「音楽&オーディオ」の小部屋

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愛聴盤紹介コーナー~ベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲♯1~

2008年03月09日 | 愛聴盤紹介コーナー

このコーナーでは、これまでヴァイオリン協奏曲としてモーツァルト、ブラームス、シベリウスを紹介してきたが、今回はベートーヴェン(1770~1827)のヴァイオリン協奏曲ということで、いよいよ真打の登場である。

とにかく幾多のヴァイオリン協奏曲がある中で誰もが認める「王者」とされ、”楽聖”の名に恥じないスケールの大きい傑作だといわれている。

作曲は1806年、ベートーヴェンが36歳のときで、これ以降ヴァイオリン協奏曲を作曲しておらずこのジャンルでは生涯に亘ってこの一曲だけだったところをみると、相当の自信作だったことが伺える。たとえば交響曲「第九番」をはじめピアノ三重奏曲「大公トリオ」、ピアノソナタ32番など、自信作の後には同じジャンルでの作曲はしないのがベートーヴェンのやり方。

曲は三楽章で構成されている。(演奏時間は奏者によってまちまちだが一応の目安)

第一楽章(25分前後)
最も長い楽章でティンパニーの独奏で木管の主題が導き出され、堂々とした管弦楽だけの提示部があり、やがてヴァイオリン独奏が即興的にぐいぐいと弾きはじめ、きらびやかに楽想を展開していく。

第二楽章(9分前後)
ゆっくりとした歌うような楽章で、独奏が弦楽合奏の柔らかな響きを縫って自在に動いていくところが渾然一体となって美しさの極みに達している。

第三楽章(10分前後)
第二楽章から休まずに続いて始まる。同じ主題が何度も繰り返して出てくる形式で作曲され、素晴らしい技巧を展開しつつきらびやかなクライマックスに上りつめて終わる。

人気曲なので、実に多くのヴァイオリニストが挑戦している。自分は長い間オイストラフ演奏のものが絶対だと信じて他の盤にあまり浮気しなかったのだが、それだけではあまりに淋しいので仲間のMさんと湯布院のAさんにお願いしたところ快く自ら所有のCD盤を貸していただいた。

それも二人合わせて何と17枚。それに自分のオイストラフとウィックスの2枚を加えて19枚にも及ぶ大掛かりな試聴となった。とても1回ではスペースが足りないので10枚と9枚に分けて試聴することにした。

とりあえず演奏者のメンバーを紹介しておくと次のとおり。

♯1(前半)

自己の所有  2枚 オイストラフ、ウィックス

Mさん所有   8枚 ヌヴー、メニューイン、キョンファ、クレーメル、カントロフ、シェ
              リング、テツラフ、パールマン

♯2(後半)

Aさん所有    9枚 ハイフェッツ2枚(トスカニーニ指揮とミンシュ指揮)、ムター、
              ヘンデル、シゲティ、フランチェスカッティ、コーガン、フーベル
              マン、レーン

古今東西の名ヴァオリニストたちがズラリと並んで壮観の極みである。自分には「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はこうあらねばならない」という信念も特にないし、単なる市井の一愛好家に過ぎないので、これから登る山を目前にして
道に迷ってしまうかもといささか心配している。

結局のところ、これまでのいくばくかの経験に裏打ちされた個人的な感性に基づく感想に留まってしまうわけだが、何しろオイストラフ以外は初めて聴く演奏者ばかりでヴァイオリニストによってどういう違いがあるのか、いまはそちらの興味の方が優っている。

録音時期の古い順から並べてみよう。(奏者、指揮者、オーケストラの順番)

☆1 ユーディ・メニューイン フルトヴェングラー ルツェルン音楽祭管弦楽団
    録音:1948年

☆2 ジネット・ヌヴー ハンス・ロスバウト 西ドイツ放送管弦楽団
    録音:1949年 

☆3 カミラ・ウィックス ブルーノ・ワルター フィルハーモニック・オーケストラ
    録音:1953年

☆4 ダヴィド・オイストラフ アンドレ・クリュイタンス フランス国立放送局管弦楽団
    録音:1958年

☆5 ヘンリック・シェリング ベルナルト・ハイティンク ロイヤル・コンセルトヘボウ
    録音:1973年

☆6 イツァーク・パールマン カルロ・マリア・ジュリーニ フィルハーモニア管弦楽団
    録音:1980年

☆7 ジャン・ジャック・カントロフ アントニ・ロス・マルバ オランダ室内管弦楽団
    録音:1984年

☆8 チョン・キョンファ クラウス・テンシュテット ロイヤル・コンセルトヘボウ
    録音:1989年

☆9 ギドン・クレーメル ニコラス・アーノンクール ヨーロッパ室内管弦楽団
    録音:1992年

☆10 クリスチャン・テツラフ デヴィド・ジンマン トンハーレ・チューリヒ
    録音:2005年

       
     1             2              3              4

             

