キンちゃんの「マイコレ」partⅤ

果樹栽培、自然観察、・・・そして時々人間観察等です。

逆説の日本史 中世神風編

2012-04-03 19:54:42 | 
今日、未明からの強風が、今の時刻になっても吹き荒れています。
今治では、新造船が強風にあおられて岸に乗り上げたとか・・。


鎌倉仏教、元寇、建武の新政について述べられています。

(12/04/03撮影)

「「最澄は木谷実で、空海は呉清源だ」
「最澄は佐瀬勇次で、空海は升田幸三だ」
最澄も天才であることは間違いないが、そのスケールは空海には及ばない・・「後世への影響」という点でみれば、逆に空海は最澄の足元にも及ばない・・
鎌倉新仏教はすべて、最澄の播いた種が実ったものだ。」

法然生誕1133年から、栄西、親鸞、道元、日蓮、そして一遍が没したのが1289年、約150年の間に新仏教の開祖たちが・・。


「野戦なら、このモンゴル騎兵に勝った民族はいない。
モンゴル騎兵の強さの一つに、乗り換え馬が豊富なことがある。
大量の馬を海上輸送するような技術は、当時世界中どこを探してもない
日本が世界最強の元に勝てた最大の原因は、・・大陸と日本の間に海が存在した、
日本が元に勝てたのは・・1.元軍の主体がモンゴル騎兵ではなく「多国籍」の歩兵だったこと2.鎌倉武士が奮戦してよく防いだこと・・これに「神風」という偶然の要素が重なった」


「足利氏は源氏本家が三代で滅んだ以後は、源氏の中で最も有力な名門だった。
後醍醐が目指したのはあくまで革命(体制の根本的な変革)であるのに対し、尊氏はクーデター(同体制での権力交替)をしたつもりなのである。
この国を天皇中心の中央集権国家に改造する-それが後醍醐の政治理念であった。
行革を、それも徹底的にするには権力を集中しなければならない。
日本人はそういう一極集中型権力者を好まない。
武士によって運営される幕府だけでなく、本来の官僚制度ではなく世襲化した身分制度になってしまった「律令」制度も、後醍醐にとっては「悪」なのである。
日本人の秩序感覚というのは、根本的には血統意識なのである。
後醍醐の「政治理念」が日本の根本的な統治理念である「血統信仰」に抵触するものであったことが、新政失敗の最大の原因ではあるまいか。」


今回も、興味深く読ませて頂きました。
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切戻し

2012-04-03 05:08:24 | 日記
風雨の音が続いています。
当地には、暴風警報が出たようです。

キンモクセイが大きくなって剪定が大変になって来たので、樹高を低くしようとしています。

(12/03/31撮影)
身体バランスが悪くなって来たので、なるべく脚立作業をしないように・・。

若干の心配がありましたが・・、無事、新芽を出してくれていました。
残りは、今冬、切詰めましょう。

実家のキンモクセイも、屋根を壊すほどに育って・・、
こちらも、足の太さほどの幹を切りましょう。
マキも、モッコクも、サザンカも、イヌツゲも、松も、モミジも・・、
今冬は、久し振りの庭木剪定に・・、取組めるかなぁ・・。
コメント (2)
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