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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

オーストラリア・デー記念日の日付変更に自治体からの支持

2017-06-22 | 先住民族関連
日豪プレス-2017年6月20日
1月26日は先住民族にとっては屈辱の日
 1月26日にはオーストラリア・デーとして、「建国記念日」と同等の意味を持っているが、1788年のこの日にアーサー・フィリップ総督が、シドニー・コーブにイギリスの国旗を掲揚し、イギリス植民地を宣言した日であり、オーストラリアの先住民族にとっては白人からの侵略があった屈辱の日と捉えられている。そのため、先住民族グループからは、すべての国民が祝える日に変更すべきとの主張がなされていた。
 そのオーストラリア・デー日付変更に従来保守的な地方自治体から支持の声が挙がっている。
 ABC放送(電子版)が伝えた。
 キャンベラで開かれていた全豪地方自治体連合会会議(ALGA)で、ホバート市議会提出の動議が64対62の僅差で可決された。
 ホバート市議会代表のスー・ヒッキー市議は、「1月26日はすべての国民を代表しておらず、まして先住民族を排除する日付だ。動議が支持されてうれしい」と語っている。
 ALGA幹部会は、来月の会合で行動方針を決定するが、日付変更を追求することがALGAの方針になるとは限らないとされている。
 ヒッキー市議は、「連邦政府は地方自治体からの働きかけを真摯に受け止めるはず。地方自治体は住民に一番近いところにある政府であり、住民の関心事を連邦政府に迅速に伝える機関として最適。日付はすべてのオーストラリア人にとって記念すべき日を選ぶべきだ」と語っている。
 マルコム・タンブル連邦首相はすでに、オーストラリア・デー日付変更の要望を却下しており、報道担当官は、「連邦政府の方針に変更はない」と発表している。また、移民国境警備省のアレックス・ホーク副大臣は、「国民のほとんどは日付変更を支持していないし、ALGAの票を見ても、意見は真っ二つに分かれている。ALGAは、緑の党市議のようにごく少数派の意見が通りやすいが、このようなトップダウンの決定は国民のコンセンサスを得られるものではない」と語っている。
■ソース
Australia Day: Local Government backs push for national debate on date change
http://nichigopress.jp/ausnews/politics/144950/


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地域に根差し、調和することの大切さ・島嶼音楽季開催によせて(島嶼音楽季・日本窓口:伊禮武志)

2017-06-22 | 先住民族関連
沖縄タイムス-2017.06.20
 台湾の東、「花蓮」と「台東」は、ゆたかな自然に恵まれた美しい場所だ。そこに住む人々の暮らしは、土を耕し、野菜や米を作り、海に出て魚を捕る、昔ながらの自然と調和した生活だ。ゆとりをつくり、身近な素材を使って芸術作品を創作する。地域に根ざし、自然と調和する事を大事にする人々が創り上げる作品には力がある。
歌も同様だ。口承で伝えられるものが多い。集落に伝わる歌の節を、自作の楽曲に取り入れる音楽家も少なくない。花蓮・台東から生み出された作品は、自然との調和がいかに大切かということを教えてくれる。
 6月19日か26日まで、県内4カ所で、花蓮・台東の音楽家、芸術家を沖縄に紹介するイベント「島嶼音樂季(とうしょおんがくさい)」が開催される。
 美術展・ライブ・講演・映画上映・台湾原住民の手工芸や衣装にふれることを通じて、台湾東部の文化の魅力を発信する取り組みだ。沖縄本島で台湾アーティストが生活体験し、音楽家らが国境を越え交流し、ともにひとつの曲を作創りあげる。

