先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北の縄文、人々の歴史と文化、ウポポイの誕生。「今こそ知りたいアイヌ」

2021-01-06 | アイヌ民族関連
男の隠れ家デジタル 2021/01/05 20:55
時空旅人別冊「今こそ知りたいアイヌ」1月5日発売

【巻頭特集】ウポポイから始まるアイヌ文化を巡る旅
北海道・白老町に2020年7月にオープンしたウポポイ。 日本の先住民族であるアイヌの貴重な文化を伝え、 その復興を目指す拠点となる施設を一日、ゆっくりと巡った。
【第1章】北の縄文とアイヌの歴史
12〜13世紀頃に成立したといわれるアイヌ文化。では、それ以前の古代の北海道はどのような姿をしていたのだろうか。本州とは異なる、もうひとつの日本列島の歴史とは?
【第二章】深淵なるアイヌの文化
カムイに見守られながら生きてきたアイヌの人々。厳しい自然のなかで育まれた言葉と知恵、技術は、今もなお北の大地に息づいている。現代を生きる私たちに、それらが語りかけてくるものとは?

【第三章】受け継がれるアイヌゆかりの地を訪ねて
アイヌ文化が色濃く残る平取町の二風谷や、和人とアイヌが協働してきた阿寒湖のアイヌコタンなど北海道各地でアイヌ文化が伝えられている。それぞれの取り組みや博物館などの施設を一挙に紹介する。
その他、アイヌ語についての寄稿や明治時代の面影が残る小樽の歴史散歩。アイヌとして生きてきた宇梶静江氏に聞いた「未来のアイヌ」についてのインタビューなどを収録。注目を集めるアイヌと縄文時代を楽しめる一冊。
https://news.goo.ne.jp/article/otokonokakurega/trend/otokonokakurega-36263.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【北海道難読地名クイズ】道東は難読地名の宝庫?魅力たっぷりの「尾岱沼」

2021-01-06 | アイヌ民族関連
楽天 Woman 2021年1月5日 20時30分 出典: 北海道Likers
北海道はでっかいどう!
……あちこちで使い古された言い回しですが、どこも間違っていないですよね? この広さゆえに道民でも知らない地名があることもしばしば。今回ご紹介するのは、地元民には当たり前でも、他の地域の人だとなかなか読めないであろうこの地名です。
別海町が誇る難読地名
今回取り上げるのは根室管内野付郡別海町“尾岱沼”です。筆者は道東のことはあまり詳しくなく、この地名も読めませんでした。やはり地元では当たり前のものという認識のされ方なのでしょうか……? 難しいですね。
果たして“尾岱沼”の読み方は……
A おだいとう
おだいとう、と読むのですね。そういえば真ん中の字は、かつてファイターズに在籍していた陽岱鋼選手の“岱”です! “沼”さえ読めればというところでした。でも、やっぱり簡単ではないですね。
……余談ですが、道東には難読地名が多いように感じます。今後も取り上げていきたいと思いますので、楽しみにしていてください!
「尾岱沼」の由来は?
北海道の地名由来=アイヌ語由来というのは、かなりの割合で当てはまりますが、“尾岱沼”もご多分に漏れずアイヌ語由来です。ではどのような由来なのでしょうか? 北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課のアイヌ語地名リストには次のようにあります。(※)
カナ表記はオタエトゥ、ローマ字表記はota-etuです。アイヌ語としての意味は砂・岬といった意味だそうです。
以下、解釈及び由来です。
〈野付湾に突き出した市街地の所がこの名の発祥地であるが、この辺一帯の地名となったようである。ota-etuが「おたいと」と訛り、それに尾岱沼と当て字された。この付近では沼と書いて「とう」と読ませている地名が他にもある。アイヌ語のト(to 沼)がこの辺の和人の間でも日常語として使われていて、トという音に沼と当て字されたものらしい。〉
引用:北海道環境生活部アイヌ政策推進局アイヌ政策課 アイヌ語地名リストp29
※表に基づいて、筆者が一部文章化
なるほど……。当て字で選ばれる漢字の基準のようなものはあるのでしょうか? 興味深いですね! ぜひご自身でも調べてみてください。
グルメが、夕陽が、温泉が、あなたを待っている
目の前には野付湾が広がる尾岱沼。文句なしの海の幸がわんさかあります。
北海シマエビ、アサリ、ホタテ(野付のホタテとして有名)……。どれもボリューム満点の美味しさです!
