、ありえない! 今は1週間に1本が限界ですね」。撮影、編集のスキルを高め、今後はロシア語や英語での動画製作も増やしていくつもりだ。
■日ロ交流の火種消したくない
「こんなに近いんだ!って、改めて思いました」。そして「こんなに近いのに」とも。
アリョーナは2018年から北海道演劇財団の「フレップの花、咲く頃に」に出演している。終戦直後のサハリン、日本人とロシア人、樺太のアイヌ民族、朝鮮人の「混住」の時代を描いた作品で、ソ連の女性役を演じる。
2020年、千秋楽で稚内を訪れた。宗谷岬からはふるさとの島影がみえ、「こんなに近いんだ!」と改めて感じた。一方で、稚内とコルサコフを結んでいたフェリーの定期航路は経費を巡る問題で運休しており、再開の見通しが立っていない。
サハリンと北海道、「お互いの距離がもっと縮まれば」と胸に抱く。そのために、交流を続ける大切さを訴える。
「“恐ロシア”(おそロシア)とか言われますけど・・・笑 そんなことないんですよ! ロシアに行ってみて良かった! ロシア人は温かいんだね!と言ってくれる人、たくさんいます!」
2014年から通訳として参加する「青少年サハリン・北海道『体験・友情』の翼」(北海道・ロシア極東交流事業実行委員会主催)ではサハリンを訪問し、ホームステイする日本人学生をサポートした。やっぱり日本人は恥ずかしがり屋なのか。初めはおとなしかった日本の学生も、最終日には、ステイ先の家族との別れを目に涙を浮かべて惜しんでいた。
「一歩踏み出せば、互いの国の見方がガラッと変わることあるんですよ!」。帰国してもSNSでつながったり、旅行や留学でサハリンを再訪する学生もいる。
毎年、ホームステイやサハリン州内の観光を通じ、日ロの若者が文化交流を深めてきた同事業は2020年、新型コロナウイルスの影響で中止に。アリョーナは「オンラインであれ、どんな形であれ、交流は続ける価値がありますよね」と継続を願っている。
7月には北海道の「ほっかいどう応援団会議」応援アンバサダーにも就任した。「光栄です。少しでも役に立てれば!」。
ロシアほどではないけれど、北海道は広い-。「まだまだ知らない魅力。これからも発見し、伝えていきます!」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/495782
こちらの女性、見たことある人も多いのでは? 「北のアリョーナ」ことアリョーナ・ブズドゥガンさん(31)。北海道のローカルテレビ番組に出演し、道民にはおなじみかもしれない。タレントだけではなく、通訳やロシア語講師としても活躍。2020年3月にユーチューブ・チャンネル「北のアリョーナ」を開設し、さらにファンを増やしている。「これまで以上に北海道の魅力、伝えていきますよー!」。彼女の北海道愛、その原点は?(編集本部 椎葉圭一朗、鰐渕小百合)
■ソ連崩壊後のサハリン 漁師の父のお土産で膨む北海道への憧れ
12月間近の札幌・大通公園の夕刻。もう日は落ち、幻想的なイルミネーションが輝き始めた。鮮やかな光を背景に、セルフィー(自撮り棒)を使いこなしさまざまな角度から動画を撮影する。こだわりは臨場感だ。「VRを見ているみたいに、ここに来られない人にも北海道を感じてほしいんです」
彼女が初来日したのは2008年、北海道文教大への約1ヶ月の交換留学だった。念願の日本だったという。
なぜ念願だったのだろう。
生まれ育ったサハリン島の南、アニワ湾に面した港町コルサコフは、人口3万4千人ほど。漁業が主な産業のまちだ。幼かったころ、1990年代のサハリンはソ連崩壊後の混乱の真っ只中。母に当時のことを尋ねると、スーパーには食べ物も十分に並ばないほど、景気が落ち込んでいたのだという。
そんな中、漁師だった父はよく小樽や函館を訪れ、お土産を買ってきてくれた。「日本の服はとってもかわいくて見えて。ピンクのズボンがお気に入りでした。サハリンでは私が一番おしゃれだったんですよ! 覚えているのはハローキティのぬいぐるみや『しまむら』の洋服とか! お土産がとっても、とってもうれしかった」