・東冬侯溫/兒路創作藝術工寮(台湾)
映画通じ、台湾原住民の土地喪失に対する問題を提起
 このイベントには、2人の若い映画監督も参加する。家族と故郷の再生を描いた物語「太陽的孩子(太陽の子)」は、2015年に台湾で公開され、感動を呼んだ。監督の一人、Lekal Sumi(レカル・スミ)は父が台南人で、母がアミ族だ。彼は台南で育った。兵役を終えた後、母の故郷、花蓮市の港口に移り住んだレカルは、アミ族の文化と伝統に触れ、自分のルーツの一部を取り戻そうとした。11年、母の舒米(スミ)が所有する荒れ果てた畑を耕し、豊かな土地を取り戻しました。当時レカルは、映像制作の経験がまったくなかったが、20年間放置された土地を開墾する過程を、2年の歳月をかけて撮影した。その後、個人で初の記録映画「海稻米の願望」を完成させた。これを機に、映像の道に進んだレカルは、15年、鄭有傑(ジェン ヨウジィェ)監督と共に「太陽の子」を完成させた。台湾原住民の土地喪失に対する問題提起を映画製作を通じて発信し続けているクリエーターだ。
 実話をもとに製作されたフィクション「太陽的孩子(太陽の子)」は、伝統の米『海稲米』の復活に賭ける村の人たちの物語だ。舞台は、アミ族が暮らす集落。美しい海岸線に広がる小さな村に突如持ち上がったホテル建設計画。
先祖伝来の土地が失われる危機の中、村人たちは「開発か、伝統か」の間で大人も子供も悩みながら、失われかけた『絆』を取り戻していく。
 主題歌を歌う、Suming舒米恩(スミン)も、先住民族の民謡や踊り、手工芸、などの文化保護をするため、の子供たちに向けての活動を実践している。
 沖縄と台湾が、文化を通じて互いを理解しあうこと。次世代まで自然が豊富で平和な世界を作ること。このイベントには、芸術家やスタッフたちのそんな想いがつまっている。この機会に是非、足をお運びください。
島嶼音樂季・日本窓口:伊禮 武志(有限会社・你好我好、沖縄県出身、台北在)
特別企画 島嶼上映会 ~太陽的孩子~(太陽の子) 
6月23日(金)慰霊の日 午後4時半~午後6時半 ※午後7時~音楽ライブ
読谷村文化センター鳳ホールにて上映
 アミ族の伝統的な稲作方法で作られる米「海稲米」の復活という実話をベースに作成されたフィクション。2014年春から2015年夏までの台湾東部を舞台がとなります。ディベロッパーによる観光地の開発計画と、それによって失われてしまう村の姿。自分たちの理想の未来を模索して苦悩するアミ族の各世代の村人の姿が描かれています。
 映画に登場する風景や、年配の原住民の姿は、どこかうちなーんちゅと似ていて、懐かしさを感じさせます。
 日本語字幕付きの上映となります。(吹き替えではございません)。
 上映後、鄭有傑 監督、Lekal.Sumi監督、そして、主演をつとめる女優 阿洛の舞台挨拶があります。
 映画上映後の音楽ライブと合わせて、前売り1,400円、当日1,490円となっています。
予告編はこちら
 島嶼音樂季コンサート
6月23日(金)慰霊の日 午後7時~音楽ライブ 
読谷村文化センター鳳ホールにて上映
※午後4時半~午後6時半は映画上映会 
 読谷村は、戦後途絶えていた伝統的な織物『花織』の復興や、焼き物の里などの民芸拠点の設置に取り組む中、歌・三線の始祖と呼ばれる『赤犬子』も大切にされている文化、芸能が盛んな地域です。年に一度開催される『読谷祭りで』、台湾から音楽家や武術家を招くなど、積極的な国際交流が行われています。
 台湾東部も同様に、それぞれの自治体が生活のレベルから文化を復興することに力を入れています。国際社会と文化を通したネットワークを作るために、島嶼音樂季が台湾で企画され、読谷村との交流を継続しています。
 昨年は、村出身の音楽家、知花竜海・ひがあゆみ・渡慶次青年会が台湾東部を訪れ、曲づくりを通じ、現地アーティストとの関係を深めました。
昨年の台湾での音楽交流の様子はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=k4siyQVSlYk
 武術においても、沖縄小林流妙武舘 読谷道場は、南宗少林俗派 第八代掌門人の、呂 松吉先生や、北少林青島武館 林昌湘先生との交流を深めています。
 今回、来沖した台湾の音楽家は原住民です。その土地で生活し、生まれた歌を継承し、自分の音楽スタイルに変え、世界各地に羽ばたこうとしています。
 台湾原住民との貴重な交流イベントです。地域の方々、特に小さなお子様がたに異文化を体験していただきたいと考えています。
出演
・ひがあゆみ(沖縄)・知花竜海(沖縄)・當山貴史(沖縄)
・KACHIMBA 4(沖縄)・舒米恩 SUMING(台湾)
・東冬侯溫/兒路創作藝術工寮(台湾)
・郭明龍(台湾)・LAWA(台湾)・Nawan 阿修(台湾)
・沖縄小林流妙武舘 読谷道場 ・読谷村渡慶次青年会
 映画上映後の音楽ライブと合わせて、前売り1,400円、当日1,490円となっています。
コンサートに関する問い合わせ
チケットのお求めは
沖縄タイムス社文化事業局 
098-860-3588
rhythm@okinawatimes.co.jp
共 催 読谷村 / 沖縄タイムス嘉手納・読谷販売店会 
協力:台湾観光局/台湾観光協会大阪事務所
URL http://www.hot-islandsmusic.com
http://press.okinawatimes.co.jp/cad/2017/06/20/akemisan/