なかでも北海シマエビの漁には、明治時代以来の伝統的な“打瀬船(うたせぶね)”を使った漁法が使われています。
白い帆で推進力を受けて進む舟に乗って行われるため、自然にやさしい漁法として他の地域でも見直されているそうです。
尾岱沼はそんなグルメを堪能できるだけではないんです! 夕方にはこんな景色が見られるかもしれません。
……もうこれは行くしかない!
さらに!
温泉もあるんです! もう何もいりません。
幸せな時間を過ごせること間違いなし。尾岱沼へレッツゴー!
https://news.infoseek.co.jp/article/hokkaidolikers_32213/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』でわかる「日本人が綺麗好きである理由」

2021-01-06 | 先住民族関連
PHPオンライン 2021/01/06 12:00
1986年生まれの新進気鋭の研究者である吉木誉絵(よしき・のりえ)氏が、6月20日にデビュー作『日本は本当に「和の国」か』(PHP研究所刊)を上梓した。
吉木氏は高校時代、アメリカ・ノースダコタ州に留学し、隣州で起こった先住民族の少年の銃乱射事件がきっかけとなり、民族のアイデンティティについて考察を深め、その過程で『古事記』の研究に着手。慶應義塾大学大学院修了後から、コメンテーターとしてテレビなどのメディアに出演。2018年、第一子を出産し、現在は子育てをしながら研究活動を続ける。
『日本は本当に「和の国」か』は「日本人の本来のアイデンティティは、日本の神話である『古事記』が示す「和の国」の姿ではないか」をテーマに日本人の本質を問い直す論考であり、解剖学者の養老孟司氏からも「日本がどのような国か、本気で考えた一冊」と評された。
本稿では同書より、「古事記」から読み解ける日本人のルーツに触れた一節を紹介する。
※本稿は吉木誉絵著『日本は本当に「和の国」か』より一部抜粋・編集したものです。
日本人は清浄を好む
高校時代にアメリカに留学し、日本の外から自分の国を客観的に見ることで、日本人のアイデンティティというものを考えるようになった私は、日本の起源が記されている『古事記』を勉強するようになった。
日本神話は、『古事記』と『日本書紀』に記されているが、日本人のこころをより豊かに映し出しているのは『古事記』だということで、まずは『古事記』をじっくり読んでみることにした。
学びを進めていくにつれて、今まで当然のように行ってきた自分自身の生活習慣や考え方、また気質の起源が、『古事記』という大昔の書物に、神々の気質として記されていることを発見し、「私のことが神話に描かれている」と、自分のルーツが神話と直結していることを感じたのだった。
詳しくは拙著『日本は本当に「和の国」か』に述べているが、ここで少しだけ『古事記』に記されている物語と日本人の気質を照らし合わせてみたい。
風習でいうと、例えば、日本人は綺麗好きだとよく言われる。穢れをことごとく避け、清浄を好むという性質がある。日本人は、ほぼ毎日お風呂に入るなどして常に体を清潔に保つ、食事の前にはおしぼりなどで手をきれいにする、靴は玄関で必ず脱ぐ、食品が入った袋などはなるべく床に置かない、など、とにかく汚れを避ける。
『古事記』には、伊邪那岐命(いざなきのみこと)という男神が池で、黄泉(よみ)の国(死者の世界)でまとった穢れの禊(みそぎ)をする場面が描かれているが、これは日本人が清浄を好むという気質を表している一場面といえよう。
昔、とある西洋の経済学者による、「江戸が当時の世界で一番の人口を誇っていたのは伝染病が少なかったからだが、その理由は神道からの禊文化が続いているからだ」との趣旨の論文を読んだとき、『古事記』に描かれている神の行いが、風習として人々の間で長く残り続け、江戸の人口まで影響を及ぼしたのかと驚いた記憶がある。
