この編は、家康による関ヶ原勝利から徳川幕府成立の過程に関して述べられています。
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(12/12/16撮影)
秀吉の「唐入り」は軍事バブルでふくれ上がった兵士に対する雇用対策である。
「唐入り」の惨憺たる敗戦による兵士の気持ちの変化により家康は対外侵略をする必要がなくなった。
だが、依然として家康の前には、「戦争終了による兵士の大量失業」という解決困難な政治的課題が残った。
関ヶ原の前、家康は「明日の戦いに参戦しなければ、毛利の領土はそのまま保証する」と、家来の名をもって確約した。
大阪城に入った家康は「毛利の領土百二十万石すべてを没収し、毛利家はとりつぶすこと」を宣告したが、結局二ヵ国三十六万石へ落とされた。
薩摩は千六百人が敵中突破して八十名が帰国した。
家康は薩摩征伐を志すが、徹底抗戦の構えを示したため断念した。
結局、これらが倒幕運動につながって行った。
「だまされた」長州は一切妥協せず倒幕を目指し、「情勢判断を誤った」薩摩は会津や幕府自体を謀略で巧みに操るというように関ヶ原の教訓を活かした。
徳川将軍家がどうすれば永続するか?
財力と権力の分散・・外様大名は絶対に老中や若年寄にはなれない。
相対的に大名の力を低下させる・・金山・銀山を直轄領とする、貿易の独占、貨幣発行権を持つ。
そうしたことを法律の形でまとめたのが武家諸法度である。
武家諸法度を極めて厳格に適用し、大量の浪人を作っておきながら救済措置がなかったため、由井正雪の変につながった。
この結果、末期養子(亡くなった後に養子を定める)を認めた。
この他、天皇政策、御三家(水戸家)の役割、水戸学(朱子学)の倒幕理論化、本願寺の分断、檀家制度による宗教骨抜き政策、ケガレ等に関する論評あり。
今回も、興味深く読ませて頂きました。
家康の深読みはなかなか・・。
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(12/12/16撮影)
秀吉の「唐入り」は軍事バブルでふくれ上がった兵士に対する雇用対策である。
「唐入り」の惨憺たる敗戦による兵士の気持ちの変化により家康は対外侵略をする必要がなくなった。
だが、依然として家康の前には、「戦争終了による兵士の大量失業」という解決困難な政治的課題が残った。
関ヶ原の前、家康は「明日の戦いに参戦しなければ、毛利の領土はそのまま保証する」と、家来の名をもって確約した。
大阪城に入った家康は「毛利の領土百二十万石すべてを没収し、毛利家はとりつぶすこと」を宣告したが、結局二ヵ国三十六万石へ落とされた。
薩摩は千六百人が敵中突破して八十名が帰国した。
家康は薩摩征伐を志すが、徹底抗戦の構えを示したため断念した。
結局、これらが倒幕運動につながって行った。
「だまされた」長州は一切妥協せず倒幕を目指し、「情勢判断を誤った」薩摩は会津や幕府自体を謀略で巧みに操るというように関ヶ原の教訓を活かした。
徳川将軍家がどうすれば永続するか?
財力と権力の分散・・外様大名は絶対に老中や若年寄にはなれない。
相対的に大名の力を低下させる・・金山・銀山を直轄領とする、貿易の独占、貨幣発行権を持つ。
そうしたことを法律の形でまとめたのが武家諸法度である。
武家諸法度を極めて厳格に適用し、大量の浪人を作っておきながら救済措置がなかったため、由井正雪の変につながった。
この結果、末期養子(亡くなった後に養子を定める)を認めた。
この他、天皇政策、御三家(水戸家)の役割、水戸学(朱子学)の倒幕理論化、本願寺の分断、檀家制度による宗教骨抜き政策、ケガレ等に関する論評あり。
今回も、興味深く読ませて頂きました。
家康の深読みはなかなか・・。
1Q84読んでます。。。
これも~
なかなか奥深い
現代小説はどうも読みこなせない気がします。
暫くは、この本のシリーズを読む予定です。