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映画『サーミの血』北欧から届いた、自由を求めて生き抜いた少女の物語

2017-06-22 | 先住民族関連
Fashion Press-2017/06/19
映画『サーミの血』が、2017年9月16日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほか全国で順次公開される。

北欧スウェーデンの美しい自然を舞台に描くのは、サーミ人の少女の成長物語。彼女が願ったのは、ただ、自由に生きていくこと。都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ち、外の世界に出ていく。差別に抗い、生き抜くいていく感動作だ。
サーミ人とは?
サーミ人とは、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族で、トナカイを飼い暮らす人々。その他の国では、フィンランドやノルウェーにも住んでいるそうだ。言語はスウェーデン語ではなく、フィンランド語に近い独自の言語を持つ。特に映画の舞台となる1930年代は、分離政策の対象、また劣等民族として差別されていた。例えば、寄宿学校ではサーミ語を使うことさえ許されなかった。そして今なお、支配階級と劣等民族の構図はまだ存在していると言う。
サーミ人による映画
監督のアマンダ・シェーネルはサーミ人の血を引き、主演のレーネ=セシリア・スパルロクは、今もノルウェーでトナカイを飼い暮らしているサーミ人だ。そのため、民族衣装や小道具に至るまで正確に再現されている。
なお、音楽は『ニンフォマニアック』『メランコリア』など、ラース・フォン・トリアーの作品を手掛けてきたデンマークの作曲家クリスチャン・エイドネス・アナスンが担当。
世界各国で称賛を受ける
2016年東京国際映画祭では審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞を皮切りに、北欧最大の映画祭のヨーテボリ国際映画祭2017最優秀ノルディック映画賞を獲得。ヴェネツィア国際映画祭では新人監督賞を受賞した。
『サーミの血』あらすじ
-幻想的で美しい自然の大地ラップランドに、サーミの歌が響く-
1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た――。
作品情報
映画『サーミの血』
原題:Sameblod
監督・脚本:アマンダ・シェーネル
音楽:クリスチャン・エイドネス・アナスン
出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ、ユリウス・フレイシャンデル、オッレ・サッリ、ハンナ・アルストロム
2016年/スウェーデン、ノルウェー、デンマーク/108分/
配給・宣伝:アップリンク
https://www.fashion-press.net/news/31561

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Y字路探し時間旅行 台北在住 栖来さんと路地歩き 現在と過去が交錯 ワンダーランド