           5                6             7

             
           8                9             10

≪私見による試聴結果≫

 60年前の録音で、当然モノラル、しかもジャリジャリと雑音がガサツク。とにかく演奏に集中するのみだが、第一楽章ではメニューインが大指揮者を前にしてやや遠慮気味のようでヴァイオリンよりもオーケストラの方が優っている印象を受けた。
しかし、第二楽章では一転して本領を発揮して背筋がゾクゾクしてくるような優美さを漂わせる。この楽章が一番の聴きどころだろう。しかし、この盤は一般向きではないと思う。

 やはりヌヴーのヴァイオリンは違う。一言でいって「志」が高い。優れた芸術作品だけが持つ「人の心を動かし精神を高揚させる」ものがある。音楽にすべてを捧げた演奏家の情熱と殉教的精神みたいなものが感じとれるのが不思議。
とはいながら、マイナス材料もある。オーケストラがところどころ粗いし、録音の方もメニューイン盤よりはましぐらいの程度。
また、二楽章以降なんとなく音楽全体の求心力が薄くなっていく印象を受けた。これはヌヴーの責任ではなく指揮者とオーケストラに大きな原因があると自分はにらんでいる。
とにかく、この盤も1と同様に一般向きではない。
なお、これは現在廃盤となっており
入手不可能。自分にとって、好きを通り越して崇拝の域に達しているヌヴーなので、Mさんに無断で4倍速でていねいに時間をかけて○○○させてもらった。おそらく寛容なMさんのことだから許してくれるだろうと思う。

 シベリウスのV協奏曲のときと同様にヌヴーのすぐあとに聴くウィックスは直接比較の対象になるので可哀想。まるで芸格が違う。独奏ヴァイオリンの冒頭の部分を一聴しただけで「ヴァイオリンの音色が浮ついている」と思った。ワルター指揮のオーケストラに随分助けられている印象。その延長で第二楽章は抒情味豊かな演奏を聴かせてくれたが、ヌヴーとワルター指揮のコンビだったらどんなにか素晴らしい演奏になっただろうとの連想に思わず走った。結局ウィックスはその程度の存在感だった。

ところで、三人目の試聴が済んで、ようやくこの協奏曲の試聴の勘所が分かってきた。演奏者の差がつくのは何といっても第一楽章、それも冒頭の導入部の部分で、ここでヴァイオリニストの才能と技量が決まるようで、第二楽章以降はどんな奏者でもそこそこ弾けるみたいな気がしてきた。

関連して、女流ヴァイオリニスト高嶋ちさ子(俳優:高島忠夫の姪)さんの著書「ヴァイオリニストの音楽案内」(2005.10.31、PHP新書)にも同じようなくだりがある。以下引用してみる。

オープニングのティンパニーが音を四つ叩き、それがちょっとでも狂っていると、その次の木管が出てきたときに 「ん?音程おかしくない?」とみんな頭をかしげ、その後3分30秒間ソリストはただひたすら音程が落ち着くのを待つ。「って、こんなに待たせんなよ!」というのがソリストの言い分。待ってる間に指は冷え切って、そのあとにこのオクターブをひょこひょこ上がっていく。これが0.1ミリでも押さえるところが違った日には「死にたい・・・」となる。なんといっても鬼門はこの出だし。

 昔から聴きなれた盤なのでどういう演奏かは百も承知。オイストラフのたっぷりとヴァイオリンを歌わせる弾き方は絶妙の域に達している。しかし、ヌヴーを知った今ではやや受け止め方が違う。20世紀最高のヴァイオりニストに対してとんでもない言い掛かりになるが「美しすぎる」というとおかしな表現になるが、どうも「美しさと音楽の核心へのアプローチが両立していない」といえば意味が分かってもらえるだろうか?これはおそらく自分だけの完全に孤立した感想だろうが、そう思えるのだから仕方がない。

