末吉暁子先生の長編冒険ファンタジー、『波のそこにも』を読みました。この作品は長い間「鬼ヶ島通信」に連載されたのを書き直しされたもの。絵は佐竹美保さんです。
ひさびさにファンタジーらしいファンタジーを読んだなって、思いました。歴史をベースに思いっきり想像の翼をひろげています。
壇ノ浦の戦いのあと、海にしずんだ皇子が水の底の都(水底の国)にたどりつくなんて、なんともロマンチックでほっとします。あの戦い、皇子が小さすぎて、なんだかかわいそうな結末だったから。
皇子は、なくした宝剣をさがす旅にでます。しかしながら、この皇子、えらそうであまりかわいくない! でも、しょうがないですよね。天皇になる方として、地上ではちやほやされていたのですから。それにあんな戦のあとです。
かわいくなくても責任感はある皇子。必死にさがそうとしますが、でも、簡単には宝剣は見つかりません。
さて、皇子は無事、宝剣を見つけることができたでしょうか?
それを知りたい方はこの作品を読んでください。最後、こうくるか!って、ラストが待ち受けています。また、あたたかい気持ちにもなれます。
この作品を読んで、もうひとつ感じることは、歴史の輪がつながっているみごとさです。
『血と潮の王』では、古事記をベースに。
『水のしろたえ』では、羽衣伝説をベースに、ファンタジーをかかれているのですが、この『波のそこにも』とあとの2つの作品も登場人物が、自然にリンクされているのです。
それは、ひとつの歴史が、他の歴史とつながりあっているようなもので、そのストーリーラインづくりのたくみさは、胸をうつものがあります。
この三作品は、末吉先生は、ライフワークとして取り組まれたのでしょう。
古事記を勉強しているのよっと、ずっと以前にお聞きしたことがあります。
今は歴史ブームですが、『血と潮の王』の頃は、先がけのような作品でした。壮大なロマンがあるみごとな作品。こういう作品を読むと、自分の作品が小さくみえて、困ってしまいますね。やはり、鬼の先生方は、いつまでもあこがれの存在です。
末吉先生は、また、鬼ヶ島通信に新しいファンタジーを発表されてすでに、次を見据えていらっしゃいます。柏葉さんや那須田さんの作品も読める「鬼ヶ島通信」は今、『50プラス15号』が発売されてます。新人発掘の鬼の創作道場もあって専用サイトから申し込めますよ。

ひさびさにファンタジーらしいファンタジーを読んだなって、思いました。歴史をベースに思いっきり想像の翼をひろげています。
壇ノ浦の戦いのあと、海にしずんだ皇子が水の底の都(水底の国)にたどりつくなんて、なんともロマンチックでほっとします。あの戦い、皇子が小さすぎて、なんだかかわいそうな結末だったから。
皇子は、なくした宝剣をさがす旅にでます。しかしながら、この皇子、えらそうであまりかわいくない! でも、しょうがないですよね。天皇になる方として、地上ではちやほやされていたのですから。それにあんな戦のあとです。
かわいくなくても責任感はある皇子。必死にさがそうとしますが、でも、簡単には宝剣は見つかりません。
さて、皇子は無事、宝剣を見つけることができたでしょうか?
それを知りたい方はこの作品を読んでください。最後、こうくるか!って、ラストが待ち受けています。また、あたたかい気持ちにもなれます。
この作品を読んで、もうひとつ感じることは、歴史の輪がつながっているみごとさです。
『血と潮の王』では、古事記をベースに。
『水のしろたえ』では、羽衣伝説をベースに、ファンタジーをかかれているのですが、この『波のそこにも』とあとの2つの作品も登場人物が、自然にリンクされているのです。
それは、ひとつの歴史が、他の歴史とつながりあっているようなもので、そのストーリーラインづくりのたくみさは、胸をうつものがあります。
この三作品は、末吉先生は、ライフワークとして取り組まれたのでしょう。
古事記を勉強しているのよっと、ずっと以前にお聞きしたことがあります。
今は歴史ブームですが、『血と潮の王』の頃は、先がけのような作品でした。壮大なロマンがあるみごとな作品。こういう作品を読むと、自分の作品が小さくみえて、困ってしまいますね。やはり、鬼の先生方は、いつまでもあこがれの存在です。
末吉先生は、また、鬼ヶ島通信に新しいファンタジーを発表されてすでに、次を見据えていらっしゃいます。柏葉さんや那須田さんの作品も読める「鬼ヶ島通信」は今、『50プラス15号』が発売されてます。新人発掘の鬼の創作道場もあって専用サイトから申し込めますよ。