ヨーロッパの文学シーンではたまに見かける、有名な作家のある時期を想像力と創作意図で描きあげる小説だ。
1989年7月下旬から12月22日に亡くなるまでのベケット晩年の物語。
ベケットが余生を過ごした「ティエル・タン」という実在の老人養護施設名がタイトルであるらしい。
ただ、著者も訳者も語るように、この小説はノンフィクションではない。
ジョイスやイェイツ、ブルトン、メルヴィルらの引用が挿入されたり、ベケットの小説や戯曲を連想させる場面があったりする。
また、全体は20世紀文学の大きな流れだった「意識の流れ」の手法が使われている。
老いと死を迎えるベケットの中に去来するかつての時間への思いや、まるで、時間を越えて現れる過ぎ去った人々との語らい。
そこに詩的ともいえるイメージが配置される。
構成は、看護する側の報告文の箇所やベケットの回想、混濁しあう現実とイメージ、創作された作品の交錯、
意識の中に訪れる死者たちによって紡がれていく。
それらの中を行き来しながら、読者は老いと死の際に接近していく。
小説の、生者にとってのぎりぎりの異世界(異なる生存のスタイル)が死の先である。
その際へと文学は向かおうとしているようだ。
作者はフランス、ボルドー生まれ。この小説で2020年にゴンクール賞最優秀新人賞を受賞している。
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