メル友の奈良県のMさんから「聴いてみませんか」と送られてきたCDが4枚。6月4日(土)のことだった。
Mさんからは、以前バッハのイギリス組曲(2枚組:グールド演奏)をお借りしたことがあり、筋金入りのクラシックファンであることは疑いを容れないが、ときにはこういう”肩の凝らない”曲目も聴かれるんだという意外性を感じさせる4枚。
☆ 「クラシカル・ミュージック・セレクションズ」(アキュフェーズ製作の特別ゴールド盤)の中の鮫島有美子(ソプラノ)の「平城山(ならやま)」
☆ 「倍賞千恵子のすべて」の中の「城ヶ島の雨」と「雪の降る町を」
☆ 「フランク永井 ベスト・ヒット」
☆ 「三橋美智也の世界」
Mさんによると是非聴いて欲しいという本命は鮫島有美子さんと倍賞千恵子さんの歌でフランク永井と三橋美智也はつけたしのダークホース的存在。
しかし、この4枚を聴いてみて一番楽しかったのは「フランク永井 ベストヒット」。
「フランク永井」といえば自分が小学生~中学生の頃の流行歌手だが、当時は戦後10年余ほど経ったばかりでほとんどの家庭が貧弱なラジオの音響で聴くばかりだったが今のオーディオ装置で聴いてみると素晴らしい歌声にビックリ。
歌唱力といい、豊かな低音の魅力といい「フランク永井」ってこんなに凄かったんだ!
それに、昔の歌の歌詞はどうしてこう情感に溢れているのだろう。
「君恋し」から「おまえに」まで全18曲、彼のヒット曲が全て網羅されているが特に想い出に残るのが第3トラックの「夜霧の第二国道」。
当時、たしか小学校の5年くらいだったと思うが、学校行事の一環でバスを利用した見学の車中、担任の先生から「皆さん1曲づつ歌いなさい」とマイクが回された。
自分の番がきたので、そのときに歌ったのが「夜霧の第二国道」。「つ~らい恋な~ら、ネオンの海へ~」で始まる失恋の歌。
当時大ヒットしていた曲で、歌詞の意味もよくわからないまま歌ったのだが、先生(女性)から「あなた、こんな歌をなぜ知ってるの?」と呆れた顔をされたのを50年以上経った今でも赤面ながらに想い出す。
こういう懐かしい曲目を丁度(5日)の日曜日、我が家のオーディオを久しぶりに試聴にお見えになる予定の福岡のNさんにも目玉として是非聴いていただこうと思い立った。
Nさん宅には一度お伺いしたことがあるが、トーレンスのプレーヤー「プレスティジ」を2台、マークレヴィンソンのDAコンバーターやタンノイのオートグラフなど高級機器をズラリと揃えてある、超がつくオーディオマニアだが、自分と似たような世代なのできっと喜ばれるに違いない。
しかし、(曲目の)プレイリストはともかく、問題は(自分の)オーディオ装置のほうで土曜日の午後から最後の調整に余念がない。
「音にウルサイ方」に自分の音を聴かせるのは正直言って少しばかりコワイところがある。
装置のある部分をちょっと”いじった”だけでガラリと音が変わるし、簡単な工夫と手間で「もっといい音」になる秘訣がどこかに隠されている気がいつもする。
たとえば、DAコンバーターと中高域用のパワーアンプの間に挿入しているバッファーアンプの真空管をRCAにするか東芝にするかで情報量に大きな差が出るし、ツィーターの周波数をカットオフするコンデンサーをマイカにするかオイルにするかで清澄感が違ってくる。
つまり、これが「最終的な音」とは思われたくないという「逃げ」と「自分をもっとよく見せよう」という虚栄心が”ない交ぜ”になって、これが「コワイ」につながっている。
たかが「音」なんだけど、マニアにしてみると人格に匹敵するような存在だから始末に負えない。
これに関連して、早世が惜しまれる「中島 敦」(1909~1942)に「山月記」という掌編の名作がある。
教訓めいた話なので高校の国語教科書にもよく採用されておりご存知の方も多いだろう。
中国のことだが、科挙に合格したほどの英才が「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」のため、他人の率直な批評を恐れるあまり、人との交わりを避け切磋琢磨する努力を怠ったばかりに詩作の世界で大成することができず、最後には怨念のあまり人間の言葉を話す「虎」に変身してしまうという哀しい話である。
オーディオの世界だって同じことかもしれない。自分の場合なら「虎」は立派すぎてもったいないので、さしづめ「兎」なんかに変身ってことに。
さて、オーディオ装置の最終調整を何かやり残したような微妙な気持ちで迎えた日曜日の午前10時ごろ、Nさんから「今日の訪問は体調不良のため、またの機会にします」という実に気の毒そうな口調でご連絡があった。
まずは健康第一、無理は禁物ということでどうか「お大事に」。
しかし、しばらくするとホッとするやらガッカリするやら、何だか複雑な心境に~。