ニッケイスタイル 2019/5/26

米大陸の熱帯から亜熱帯に分布するオオゴチョウ(Caesalpinia pulcherrima)のイラスト。コーネル大学図書館の稀覯本写本コレクションに所蔵されていたアン・ウルストンクラフトの手描き原稿に含まれていたもの(PHOTOGRAPH BY ROBERT CLARK)
米国ニューヨーク州北部で、190年間失われていた手描きのイラスト原稿が見つかった。3巻にわたる図鑑ともいうべきイラスト集には、カリブ海の国キューバに生育する様々な植物が色鮮やかに描かれている。写真で紹介していこう。
◇ ◇ ◇
マーブル模様の表紙を開くと、扉に手書きの筆記体で「Specimens of the Plants & Fruits of the Island of Cuba by Mrs. A.K. Wollstonecraft」(A・K・ウルストンクラフトによるキューバの植物と果実の標本)と書かれている。手稿は経年による摩耗がみられるものの、その内容は飾り気のない外見からは想像できないほど充実していた。
121枚のイラストには、深い紫色のサルスベリや黄色のキダチチョウセンアサガオといった花々が細かい部分まで見事に描き込まれている。
これに加えて、関連する歴史的事実、現地での利用法、詩、個人的な観察記録などが英語で220ページにわたってつづられている。イラストは科学的慣習に忠実に従い、植生、植物の一生、生殖部の断面図が描かれていた。押し花がテープで貼り付けられているものもあった。図鑑を作ったウルストンクラフトは、植物学者の助言も得ず、誰からも支援を受けなかったと、断り書きを残している。
「キューバの植物に関する文献の宝です」とは、キューバ人植物学者ミゲール・エスキベル氏の弁だ。そして、近年まれにみる偉大な発見であると語る。
「アン・ウルストンクラフトの原稿の発見は、大変重要だと思います」。米ワイオミング州ジャクソンにある脳内化学物質研究所の所長で民族植物学者のポール・コックス氏も言う。「彼女の描いた植物とその説明は特に珍しいものではありませんが、現地の人々がその植物をどのように利用していたかに関する詳細な説明は、植物の利用可能性についてまったく新しい理解をもたらしてくれるもので、新たな薬剤開発につながるかもしれません」
例えば、サワーソップという木の根は魚中毒の解毒剤に使われ、その葉は駆虫薬や抗てんかん薬に用いられると書かれている。また、「病的な甘さ」と表現される果実に「サワー」という名は合わないと思っていたら、島の先住民がこの木を「スーサック」と呼んでいたことから、発音が少し変化してサワーソップと呼ばれるようになったのではないかとも書いている。
■地道な調査から発見へ
ところで、この発見がなければ、ウルストンクラフトの業績は世に出ることはなかったかもしれない。その意味でも、発見した元弁護士で歴史家、キューバのものなら何でも収集するというエミリオ・クエト氏の功績は大きい。
ウルストンクラフトの仕事が記録されたのは、1828年にスペイン語の週刊誌「El Mansajero Semanal」に、キューバから亡命した人権運動家のフェリックス・バレラ神父とホゼ・アントニオ・サコが、「キューバ在住で、キューバの植物を絵に描いている米国人女性がいる」と書いたのが最初だ。
クエト氏はウルストンクラフトの作品を直接目にすることなく、実際に作品が残っているかどうかもわからないまま、2002年にヒストリーマイアミ歴史博物館で自ら開催したキューバの動植物展で、展示目録の参考文献一覧にウルストンクラフトの名を加えた。
過去の文献を当たってみると、ウルストンクラフトの英語のつづりが違っていたり、旧姓のキングスブリーが使われている資料もあった。さらに、下の名がアンになったり、ナンシーに変わったりした。
クエト氏は、ウルストンクラフトの原稿を探してオンラインの図書目録を100回以上調べた末、ついに2018年3月、目指すものに行き当たった。作者名のつづりがやはり誤表記されていたのだ。扉に書かれた筆記体の母音が判別しにくかったのだろう。苗字の「a」が「o」に変わっていた。だがクエト氏には、これが探し求めていたものであることがわかった。
「やった!あの女性だ、と思いましたね。これこそ探し求めていたものだと。つづりの間違いをはじめ、いくつもの不幸が重なって、これまで埋もれていたんです」
■偉大な女性科学者
ラッセル氏が調べたところによると、ウルストンクラフトは1828年に46歳で死去した。後には、書きかけの項目や下書きのメモ、本に綴じられていない原稿などが遺されたという。
「彼女の仕事は未完でした。しかし、図鑑を見つけなければ、彼女が残した仕事が永遠に忘れ去られていたかと思うと、寒気がします」と、ラッセル氏。
クエト氏は現在、ウルストンクラフトの業績を次世代へ伝えるために活動している。ウルストンクラフトが第2の故郷としたキューバのマンタサスへ出かけて墓を見つけ、当時の地元新聞に彼女の名を探した。そして、彼女は19世紀に転地療養のためカリブ海へ移住した多くの米国人のひとりだったのではないかと考えた。米国で著名な女性の権利活動家メアリー・ウルストンクラフトは、彼女の義姉に当たる。
クエト氏は、多くの観光客が訪れる米国の首都ワシントンDCの国立女性美術館で、発見したばかりの原稿を展示する計画を立てている。また、最終的に本にして出版することも考えている。その際、序文として原稿の発見に至った過程も書き加えたいという。スペイン語に翻訳すれば、キューバの読者にも読んでもらえるだろう。
「科学と芸術の分野から忘れられていた新しい米国人科学者であり画家を発見しました。もっと長生きしていたら、きっとその世界では重要な存在になっていたでしょう」
次ページでも、ウルストンクラフトが描いた美しい「植物図鑑」をご覧いただきたい。
(文 CZERNE REID、写真 ROBERT CLARK、訳=ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年4月28日付記事を再構成]
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44761110U9A510C1000000/