氏神様(大井八幡大神社)に初詣に行く時、少しでも運動不足解消に山の尾根伝いに行こうと、逆方向の山に向かいました。
山の中に、妙見山古墳発掘時に作った作業用アクセス路の名残があるからです。
山中への入口は、竹藪です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/5d/8208c489e2efabb431c0e56c2e7b7b8b.jpg)
(15/01/02撮影)
出口では、竹から木に変わっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/b1/f6a6cd4e2613b7bf45fe9d7ede4403ca.jpg)
発掘後整備された妙見山古墳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/47/f192e995ed36ee5a8df5986a5e6a7d33.jpg)
古墳の上から海を見ると、北西風による白波が立っていました。
造船所に自動車運搬船が浮かんでいます。
この会社、昨年末に「自動車輸送船の運賃を巡るカルテルで米司法省に5940万ドル(約70億円)の罰金を支払うことで合意したと発表した。」とのニュースが流れていましたが、米国に罰金を支払うために造船会社に対する要求を厳しくしていた・・訳ではないと思うが・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/02/a4d19d9f2ddd9f35322a76731f7f89d3.jpg)
妙見山古墳のある藤山公園を抜けると氏神様の鎮守の森を抜ける参拝側道の登り口に至ります。
藤山公園には、宮内庁が管理する場所があり、後醍醐天皇の皇子が埋葬されているようです。
先日の中国の戦勝70周年関連ニュースで「先の大戦」という呼称が用いられていましたが、京都では「先の大戦とは応仁の乱」との都市伝説を耳にします。
応仁の乱は15世紀、
後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの里で薨去され大井八幡に合祀されたのが1338年、
大井八幡大神社の前身の神殿造営が702年、
そして、妙見山古墳の築造は4世紀初め・・、いつから、この地に人が住み始めたのだろう・・、悠久不断の歴史。
山の中に、妙見山古墳発掘時に作った作業用アクセス路の名残があるからです。
山中への入口は、竹藪です。
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(15/01/02撮影)
出口では、竹から木に変わっています。
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発掘後整備された妙見山古墳。
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古墳の上から海を見ると、北西風による白波が立っていました。
造船所に自動車運搬船が浮かんでいます。
この会社、昨年末に「自動車輸送船の運賃を巡るカルテルで米司法省に5940万ドル(約70億円)の罰金を支払うことで合意したと発表した。」とのニュースが流れていましたが、米国に罰金を支払うために造船会社に対する要求を厳しくしていた・・訳ではないと思うが・・。
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妙見山古墳のある藤山公園を抜けると氏神様の鎮守の森を抜ける参拝側道の登り口に至ります。
藤山公園には、宮内庁が管理する場所があり、後醍醐天皇の皇子が埋葬されているようです。
先日の中国の戦勝70周年関連ニュースで「先の大戦」という呼称が用いられていましたが、京都では「先の大戦とは応仁の乱」との都市伝説を耳にします。
応仁の乱は15世紀、
後醍醐天皇の皇子尊真親王がこの里で薨去され大井八幡に合祀されたのが1338年、
大井八幡大神社の前身の神殿造営が702年、
そして、妙見山古墳の築造は4世紀初め・・、いつから、この地に人が住み始めたのだろう・・、悠久不断の歴史。