2017-06-22 | 先住民族関連
西日本新聞朝刊2017年06月19日 11時04分

栖来ひかりさんお気に入りのY字路。右側の路地は、かつて水路だった
 台湾の古い路地には、左右に分かれるY字路が多い。背景には百数十年の間に清、日本、中華民国と統治者が入れ替わり、人々の暮らしが急激に変わった歴史があるという。今年1月に「台湾、Y字路さがし。」を出版した台北市在住のエッセイスト栖来(すみき)ひかりさん(41)=山口市出身=と一緒に「現在と過去が交錯するワンダーランド」(栖来さん)という台北市中正区の同安街を歩いた。(台北・中川博之)
 同安街は地下鉄古亭駅から新店渓の川岸まで続く約1キロの通りだ。入り口に黒っぽい立派な廟(びょう)があった。カメラを向けると「そこは撮らない方がいい。もし何かあったら後悔しますよ」と栖来さんに止められた。
 この廟には非業の死を遂げたり、恨みを抱いたまま亡くなったりした霊が祭られているそうだ。賭け事のほか、仕返し、他人の不幸など「負」の願い事をかなえるが、お礼参りをしないとたたられるという。
 100年前はささやかだったこの廟が現在までの大きさになったのも、それほど参拝客の「願い」が成就した結果なのだ、と考えるとなんだかゾッとしなくもない。(「台湾、Y字路さがし。」より)
 通りに入るといきなりY字路が現れた。「表情がいいでしょう。右側の通りだけ側溝のふたが延々と続いているのは、下に水路があるからなんです」
 日本統治時代(1895~1945年)、田園地帯から日本人住宅地に変わった同安街一帯。当時はホタルが舞う川や水路が巡らされ、鉄道も走っていたが、戦後の開発で川や水路が覆われ、曲がりくねった道やY字路ができたという。
 台北の湿度の高い風に吹かれながら、迷路のように入り組んだ同安街の小路をあてどもなく歩いてみた。一瞬、川のせせらぎと汽笛が聞こえたような気がした。(同)
   ◇    ◇
 栖来さんは京都市立芸術大を卒業して音楽・映像制作に携わった後、台湾人男性と結婚し2006年に台北に移住。雑誌の企画取材中に見つけたY字路に心を引かれ、古地図や文献で調べた由来を本にまとめた。
 「右にいくのか、左にいくのか。」その選択が人生にちいさく、もしくは劇的にもたらすかもしれない変化を想像して少しばかりおびえているわたしを尻目に、Y字路は何食わぬ顔をして、そこにいる。(同)
 古亭駅の名の由来は「鼓亭」ともいわれる。清の時代に移住してきた漢族が見張り台を設け、先住民族の襲撃の際に太鼓を鳴らした場所だったからだ。近くには、日本統治時代に第4代総督を務めた山口県周南市出身の軍人、児玉源太郎の別荘跡もある。日本統治初期の総督には、抵抗する人々を鎮圧するため軍人が任命されていた。同安街は移住者と先住者の葛藤を物語る場所でもあった。
 初期の台湾総督の多くが薩長出身者で占められている。明治維新から始まった日本の近代化の大きな流れのなかを台湾もまた、泳いでいたのだった。(同)
 同安街の終点にあるのが、文化施設「紀州庵」だ。1917年建築の高級料亭を修復し公開している。料亭時代は近くを流れる新店渓の景色を眺め、舟遊びを楽しむ憩いの場所だったが、日本人が引き揚げた後は、中国共産党との内戦に敗れ台湾に逃れてきた国民党員の宿舎となり、4世帯が仕切りを設けてつ
つましく暮らしていたという。
 「台湾の歴史が詰まった路地は、古地図や散歩が好きなタモリさんにぴったり。ぜひ来てほしい」と栖来さん。NHKの人気番組「ブラタモリ」ならぬ「ブラヒカリ」で、つかの間の時間旅行を楽しんだ。
 「台湾、Y字路さがし。」は日本語と中国語併記。日本でもオンラインショップ=http://www.witte.bz/=(税込2160円と送料)などで購入できる。
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/336617/

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アイヌ語学ぶ、文化に触れる 全校23人、博物館から講師 北海道・二風谷小

2017-06-20 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2017年6月19日05時00分

 北海道の先住民族アイヌが語り継いできた言語を、北海道平取(びらとり)町立二風谷(にぶたに)小学校(阿部秀智校長、児童数23人)が授業で学んでいる。アイヌ民族の文化が息づく地域に育ったことに誇りを持ってほしいという学校の願いが込められている。
 「イランカラプテ(こんにちは)」
4月27日、二風谷小の体育館に全校児童が集まり、アイヌ語のあいさつから授業が始まった。講師は平取町立二風谷アイヌ文化博物館職員の関根健司さん(45)だ。
 この日は、体の部分や数の数え方を学んだ。「ヌカラってどういう意味か分かりますか?」と関根さんが問いかけると、児童から「目」と声が上がった。「これは何かを見るっていうことです。『ヌカラ ヤン』は見て下さい、という意味。言ってみましょう」
 関根さんは少し長い言葉を黒板に書いた。「ヤイコシラムスイパ」。子どもたちはすらすらと復唱する。「自分に対して自分の心を揺らす、アイヌ語の『考える』っていう意味です」と説明した。
 関根さんはギターを取り出した。「大きな栗の木の下で」を最初は日本語で、次にアイヌ語で歌う。
 「♪シ ポロ ヤムニ チョロポク タ」
……全文:1595文字
http://www.asahi.com/articles/DA3S12994315.html

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石狩・花川病院、アイヌ文様ユニホームでおもてなし クールビズで雪の ...