交換留学の後、北海道大学大学院国際広報メディアコミュニケーション学科などで学んだ。北大在学中の2013年、HTB(北海道テレビ)のディレクターにスカウトされ、情報番組「恋する北海道」に出演したことをきっかけにタレントデビュー。番組で出会う北海道の食や自然、暖かい人たち、その魅力にはまっていった。通訳の仕事を含めると、これまで道内179自治体の約7割を訪れた。
■ユーチューブチャンネル開設 多言語で発信が目標
「口のなかに入れた瞬間、うま味、甘みがブワァーーっと広がって、とってもおいしいんですね!」。食レポするのは、鮭のルイベ。「ああ、最高、幸せ」。道産焼酎のあてはアサリの酒蒸し。アリョーナが動画で紹介するのは道内の海の幸、山の幸だ。
一方、 旅動画では、夏の富良野のラベンダー畑、秋の札幌・定山渓の紅葉など。道内の四季の魅力を伝える。
道内各地を巡ったこれまで。これからも自分らしい表現で、多くの人に見てほしい-。2020年3月、ユーチューブ・チャンネル「北のアリョーナ」を開設した。1年たたずに登録者数は約1.5万人を数えることになった。
動画編集は独学で、他のユーチューバーを見て研究中だ。日本語の動画製作に力を注ぐ一方、ロシア語に英語の字幕をつけたチャンネル「ALENA IN JAPAN」も立ち上げた。
取材、撮影、編集、機材の管理、作業はほぼ全て一人。世界中、誰もが見ることのできるユーチューブの世界だからこそ、クオリティは落としたくない。ユーチューバーとしては新米だから、量産はできない。「毎日、動画をアップするユーチューバーもいます! あー、無理、ありえない! 今は1週間に1本が限界ですね」。撮影、編集のスキルを高め、今後はロシア語や英語での動画製作も増やしていくつもりだ。
■日ロ交流の火種消したくない
「こんなに近いんだ!って、改めて思いました」。そして「こんなに近いのに」とも。
アリョーナは2018年から北海道演劇財団の「フレップの花、咲く頃に」に出演している。終戦直後のサハリン、日本人とロシア人、樺太のアイヌ民族、朝鮮人の「混住」の時代を描いた作品で、ソ連の女性役を演じる。
2020年、千秋楽で稚内を訪れた。宗谷岬からはふるさとの島影がみえ、「こんなに近いんだ!」と改めて感じた。一方で、稚内とコルサコフを結んでいたフェリーの定期航路は経費を巡る問題で運休しており、再開の見通しが立っていない。
サハリンと北海道、「お互いの距離がもっと縮まれば」と胸に抱く。そのために、交流を続ける大切さを訴える。
「“恐ロシア”(おそロシア)とか言われますけど・・・笑 そんなことないんですよ! ロシアに行ってみて良かった! ロシア人は温かいんだね!と言ってくれる人、たくさんいます!」
2014年から通訳として参加する「青少年サハリン・北海道『体験・友情』の翼」(北海道・ロシア極東交流事業実行委員会主催)ではサハリンを訪問し、ホームステイする日本人学生をサポートした。やっぱり日本人は恥ずかしがり屋なのか。初めはおとなしかった日本の学生も、最終日には、ステイ先の家族との別れを目に涙を浮かべて惜しんでいた。
「一歩踏み出せば、互いの国の見方がガラッと変わることあるんですよ!」。帰国してもSNSでつながったり、旅行や留学でサハリンを再訪する学生もいる。
毎年、ホームステイやサハリン州内の観光を通じ、日ロの若者が文化交流を深めてきた同事業は2020年、新型コロナウイルスの影響で中止に。アリョーナは「オンラインであれ、どんな形であれ、交流は続ける価値がありますよね」と継続を願っている。
7月には北海道の「ほっかいどう応援団会議」応援アンバサダーにも就任した。「光栄です。少しでも役に立てれば!」。
ロシアほどではないけれど、北海道は広い-。「まだまだ知らない魅力。これからも発見し、伝えていきます!」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/495782