パオと高床

あこがれの移動と定住

穂村弘・東直子・沢田康彦『短歌があるじゃないか。』(角川ソフィア文庫)

2014-05-18 10:22:27 | 詩・戯曲その他
以前、俵万智『考える短歌』を読んだときにも思ったが、短歌は、歌論の評論も面白いが、実作指導書もホント面白い。処方箋的な短歌の実作本はその選者の読みが批評対象の歌を超えて面白い場合がある。これは、テレビの短歌番組にもいえることで、選者が自ら選んだ歌のよい点をプロデュースし、気になる点や悪しき点を指摘していく。そのスリリングな格闘が、遊びの要素も加えながら楽しいのだ。読み間違いの面白さも含めて。そう、すべからく表現は誤読へと開かれているものであり、魅力的な作品は、常に開かれた読書を可能にするものだ。

で、この本。副題が「一億人の短歌入門」。編集者の沢田康彦が主宰するメール&ファックス短歌友の会会報誌「猫又」の作品群に、穂村弘と東直子が◎○△そしてだめを入れていく。「猫又」シリーズの第三弾。もちろん歌には、この三人の躍動的な講評がついている。
まず、今回のお題がユニーク。
「きらきら」「草」「人名を入れ込んで詠む」「人類史上最大の発明とは何か」「ママン」「くりひろいを折り句で」というもの。
例えば、最初の「きらきら」。いきなり、「きらきら輝く」「きらきら光る」という「きらきら」と動詞との常套的なつながりを問題にする。穂村は、

 「きらきら」については、ひとつの大切なポイントがあって、それをみ
 んなうまくつかんでいるなと思いました。

と、語って、

 真夜中にきらきら座る少女たち箱詰めされる球体として
                  穂村○     東直子
 痛いほど水きらきらとふえてきて絵の具たりないタイフーン朝
                  穂村○ 東△  沢田康彦
 芝に椰子早起きの朝「うれしーなー」スプリンクラーきらきら廻れ!
                  穂村・東 無印 針谷圭角

の三首を挙げて、

  つまり「きらきら」の後に動詞を接続してゆくとき、普通なら「きら
 きら光る」とか「きらきら輝く」になる。でもそれだと重複になっちゃ
 って、むしろ「きらきら」を殺してしまう(略)

と、評する。で、この三首「きらきら座る」「きらきらとふえて」「きらきら廻れ」。組み合わせの常套への注意。あの有名な「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」ということばを思いだした。
ただし、その常套を使っても、さらに組み合わせのスリリングさがあれば、こん歌にもなる。

 ケダモノの匂いを窪地に嗅ぎにいく キラキラ光る雨雲の午後
                   穂村△ 東○  那波かおり

こわい歌だよね。
この組み合わせは修飾関係でも起こるし、上の句と下の句でも起こる。短歌は各句のつながりと句の中のことばの連結が本当に大切だと思う。
それで、お題「きらきら」で評がよかった歌を二首。

 アスファルトの面きらきらカナブンの骸ころがり炎昼果てず
                  穂村△ 東◎  堂郎
 口笛を教わりし食卓はきらきら今日が最後ほんとに最後
                  穂村○ 東○  ねむねむ

「口笛が」の歌は、物語が背後にあって、そこへと読者を誘ってくれる。

沢田があとがきのラストで書いている。

  思えば、この最古の文学は、万葉の昔から大切な思いを人に届ける秀
 れた道具であった。恋に、道に迷った友に、柿本人麻呂もこう告げたに
 違いあるまい。
 「短歌があるじゃないか。」

なるほど。

カバーイラストがいいなと思ったら、山上たつひこの絵らしい。各章についている女優さんたちのイラストもなにかいい感じだ。
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