2017-06-20 | アイヌ民族関連
札幌経済新聞2017年06月19日

 石狩にある「医療法人喬成会 花川病院」(石狩市花川南7条5、TEL 0133-73-5311)が6月9日から始まったクールビズで雪の結晶をモチーフとした制服の着用を始めた。
 同院のテーマカラーである緑色をベースに雪の結晶をモチーフとしたアイヌ文様と石狩市の花・ハマナスの赤をアクセントにデザイン。効率的に事務作業をできるようにポケットの大きさや位置など機能性にもこだわったという。デザイン担当はアイヌ雑貨の制作・デザインを手掛けるToyToy屋(札幌市白石区)の小川基さん。「cloud9(クラウドナイン)」(同中央区)が制作した。
 同院では3年に1度事務服をリニューアルしており、昨年12月から新デザインの検討に入った。今年6月17日に石狩市で開催された同病院グループの発表会に全国から北海道を訪れる職員をもてなすために、同院のスタッフユニホームとして着用する用途も兼ねていたという。
 新デザインは、社内スタッフ10人でディスカッションしているときに、北海道の文化であるアイヌ文様の使用についてアイデアが出たことがきっかけ。スタッフの一人が偶然ToyToy屋がデザインした手拭いに出合い、小川さんに連絡を取ったことで制服プロジェクトが本格的に始まった。
 今年1月に最初のイメージ画を起こし、制服生地の選定と文様のレイアウト、色のパターンなどを検討し、5月末に106枚の制服が完成した。現在、同院の事務スタッフや医療相談員などが着用している。
 総務課長の村中めぐみさんは「制服のデザインは花川病院のオリジナル。アイヌ文様と石狩市のハマナスカラー、病院のテーマカラーが制服上でコラボレーションしている。文様がいろいろな文化をつなげながら、半年間かけてユニホームが完成してうれしい」と話す。
https://sapporo.keizai.biz/headline/2593/

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白老の湖畔で特別公演 アイヌ民族博物館 /北海道

2017-06-20 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2017年6月19日 地方版

ポロト湖畔で開かれた江差追分の特別公演=白老町のアイヌ民族博物館で
 白老町のアイヌ民族博物館で18日、江差追分の特別公演が開かれ、霧でかすむポロト湖畔に透き通った歌声が響いた。
 相互の文化交流を目的に、同博物館と江差追分会(本部・江差町)が実施。2003年の第41回江差追分全国大会で優勝した江差町の寺島絵里佳さん(33)が歌い手を務め、同町の山田正明さん(57)と北斗市の小野美香さん(38)が尺八と三味線を演奏。「ソーラン節」や盆踊り歌などを披露し、2人の踊り手がアイヌ模様の着物でステージを盛り上げた。博物館の職員が飛び入りで一緒に踊る場面もあり、観客の拍手を浴びた。
 7月には博物館職員が、江差町でアイヌの伝統舞踊を披露する。【福島英博】
https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k01/040/041000c

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アイヌ文化振興法 /北海道

2017-06-20 | アイヌ民族関連
毎日新聞2017年6月19日 地方版
アイヌ文化振興法
 1997年7月、アイヌ文化の振興・普及・啓発などを図ることを目的に施行された。差別法といわれた北海道旧土人保護法は同時に廃止された。具体的な事業の実施主体として、アイヌ文化振興・研究推進機構(札幌市)が設立され、アイヌ語の普及やアイヌ文化交流事業などが実施されている。法成立・施行はアイヌ政策の転換点となったが、アイヌを先住民族と認定することを避けたほか、内容も「文化」に特化され、アイヌ側が求めた生活支援策などは盛り込まれなかった。
https://mainichi.jp/articles/20170619/ddl/k01/040/036000c