また、ほとんどの日本人は自分の箸が決まっていると思う。私も、幼い頃に父の箸を自分で使おうとしたら母にすこぶる注意されたのをよく覚えている。これは、日本においては、唾液にはその人の霊力が宿るという考えが古くからあるからだと思われる。
『古事記』には、太陽神の天照大御神とその弟で海原を治める須佐之男命(すさのおのみこと)という神々が自分の口に含んだ物を吐き出して占いをする場面や、箸が川上から流れてくる場面(客人が使った箸はその人の霊力が宿っていて使えないので川に流してしまう)、海幸彦(天照大御神のひ孫)が口に含んで吐き出した玉が皿に強力にくっついたことから、力のある神様だと認識される場面が見られる。
このようにして、唾液にはその人の霊力が宿っていると考えられてきたからこそ、箸などの頻繁に口にするものは、自分の所有物と決まっている。一方で、西洋においてマイ・フォーク、マイ・スプーンなど自分の食器が決まっているとは聞いたことがない。
不完全な美を愛でる日本人
そして日本人の気質を理解する上で欠かせないと思われるのが、完全なものよりも不完全なものを好むという傾向である。中世以降は、「不完全の美」という概念とともに日本文化・芸術の核たる要素になっている。
室町時代の茶人でわび茶の祖とされる村田珠光は、「月も雲間のなきは嫌にて候」といって、「雲一つない月の眺めよりも、翳りのある世界」つまり煌々と輝く満月に比べて不完全な状態の月を賛美する言葉を残しており、不完全性を愛でる茶道の心を表現している一言として有名である。
また、明治時代に英文で発刊され世界的な名著になった岡倉天心の『茶の本』では、茶道の本質は「『不完全なもの』を崇拝するにある」と説いている。
このような「不完全な美」が、日本の芸術(特に禅由来の芸術として)例えば枯山水の庭園や水墨画などとして表出するのは禅が日本に広まった以降だといわれる。
しかし、その精神的土壌は、禅以前の日本の世界にもみられる。例えば、万葉集では「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に照る月は満ち欠けしけり人の常なき」(「泊瀬の山に照る月は、満ち欠けをする。人の世は無常で変わりやすいことよ」)、「世の中は空しきものとあらむとそこの照る月は満ち欠けしける」(「世の中は空しいものだと伝えようとして、この照る月も満ち欠けするのだなあ」)など、月の満ち欠けという不完全な状態に無常やはかない気持ちを重ね、美を見出すこころが映し出されている。
日本人の中に、完全なものよりも、不完全なものを求めるこころがいつから、どのようにして育まれてきたのかを知ることは難しい。しかし、日本列島に住む人々は文字のない時代から、神々を完全な存在ではなく、人間のように不完全な性質を持つ存在だと認識してきたことは、『古事記』をみても明らかである。
『古事記』に登場する不完全な神々の姿とは、例えば次のようなものがある。
日本列島を生んだのは伊邪那岐命と伊邪那美命(いざなみのみこと)という男女の神々だが、火の神を生んだ女神は火傷で死んでしまい、死者の世界である黄泉の国に旅立ってしまう。黄泉の国は本来生者が足を踏み入れてはならない、死で穢れた場所だが、男神は妻を忘れられず禁断の世界に足を踏み入れてしまう。
また、須佐之男命は、最初母が恋しいといって泣きわめいて自分の仕事を放棄し、また田んぼを荒らす問題児のような神だった。天照大御神も、弟の須佐之男命が天照大御神に挨拶しようと高天の原に昇ってくるとき、弟が天上世界を乗っ取ろうとしているのだと勘違いする。
