昨日は、末吉暁子先生の第58回産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞のお祝い会でした。版元の講談社さん、鬼が島の先生方、がんこちゃん関係のNHKの方々、先生とお付き合いのある画家さん、編集者さんなど、多くがあつまる大変華やかであたたかい会でした。
末吉先生とは長いつきあいだからと、なんと山中恒さんもいらしていました。上海にいってらしたばかりとか。まだまだお元気です。上海ガニは観光客が食べるもので、あまりうまくない・・・・なと、旅のあれこれを話してくださいました。
また、ミウの絵をかかれた平澤朋子さんともお話しすることができました。モデルさんのようにすらっとしたステキな方。最近の『天は二物』をあたえるのですね。
ところでお祝い会の前、受付を手伝うことになった、わたしとYamamotoさん三木さんで早めに会場に行き、ホテルのまわりをうろうろしていたら、紀子様が車から降りてホテルに入る場面に遭遇。カメラが数台待ち受けて写真をとっていました。
思いおこせば、末吉先生、鬼が島の先生とのご縁はもう、20年ほど前からになります。鬼が島の新人発掘鬼が島コーナーで入選することができたから。そのおかげで、かげがえのないももたろうの仲間もできたし、本当にたくさんの有意義な出会いがもてています。
鬼が島の先生方やその回りの方々は「こうしなさい」とか「それはまちがってる」とか上から目線でお話しをされることは少しもありません。また、すばらしい業績をもってらしても、自慢されることもありません。いつもフレンドリーにあたたかく、包みこんでくださいます。
でも、やはり、出あうたび、こちらの背筋がのびる感じがするのは、努力をおしまず書くことへの情熱をしっかりもってらっしゃるからです。それは、20年間、少しもかわりません。
もし、わたしたちが、同人誌「ももたろう」をつくってなかったら、こういう出会いはすべてなかったのかな……。そういうことを思うと、若かったあの日、堀切さんや清野さんと出あって「同人誌つくろうかーー」とつぶやきあったことが、わたしの人生のひとつの大きな岐路だったように思えます。
人生ってどこに岐路がころがっているのか、わからないのですね~~。
つまり、つい、そんな昔のことを思い出してしまうほど、心揺り動かされる、すばらしいお祝い会だったのです。
写真は、お祝い会の会場『霜月好日』がある、アイ・ガーデンテラスです。
末吉先生とは長いつきあいだからと、なんと山中恒さんもいらしていました。上海にいってらしたばかりとか。まだまだお元気です。上海ガニは観光客が食べるもので、あまりうまくない・・・・なと、旅のあれこれを話してくださいました。
また、ミウの絵をかかれた平澤朋子さんともお話しすることができました。モデルさんのようにすらっとしたステキな方。最近の『天は二物』をあたえるのですね。
ところでお祝い会の前、受付を手伝うことになった、わたしとYamamotoさん三木さんで早めに会場に行き、ホテルのまわりをうろうろしていたら、紀子様が車から降りてホテルに入る場面に遭遇。カメラが数台待ち受けて写真をとっていました。
思いおこせば、末吉先生、鬼が島の先生とのご縁はもう、20年ほど前からになります。鬼が島の新人発掘鬼が島コーナーで入選することができたから。そのおかげで、かげがえのないももたろうの仲間もできたし、本当にたくさんの有意義な出会いがもてています。
鬼が島の先生方やその回りの方々は「こうしなさい」とか「それはまちがってる」とか上から目線でお話しをされることは少しもありません。また、すばらしい業績をもってらしても、自慢されることもありません。いつもフレンドリーにあたたかく、包みこんでくださいます。
でも、やはり、出あうたび、こちらの背筋がのびる感じがするのは、努力をおしまず書くことへの情熱をしっかりもってらっしゃるからです。それは、20年間、少しもかわりません。
もし、わたしたちが、同人誌「ももたろう」をつくってなかったら、こういう出会いはすべてなかったのかな……。そういうことを思うと、若かったあの日、堀切さんや清野さんと出あって「同人誌つくろうかーー」とつぶやきあったことが、わたしの人生のひとつの大きな岐路だったように思えます。
人生ってどこに岐路がころがっているのか、わからないのですね~~。
つまり、つい、そんな昔のことを思い出してしまうほど、心揺り動かされる、すばらしいお祝い会だったのです。
写真は、お祝い会の会場『霜月好日』がある、アイ・ガーデンテラスです。