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道内周遊アイヌ文化観光 6団体が「ユーカラ街道」

2017-06-20 | アイヌ民族関連
北海道新聞-06/19 07:00、06/19 07:38 更新
 道内6地域のアイヌ民族関係団体などが、各地のアイヌ文化や観光資源をつなぐ広域の周遊ルートづくりに乗りだす。「ユーカラ街道」と銘打ち、2020年開設の民族共生象徴空間(胆振管内白老町)を訪れた観光客らに各地に足を延ばしてもらう目的。体験プログラムなどを充実させ、地域ごとに特色あるアイヌ文化を紹介する計画だ。
 釧路の阿寒アイヌ工芸協同組合、白老のアイヌ民族博物館、旭川の川村カ子(ね)トアイヌ記念館、札幌と函館のアイヌ協会、日高管内平取町が5月、「アイヌ文化周遊ルートづくり協議会」を設立。道の補助金を受け今後3年間かけて、狩猟や衣装、伝統料理、宿泊などの体験プログラムのほか、観光客を誘致するためのコンセプトなどの検討を進める。函館では交易史の紹介、平取では山菜採り、阿寒湖温泉では舞踊の体験などを想定しているという。
全文閲覧は電子版会員限定です。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0411979.html

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アイヌと徳島県人100年前交流 美馬の子孫宅に写真 2017/6/18 11:05

2017-06-19 | アイヌ民族関連
徳島新聞-2017/6/18 11:05

 美馬市脇町北庄の土地家屋調査士井村修子(のぶこ)さん(57)の手元に以前からあった一枚の写真で、北海道旭川市に渡った井村さんの祖先と一緒に写っている人物が、約100年前にアイヌ文化を伝承する博物館を創設したアイヌ民族のリーダー、川村イタキシロマ首長と分かった。関係者によると、当時のアイヌ民族と本州以南から訪れた人が一緒に収まった写真は珍しく、貴重だという。
 美馬市脇町北庄の土地家屋調査士井村修子さん(57)の手元に以前からあった一枚の写真で、北海道旭川市に渡った井村さんの祖先と一緒に写っている人物が、約100年前にアイヌ文化を伝承する博物館を創設したアイヌ民族のリーダー、川村イタキシロマ首長と分かった。関係者によると、当時のアイヌ民族と本州以南から訪れた人が一緒に収まった写真は珍しく、貴重だという。
 井村さんの美馬市脇町の実家には、アイヌ民族らしき2人を含む5人の写った写真が以前からあった。井村さんが2015年に伯母の河野治子さん=16年6月に死去、享年(92)=らに尋ねると、後方の3人は井村さんの曽祖父で元脇町議の河野通雄さん、通雄さんの弟の長尾正通さん、長尾さんの三男直行さんと分かった。
 親族の話によると、長尾さんは1878(明治11)年、脇町生まれ。旭川に移住した時期は不明だが、治子さんは生前、「長尾さんは国か県の命令で開拓移民を北海道に引率する役目を受けて現地に渡った」と話していたという。
 写真は通雄さんが長尾さんの元を訪れた際に撮ったと伝えられていたが、アイヌ民族とみられる2人の素性は分かっていなかった。
 徳島新聞が、アイヌ文化の伝承などを行う民営資料館「川村カ子(ね)トアイヌ記念館」(旭川市)の川村久恵副館長(45)に写真を見てもらったところ、2人は、副館長の夫の祖父に当たるイタキシロマ首長と妻アベナンカさんと判明。背景のササぶきの建物は「チセ」と呼ばれる伝統家屋で、1916年にイタキシロマ首長が創設したアイヌ文化博物館(後に川村カ子トアイヌ記念館に改称)だった。
 副館長によると、イタキシロマ首長は江戸末期から明治期にかけて旭川に50世帯ほどあったアイヌ民族を束ねていた。当時、アイヌ民族は松前藩(現青森県)によって石狩地方や色丹島などで強制労働をさせられていたが、イタキシロマ首長が函館奉行に訴え、強制労働をやめさせたこともあったという。
 写真で夫妻が着用しているのは儀式用の衣装。服装や草履から、比較的温暖な季節とみられる。撮影年は不明だが、直行さんは27年生まれで、イタキシロマ首長は43年に亡くなっている。
 川村副館長は「旭川にもこのような写真はあまり残ってないので大切にしてもらいたい」と話す。井村さんは「正通さんが旭川でどういう暮らしをしていたのか知りたい。アイヌ民族のことも調べてみたい」と感慨深そうに写真を見つめた。
【写真説明】井村さんの祖先とアイヌ民族の夫妻を収めた写真。後列右が河野通雄さん、後列中央が長尾正通さん
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/06/2017_14977496384756.html