また、弟の暴れっぷりに閉口して岩屋戸に閉じこもってしまい、他の神々を悩ませる。日本の神々は人間と同じく失敗や試練を経てその神格を成長させていく。そこに一神教の絶対神のような無謬性は一切見られない。
このように、日本の神々にはそれぞれに欠けている部分があり、不完全である。だからこそ八百万の神々として集い、お互いの不完全さを補い合い、調和を生み出しているのである。不完全だからこそ調和を計ろうとする日本の神々の姿は、間違いを犯すことがないとされる西洋の一神教の神と異なることは明らかだが、他の多神教の神々とも異なる。
例えばギリシャの神々も、概して弱さや葛藤を抱える不完全さを持っており一見すると日本の神々と非常に近い存在に思う。しかし、ギリシャ神話で描かれる神々は、神々がお互いの不完全性を補い調和するというよりも、むしろ神々の間で闘争を繰り広げたり、征服したりする。また、神々の間においても勝ち負けがはっきりしている。
『古事記』にみえる神々の不完全性は、不完全だからこそ相互補完的な調和を生み出している。『古事記』において、不完全性と調和は同じ線の上で繋がっている。
和の精神――日本人の最大の特徴
日本人が古来重んじてきた調和、すなわち和の精神こそが、日本人の最大の特徴である。これは、多くの日本人が共通認識として持っているものだろう。
例えば、日本人には争いごとを避け、何か問題があれば極力話し合いで物事を解決しようという傾向がある。これは外国人からも日本人の性質としてたびたび指摘されることである。
『古事記』には、神々が集い、話し合いで困難を乗り切ろうとする場面がよく見られる。何か重大な事件が起きたとき、その解決のために一人の神が独断的に何か勝手に決めることはない。
例えば、太陽神である天照大御神が弟の須佐之男命の暴君ぶりに激怒し岩屋戸に引きこもってしまったという神話があると先ほど述べたが、その続きの話では、太陽が天地から消え去って暗闇がはびこり、災いがことごく起こるようになってしまうとある。困り果てた八百万の神々は、集い、話し合って解決策を巡らせる。
『古事記』には他にも、大事なことは皆で話し合って決断するというエピソードが多くみられる。
和を表現する最も象徴的な神話のひとつは『古事記』にある「国譲り神話」だろう。大国主神(おおくにぬしのかみ)は、途中で天の神の手助けを得ながらも葦原中国(あしはらのなかつくに)(日本の別称)を完成させ、統治していた国づくりの神である。
しかし、天照大御神が葦原中国は自身の御子が統治する国だとして、大国主神のもとに使いを出し、国を譲るよう迫る。
普通であれば、国の統治者の変更には戦が伴い、血が流れる。しかし、『古事記』に記された国譲り神話では、多少の押し問答はあれど、話し合いで国譲りが行われるのだ。およそ、血で血を洗うような闘争を繰り広げた末、王権が樹立される中国や欧州諸国などの大陸続きの国々では考えられないような、穏やかな統治者の変更である。
ちなみに、国を譲ることと引き換えに、大国主神は立派な宮殿を建てそこに祀られることを願う。それが出雲大社だとされている。この国譲り神話と江戸の無血開城は非常に似ており、日本人が争いを避け話し合いで解決しようとする傾向はこのように歴史の中でも発見することができる。神話にあることは歴史でも繰り返されるのだ。
https://news.goo.ne.jp/article/phpbiz/entertainment/phpbiz-20201127204416458.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐竜は越冬できたのか?地球の果てで発見された、小さなティラノサウルス

2021-01-06 | 先住民族関連
現代ビジネス 2020/01/05
超肉食恐竜ティラノサウルス徹底研究!
