筑紫哲也が死んでしまった。ここのところ、時代を築いてきた多くの知性がなくなっていく。筑紫哲也は、その番組でコメントを聞くことで、安心できた人だった。あっ、この考えでいいんだと思わせてくれるものが、彼のコメントにはあった。昨夜の「ニュース23」で、天野祐吉と姜尚中の追悼の話を聞いていると、本当に筑紫哲也は垂直と水平の思考を持ったジャーナリストらしいジャーナリストだったのではないかと思えてくる。新聞、テレビ、政治、文化という垣根を、ボーダーを、越えていったところを語る天野と、戦後を起点にして歴史のなかでの戦後民主主義を追いかけていたと語る姜尚中。その両方が筑紫の時間と空間を支えていたのだと思う。意見、思想的に対立する者を一刀両断にせず、その中に多事と争論を見いだしていく。柔軟な思考とバランス感覚は、逆にぶれない定点を持っていたからこそ可能だったのかもしれない。これからは、ゆっくりと、活字の中の筑紫哲也の声を聞いていこう。もうコメントを聞けないのが残念だ。
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