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イランカラプテ声合わせ 阿寒湖温泉で初の音楽祭

2017-06-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞-06/18 07:00、06/18 16:31 更新
【阿寒湖温泉】アイヌ語の「イランカラプテ(こんにちは)」を北海道のおもてなしの言葉として広めるための「第1回イランカラプテ音楽祭in阿寒湖」(同実行委主催)が17日、釧路市阿寒町阿寒湖温泉の阿寒湖アイヌシアターイコロで開かれた。
 芥川賞作家の新井満さん(渡島管内七飯町)とアイヌ民族の演出家秋辺日出男さん(釧路市)が、イメージソングの共同作詞をしたのがきっかけ。阿寒湖温泉のアイヌ民族やホテル関係者が企画した。
 音楽祭には、男女デュオのトワ・エ・モワや、民族楽器ムックリ(口琴)の演奏家らが出演。アイヌ民族の伝統的な歌と和太鼓のコラボレーション曲なども披露された。
※「イランカラプテ」の「プ」は小さい字。「イコロ」の「ロ」は小さい字
全文閲覧は電子版会員限定です。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0411765.html

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白老 互いの文化盛り上げに /北海道

2017-06-18 | アイヌ民族関連
毎日新聞2017年6月17日 地方版
 アイヌ民族博物館(白老町)と江差追分会館(江差町)は、18日に博物館で初の特別公演「江差追分」を開く。江差追分踊りは、踊り手がアイヌ模様の着物でニシン船をこぐ様子やカモメが飛び交う姿を表現する。昨年9月に江差追分の愛好者組織「江差追分会」(本部・江差町)が開いた全国大会で博物館にアトラクションの出演を依頼したことが、交流のきっかけになった。特別公演は2回を予定(午後1時と同2時)。入館料はかかるが、観覧は無料。詳細は、博物館(0144・82・3914)へ。
https://mainichi.jp/articles/20170617/ddl/k01/040/012000c

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先住民族の遺骨 返還の機運を高めたい

2017-06-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/17 08:50
 ドイツの民間学術団体が、保管しているアイヌ民族の遺骨の1体が墓からの盗掘だったと判断し、近く日本政府を通じて返還する。
 オーストラリア政府も、自国内の2博物館に保管されているアイヌ民族の遺骨3体を返す意向を日本側に伝えた。
 昨年夏以降、海外に渡ったアイヌ民族の遺骨の存在が次々と分かり、返還の動きが続いている。
 アイヌ民族の遺骨を巡っては、国内の大学などで保管状況などの調査が進められている。
 一方、国外流出の遺骨は8カ国に及ぶとの指摘もあるものの、全容はよく分かっていない。
 政府はまず、海外に渡った遺骨の把握を急ぐ必要がある。
 その上で、持ち出された経緯を詳細に調べ、出身地域や子孫などが特定できるなら、元の場所に戻す努力をするべきだ。
 先住民族の遺骨研究には、人類学上の観点の半面、人種差別的な収集という負の側面がつきまとってきた。
 しかし、2007年に採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」に「遺骨の返還」を求める権利が明記され、その前後から流れが大きく変わった。
 例えば、欧州に流出したオーストラリアの先住民族アボリジニの遺骨である。
 英国は約10年前、エディンバラ大学が保管していた約2千体のうち700体をオーストラリアに返還。ドイツも13~14年に大学主体で約50体を返した。
 気になるのは、国外から入手した遺骨に関する、両国と対照的な日本の動きの鈍さだ。
 北大では1995年、サハリンのウイルタ民族などの遺骨6体が段ボール詰めで長年放置されていたことが分かり、4体がロシアの民族側などに返還された。
 だが、後が続いていない。
 オーストラリア政府から返還されるアイヌ民族の遺骨3体については、アボリジニの遺骨との交換であり、3体が東大に送られた記録が同国側に残されている。
 なのに、東大側はノーコメントを通している。閉鎖的な対応は世界の潮流に逆行するのでないか。
 このままでは、他国にアイヌ民族の遺骨返還を求めても、勝手な言い分ととられかねない。
 実は、国内で保管されている外国由来の遺骨は、その実情すら分かっていない。
 政府や関係する研究機関には、徹底した調査と返還をめぐる関係国との真摯(しんし)な協議が求められる。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/opinion/editorial/2-0114831.html

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来年の夏休みに「150年ウイーク」 道が事業計画案

2017-06-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/17 07:00
 道などが2018年に予定する「北海道150年事業」の計画案の概要が16日、判明した。子供たちが夏休みに入る18年7~8月に「北海道150年ウイーク」を設定し、北海道の食や自然にまつわる多彩なイベントを開催。記念式典はアイヌ文化や歴史の発信に加え、人工知能(AI)ロボットなど未来を支える産業技術を紹介する。
 18年は政府が蝦夷地(えぞち)の名称を北海道と定めた1869年(明治2年)から150年目。道は経済団体や道アイヌ協会などと実行委を組織し、記念事業のあり方などを検討してきた。
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http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0411476.html

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アイヌ文化、弾き継ぐ 釧路移住のギタリスト辺泥さん

2017-06-17 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/16 17:00、06/17 01:27 更新

イランカラプテ音楽祭に出演する辺泥さん(左)と秋辺さん(富田茂樹撮影)
 【阿寒湖温泉】17日に釧路市阿寒町阿寒湖温泉で開かれる「第1回イランカラプテ音楽祭in阿寒湖」に、東京から昨年夏、移住してきたアイヌ民族の辺泥(ぺて)敏弘さん(42)がギタリストとして出演する。辺泥さんは首都圏で音楽活動をしていたが、アイヌ民族に関わる仕事をしたいと、曽祖父の故郷である釧路に移り住み、伝統文化発信の仕事に取り組む。辺泥さんは「アイヌ文化を広める役に立ちたい」と話している。
17日、音楽祭出演「役に立ちたい」
 辺泥さんは中学時代にギターを始め、音響の専門学校卒業後はプロのバンドの裏方に。その後「自分の足元を確かめたい」と2011年から、アイヌ文化を学ぶため東京駅近くの「アイヌ文化交流センター」に通った。14年からはアイヌ関係の公演やイベントなどを行う劇場に勤務。15年にはアイヌ音楽をロック調にしたバンドのライブにギタリストとして出演した。
 その劇場が昨年3月に閉館。ほぼ同時期に、釧路市が伝統的生活空間「イオル」再生事業の職員を採用するという情報を知った。釧路は辺泥さんの曽祖父五郎さん(故人)の故郷で、「いつか行きたい」との思いを抱いてきた。
五郎さんは1904年(明治37年)の米国セントルイス万国博覧会で、アイヌ民族伝統の家「チセ」を移築し、生活を再現する催しに参加したことで知られる。
 辺泥さんは釧路市の嘱託職員の採用試験に受かり、イオル事業の関連業務を行う。仕事以外では、民族伝統の弦楽器トンコリを自宅で作ったり、地域の子供たちにバンド演奏を教えたりしている。一緒に移住した妻も古式舞踊の踊り手として阿寒湖温泉に溶け込んでおり、「ひいじいさんに導かれてここにいる気がする」(辺泥さん)。
 イランカラプテ音楽祭には阿寒アイヌ工芸協同組合の秋辺日出男専務理事と2人で出演する。アイヌ民謡をギターやシンセサイザーでアレンジし、自然との共生への願いを込めた曲を披露する。秋辺さんが「阿寒は文化を継承する次世代の担い手が少なく、辺泥は期待の星」と語ると、辺泥さんは照れくさそうに言った。「アイヌ音楽と初めて出会う人にも楽しんでもらえるような演奏をしたい」
 イランカラプテ音楽祭 アイヌ語の「イランカラプテ(こんにちは)」を北海道のおもてなしの言葉として普及させる国や道のキャンペーンの一環。イメージソングを歌う 芥川賞 作家の新井満さんや男女デュオのトワ・エ・モワも出演。午後1時半から約2時間の予定で、阿寒湖アイヌシアターイコロで開催。前売りは大人2千円(当日2500円)、小学生以下千円(同1250円)。詳細は実行委(電)0154・67・3200へ。
※イランカラプテの「プ」は小さい字
※イコロの「ロ」は小さい字
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0411258.html

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