今回の展示で一番古いお雛様です。江戸後期、現在の福島県で制作されたものと伝わります。
このタイプのものは《古今雛(こきんびな)》とよばれます。古今和歌集の世界観をイメージして作られたものだということでしたが、実はこれが、今日我々が普通に見ている『お雛様』の原型になったとされるものです。
創世期のひな人形は『形代(かたしろ)』といって、自分に憑いた穢れや悪霊を人型に切った紙に託して川などに流すところから始まりました(今でも鳥取の流し雛は有名です)。その後、徐々に女子の成長を祝う節句にかたちを変えていきましたが、それでも当初の人形は今と比べても地味なものでした。
やがて時代が進み、簡単な形代だった人形から立体的なものへ変わり、髪も墨で黒く書いただけのものから植毛するようになり、紙の衣装から布の衣装、更には衣装に豪華な唐織が使用されるようになる等、技巧の革新と時代の要求とによってどんどん進化していきました。そしてこの古今雛で、今日のかたち…女雛や官女の髪型は垂髪からおすべらかし、装束は宮中での正装である衣冠束帯と唐衣裳五衣姿…に決まっていったのだそうです。
因みに今日では向かって左に男雛、右に女雛を座らせますが、京都近辺では現在でもこの写真のように右に男雛、左に女雛を座らせます。これは宮中正殿である紫宸殿に帝がお出ましになる時に南面するため、日が昇る東側に天皇の高御座(たかみくら)を、その西隣に皇后の御帳台(みちょうだい)を置いたことに由来します。
現在のような並びになったのは大正時代以降で、大正天皇が即位の礼の時に、西洋の玉座の配列に倣って左右を反転させてからだということです。現在の皇居内でも高御座に向かって右側に御帳台が置かれています。この様子は今上陛下の即位の大礼のYou tubeで見ることができます。
何だか今日一日で何年か分のお雛様を堪能したのではないか…というような一日でした。3月3日まで期間中無休で開催されているということですので、お出かけになってみては如何でしょうか。
このタイプのものは《古今雛(こきんびな)》とよばれます。古今和歌集の世界観をイメージして作られたものだということでしたが、実はこれが、今日我々が普通に見ている『お雛様』の原型になったとされるものです。
創世期のひな人形は『形代(かたしろ)』といって、自分に憑いた穢れや悪霊を人型に切った紙に託して川などに流すところから始まりました(今でも鳥取の流し雛は有名です)。その後、徐々に女子の成長を祝う節句にかたちを変えていきましたが、それでも当初の人形は今と比べても地味なものでした。
やがて時代が進み、簡単な形代だった人形から立体的なものへ変わり、髪も墨で黒く書いただけのものから植毛するようになり、紙の衣装から布の衣装、更には衣装に豪華な唐織が使用されるようになる等、技巧の革新と時代の要求とによってどんどん進化していきました。そしてこの古今雛で、今日のかたち…女雛や官女の髪型は垂髪からおすべらかし、装束は宮中での正装である衣冠束帯と唐衣裳五衣姿…に決まっていったのだそうです。
因みに今日では向かって左に男雛、右に女雛を座らせますが、京都近辺では現在でもこの写真のように右に男雛、左に女雛を座らせます。これは宮中正殿である紫宸殿に帝がお出ましになる時に南面するため、日が昇る東側に天皇の高御座(たかみくら)を、その西隣に皇后の御帳台(みちょうだい)を置いたことに由来します。
現在のような並びになったのは大正時代以降で、大正天皇が即位の礼の時に、西洋の玉座の配列に倣って左右を反転させてからだということです。現在の皇居内でも高御座に向かって右側に御帳台が置かれています。この様子は今上陛下の即位の大礼のYou tubeで見ることができます。
何だか今日一日で何年か分のお雛様を堪能したのではないか…というような一日でした。3月3日まで期間中無休で開催されているということですので、お出かけになってみては如何でしょうか。