黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

長野県下伊那郡喬木村での移動運用(1010/05/16~17)

2012年02月14日 | アマチュア無線 移動運用

       



 私は下條村を出て151号線(遠州街道)を北進後、途中から153号線(三州街道)に其の後、アピナ飯田店前の信号を右折、天竜川に架かる阿島橋を渡り切ると其処は喬木村、飯田市の天竜川を挟んで東側の田園地帯で有った。早速場所探しに田園地帯と堤防の上流側を見て回ったが良い場所が見付からず再度、阿島橋の袂に戻り下流側を探して堤防を南下したらゴルフの練習場が有り、直角に曲がる部分に少し広い場所が有ったので運用場所とした。

 

 最初の写真は飯田市側(西方向)に向かってシャッター切った写真、90度に曲がった先は天竜川の川原である。2~3枚目は東方向の写真 、今思うと随分度胸が有ったんだと思う 完全に道路上『人の迷惑かえりみず遣って仕舞ったJH5AVM状態だった。』ゴルフ場は有ったが近くに人家は無く発電機を回しても問題無かったし車両の通行も殆んど無かった。



 この場所での総交信数は204交信、数字的には余り伸びなかった。喬木村での一番の思い出はJA0WPM 羽生さんとお会いした事、喬木村とは各周波数帯で何局か交信出来ているが地元の局は羽生さんのみ他の局は全て移動運用局としての交信だった。

 

 立ち話では有ったが色々な御話をした。特に此の後の高森町の運用場所など良い場所を教えて頂いた。翌朝も仕事の合間にお逢いしたり北海道の帰りの箕輪町の会合や翌年、2011年の箕輪での会合と親しく御付合いして頂いている。私としては信州の喬木村に親戚が出来たつもりで交際させて貰っている。

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長野県下伊那郡泰阜村の移動運用(2010/05/16)

2012年02月14日 | アマチュア無線 移動運用

 私は天龍村での運用後、アンテナの撤収を終わり少し遅い朝食が終わった10時30分頃、天龍村の河川敷を出発、天竜川沿いに県道1号線を北上、長野県立阿南病院の前を右折、南宮大橋を渡ると泰阜村に入った。

 

 当初 この村の移動運用は予定に無かったが橋の手前の『泰阜村』の標識を見た時『何と読むのだろう?』と単純な疑問から泰阜村(やすおかむら)に行く事と成った。橋を渡って緩やかな勾配を登り詰めると泰阜村の役場が有り(海抜774mH、天竜川が海抜320mH位を流れている為 高低差450m位)近くのグラウンドに車を停めた。



 やがて直ぐに正午の時報が鳴ったので発電機を回し電磁調理器で湯を沸かしカップヌードルで昼の食事を取った。其の後、今回からは7MHz帯の釣竿アンテナを持って来ていたのでアンテナ基台に取付け7MHzを受信してみたがバンドコンディションが悪く、バンド中強力なノイズだらけ『駄目もとで』CQを連呼するも応答なし 59プラスのノイズのせいかバンド内の国内局の信号は余り聞こえなかった。


 休憩を兼ねて其の場で13:30分くらいまで滞在、7MHzを聞いたが最期まで交信する事は出来なかった。今日まで全国の町村を200箇所以上運用したが交信実績無しは泰阜村のみ何時の日か再度挑戦したいと考えている。



 其の後、山を下り笠松駅の少し下の橋を渡ると下条村、天竜川の上を鯉のぼりが多数泳いでいたので写真に収めた。其の後 下條の道の駅に立ち寄り美味しい蕎麦を食べたが昼食にカップヌードルを選択したのは大失敗、次の運用地の喬木村までの道中、おなかの中で和、洋の麺が喧嘩していた。




 

 


 最初の写真は『暴れ川で有名な天竜川の川の上を悠然と泳ぐ鯉のぼり』この川の中央部が泰阜村と下条村の境界と成る。2枚目は可也立派な『下条の道の駅』の建物 下條村のやや北側に位置する。

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