 「端正で気品あふれる演奏」最初から最後までこの言葉に尽きる。しかも冷たいようでいてそれなりの熱もある。第一楽章の流れるような美しさは比類がない。シェリングはもちろん、指揮者のハイティンクもコンセルトヘボウもいい。しかもデジタル録音ではないのに音質がいい。いいこと尽くしでは面白くないので、ケチをつけようと思うが何ら見当たらない。とにかくシェリングはミスタッチがないし、その技巧の確かさには感心した!素人目にも造形のたくましさが分かる。別にイッセルシュテット指揮(1965年)の盤もあるようでこれも是非聴いてみたいという欲を起こさせる。

 シェリングも決して線が太いヴァイオリニストとは思わないが、それをやや小粒にしたような印象。きれいで繊細、静かな演奏、大きな波乱が起こらないのが分かっているので安心感があるが、逆にスリリングな刺激感に乏しい。決して悪い演奏ではないが、この盤でなければ得がたい魅力には乏しいと思った。これはパールマンというヴァイオリニストに対する自分のイメージとスッポリ重なる。

 オーケストラの導入部が終わって、独奏ヴァイオリンの最初の一音が出たときに誤魔化しようのないまことに頼りない音がして、即座に「ひ弱だな~」と思った。この第一印象は不幸なことに最終楽章まで持続した。彼は1945年生まれだから現在63歳、この演奏の時点では39歳だった勘定になるが、この時点でこの程度なら将来性云々の段階ではなさそう。ばっさり、切り捨てさせてもらって先に進もう。

 それなりのレベルの高い演奏との印象を受けたし、指揮者、オーケストラもまったく他と遜色ない。しかし、何か違和感が終始つきまとった。これまでの試聴で範となるシェリングの第一楽章の演奏時間25分58秒、キョンファは24分53秒で約1分の違いにすぎないのでテンポの問題ではなさそうで、よく考えてみるとたっぷりと(ヴァイオリンが)歌って欲しいところで歌っていないのが原因だと気がついた。もうひとつ、国籍の違いを言うとどうしようもないが、アジア人が弾いたヨーロッパの曲という違和感も自分には拭えなかった。結局、国籍を問題にしないほどの高い芸術性の域に達した演奏ではないといえば言いすぎになるのかなあ~。

 近年、この協奏曲の名盤、決定盤として定評(音楽評論家による選出)があるが、自分の鑑賞力不足のせいかいまひとつ良さが理解できなかった。独特のカデンツァなど工夫を凝らした斬新な挑戦が自分には音楽の本質とかけ離れたスタンドプレイに映ってしまうのだからどうしようもない。最近発刊されたクレーメルの自伝「クレーメル青春譜」(2007.12.31、株アルファベータ)の「自己中心的な思考と言動」(他人を謗る資格がない自分だが・・)の持ち主との印象を受けた読後感とつい重なり合ってしまう。どうも、このヴァイオリニストとは波長が合いそうにない。ただし、この盤は録音はいい。

10 現代的な爽やかさを感じさせる演奏で好感を持った。正面から攻めていく潔さに一陣の涼風が吹き抜ける印象。テツラフというヴァイオリニストは初めて名前を聞くし、演奏を聴いたのも初めてだがなかなかいい線いってるじゃん。技巧も冴えているしヴァイオリンの透徹な音色の中に簡単には折れそうにない芯がある。さっそく、ウィキペディアを覗いてみると1966年生まれのドイツ出身とある。現時点で42歳だから芸術家としてはまだ若い。バッハからシェーンベルクまでレパートリーも広い。これは将来が非常に楽しみで極めて有望株の印象あり。
なお、この盤はオーケストラもいいし、音質も良かった。しかも全体時間が40分ほどで通常の演奏よりも5分ほど短く、スイスイと弾ききった印象。

以上、前半戦10枚の試聴が終わったが、自分の一押しはいまのところ
シェリング。(もちろん、ヌヴーは例外的な存在)。

後半戦はハイフェッツ(2枚)、シゲティ、フランチェスカッティなど大物たちが続々と控えているが果たしてこれを超える盤が出てくるんだろうか。

以下♯2(11~19)の試聴へと続く。    

   

 

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