小林 快次北海道大学総合博物館教授
好評連載「ダイナソー小林の超肉食恐竜ティラノサウルス徹底研究」
ここまで、ティラノサウルスの仲間を進化の度合いから一軍、二軍、三軍に分け(ティラノサウルスはもちろん一軍です)、さらにそれぞれの棲息時期やエリアを整理してきました。
今回は小林快次先生が深く関係したティラノ軍団の新メンバーについて紹介していただきます。
ティラノ界の「小さな巨人」が登場
さて、2014年には新たに2種がティラノ軍団の新メンバーとして加入しています。この2014年というのは、私にとって特別な年でした。というのも、この2種のティラノサウルスの仲間は、どちらも私の研究仲間による発表であったからです。
そのひとつ、アメリカ・アラスカ州から発見された「ナヌクサウルス・ホグルンディ」について少しご紹介しましょう。これは「地球の果てで発見された、新しい小さなティラノサウルス」として話題になりました。
ナヌク「nanuq」とは、アラスカ州北部に居住する先住民族イヌピアの人たちが話すイヌピアック語で「ホッキョクグマ」という意味で、ホグルンディは「トカゲ」のこと。つまり、「ホッキョクグマトカゲ」という意味になります(ややこしいですが)。
私は2007年からこのアラスカで調査をおこなっていますが、その調査を一緒におこなっているアンソニー・フィオリロ博士らが、ナヌクサウルス・ホグルンディの名付け親です。
時代は約6900万年前の白亜紀の終わり(マーストリヒチアン期)。出土したのは、頭の一部(上顎骨、頭頂骨、歯骨、歯)の化石でした。これらの化石が、私たちにおもしろい事実を教えてくれました。
まず、アラスカ州が具体的にどのあたりに位置する地域か、みなさんはピンとくるでしょうか? アラスカはカナダの西側に位置し、ロシアからベーリング海峡を挟んで東にある大きな州です。面積にして北海道の約18倍、日本の4倍に相当します。
アラスカのノーススロープという地域を南北に流れるサック川に並行して、西へ100キロほど離れたところにコルビル川が南北に流れています。ナヌクサウルスが発見されたのはこのエリアです。
ブルックス山脈よりも北で、むしろ北極海に近い、つまりナヌクサウルスは極限の環境に棲んでいた恐竜なのです。北限も北限、これ以上ないくらい北の果てに恐竜が住んでいたのですから、これは興味深い発見です。
ナヌクサウルスが大きく進化しなかったワケ
ちなみにこのノーススロープでは、他にも次のような恐竜が発見されています。
 ・パキリノサウルス
 ・エドモントサウルス
 ・トロオドン
 ・ドロマエオサウルスの仲間
これらいずれも、カナダ南部やアメリカ西部からも見つかっている恐竜です。
私やフィオリロ博士は、アラスカ州の恐竜調査で、「恐竜の極限環境への適応」について研究しています。テーマの1つには、「恐竜は越冬できたのか?」という大きな問いがあります。
ある研究者は、「ノーススロープの恐竜たちは、夏にアラスカに来て、冬になったら南下して暖かいところで過ごしたのではないか」ということを言いますが、これはとんでもないお話。「だったら一度、アラスカを縦断してその広さを確かめてみろ!」と言いたくなります。
毎年、行き帰りの2回、大きな川を渡って高くそびえ立つ山脈を越える。車を使っても一苦労なのに、恐竜たちがそれほど危険な長旅を頻繁におこなっていたとは、とても考えられません。
こうした「恐竜が季節ごとに移動した」という考えは、トナカイが1シーズンで数千キロ移動する事実を参考にしているようですが、トナカイは決して何千キロも移動しているわけではなく、総合移動距離が数千キロであるに過ぎません。一度でもアラスカの大きさと厳しさを体感したら、このような仮説はまず出てこないはずです。ナヌクサウルスは、きびしい冬場もこの地で耐え抜いていたと考えるべきでしょう。
ナヌクサウルスはこの研究で、めでたくティラノ軍団の一軍入りが確定していますが、他の一軍メンバーよりも小さいのが特徴です。体長が5メートルほどしかないのです。
なぜナヌクサウルスは大きく進化できなかったのか。その理由は、ノーススロープの厳しい環境にあったのではないでしょうか。私自身、アラスカで体験していることですが、アラスカの夏至は太陽が沈みません。その反面、冬至が近づくと太陽が昇りません。
限られた日照時間では、生える植物も植物食恐竜も限られてしまうため、深刻な食糧難に見舞われます。さらに、冬には川や湖も凍ってしまい、飲み水の確保もままなかったはず。このような厳しい環境が、小さな巨人・ナヌクサウルスを生み出した要因であると考えられます。
もちろん、それも今はまだ仮説の1つに過ぎません。今後の調査・研究で、さらなる真実が明らかになっていくかもしれませんね。
* * *
この連載の続きは、メルマガ「MOVEファンクラブ通信」で1月8日(金)に配信予定です。
今すぐメルマガに登録するにはこちらから。
〈小林先生監修&著書のMOVEシリーズ〉
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78530

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする