毎日小学生新聞 2024/11/30 2385文字
幕末ばくまつ・明治めいじの偉人いじんゆかりの地ち
四国しこくの南側みなみがわにあり、昔むかしは土佐とさと呼よばれていました。面積めんせきは全国ぜんこくで18番ばん目めに広ひろく、このうち森林しんりん面積めんせきは約やく83%を占しめています。温暖おんだん多湿たしつな気候きこうのため、室戸岬むろとみさきなどでは亜あ熱帯ねったい植物しょくぶつが自生じせいし、高知こうち平野へいやでは早場米はやばまいが収穫しゅうかくされます。また、幕末ばくまつから明治時代めいじじだいに活躍かつやくした人物じんぶつが多おおいことでも知しられています。幕末ばくまつの志士しし・坂本龍馬さかもとりょうまや、明治維新めいじいしんで自由民権運動じゆうみんけんうんどうを起おこした板垣退助いたがきたいすけなど、多おおくの偉人いじんを輩出はいしゅつしました。
日本にほん最後さいごの清流せいりゅう
四万十川しまんとがわ=写真しゃしん=は全長ぜんちょう196キロメートル、流域面積りゅういきめんせき2186平方へいほうキロメートルの川かわで、標高ひょうこう1336メートルの不入いらず山やま(津野町つのちょう)が水源すいげんとされています。名前なまえの由来ゆらいは、文字もじ通どおり四万よんまん余あまりの支流しりゅうを持もっているという説せつのほか、アイヌ語ごで「はなはだ美うつくしい」という意味いみの「シ・マムタ」からきたという説せつもあるそうです。本流ほんりゅうに大規模だいきぼなダムがなく、上流じょうりゅうに大おおきな街まちがないため水質すいしつが保たもたれており、「日本にほん最後さいごの清流せいりゅう」とも呼よばれます。天然てんねんのアユがとれることでも知しられています。
江戸時代えどじだいの城郭じょうかく
高知城こうちじょうは関ケ原せきがはらの戦たたかいの後あと、領主りょうしゅとなった山内一豊やまうちかずとよによって建たてられました=写真しゃしん。1601年ねんから築城ちくじょうが始はじまり、10年ねん後ごの11年ねんに完成かんせいしました。しかし、1727年ねんの火事かじにより、一いち度どは追手門おうてもんなど数すう棟むねを残のこして焼失しょうしつしましたが、53年ねんまでに創建そうけん当時とうじの姿すがたに再建さいけんされました。城主じょうしゅの生活せいかつの場ばとして造つくられた本丸ほんまる御殿ごてんや天守てんしゅが、江戸時代えどじだいに建たてられた当時とうじのまま現存げんそんしているのは、全国ぜんこくで高知城こうちじょうだけです。
基本情報きほんじょうほう
・面積めんせき:約やく7104平方へいほうキロメートル
・人口じんこう:約やく66万人まんにん(2024年ねん10月がつ)
・県庁所在地けんちょうしょざいち:高知市
・県けんの花はな:ヤマモモ
こうち(こうち)を知しる特徴とくちょう5選せん
<1>よさこい祭まつり
高知市内こうちしない各所かくしょで8月がつ、4日間よっかかんにわたって繰くり広ひろげられる祭まつりです=写真しゃしん。1954年ねん、当時とうじの不景気ふけいきを吹ふき飛とばし、市民しみんを元気げんきづけようと始はじめられました。今いまでは高知こうちだけでなく、全国各地ぜんこくかくちで定着ていちゃくしています。
<2>土佐和紙とさわし
植物しょくぶつのコウゾやミツマタを原料げんりょうに、1000年ねん以上いじょう前まえから作つくられてきました。うすくて丈夫じょうぶなのが特長とくちょうです。きれいな水みずと良よい原料げんりょうがたくさんあったことが発展はってんの理由りゆうといわれています。
<3>皿鉢さわち料理りょうり
料理りょうりの名前なまえではなく、食たべ方かたのスタイルを表あらわしたものです。大皿おおざらにさしみや煮物にものなどを盛もり、好すきなだけ小皿こざらに取とって食たべます。ルールに縛しばられず、自由じゆうを尊重そんちょうするこの地ちならではの料理りょうりとされています。
<4>カツオのたたき
県けんを代表だいひょうする味覚みかくのひとつで、カツオの身みをあぶり、厚あつめのさしみにしたものです。調理ちょうりの際さいに塩しおやタレをかけてたたき、味あじをなじませたのが「たたき」の由来ゆらいとされています。
<5>まんが王国おうこく
「フクちゃん」の横山隆一よこやまりゅういちさんや、「アンパンマン」のやなせたかしさんなど県けん出身しゅっしんのまんが家かがたくさんいます。県けんでは「まんが」をひとつの文化ぶんかととらえているそうです。
(次回じかいは12月がつ21日にち・一部地域いちぶちいきは22日掲載にちけいさいです)
https://mainichi.jp/maisho/articles/20241130/kei/00s/00s/007000c