暑い…(;´д`)。ここしばらく残念な空模様ながら、気温はそれほど高くもならなくて「何ならこのまま30℃を記録しないで夏が過ぎ去ってくれたらいいのになぁ~(・∀・)」などと安直なことを考えていたのですが、そんな淡い期待は今日の外気温に無惨に打ち砕かれました…。現在、沖縄付近で猛威を振るっている台風8号の影響なのでしょうが、この湿気った南風はいただけません。
何だか気も滅入るのですが、それでも何らかの買い物は済ませなければならないので、仕方なく駅前のAEONまで買い出しに出掛けることにしました。そうしたら、売り場の一角にいた子供が傍にいた親に向かって
「これ、開けれない!」
と大声で叫んだのです。どうやらお菓子の袋の口が開けられないことを訴えかけていたようなのですが、思わずズッコケてしまいました。もし親戚の子供だったら、ひっぱたいてやったかも知れません。
最近に始まったことではありませんが、日本語の誤った用法として問題視されていることの一つに『ら抜き言葉の氾濫』というものはあります。これは主に可能動詞の誤用なのですが、そもそも可能の表現に『れる』と『られる』の2種類があることを認識していない人すらもいるようです。
かいつまんで言うと、『れる』を使っていいのは五段活用する動詞…走る・守る等…で、上一段活用、カ行変格活用、下一段活用の動詞…見る・食べる等…は『られる』をつけるという文法上の決まりがあるのです(因みに先程の「開けれない」は『開ける』という動詞が下一段活用の動詞ですから「開けられない」が正解です)。それが、主に話し言葉から『ら抜き』が始まって、その浮ついた手軽さから徐々に書き言葉にも浸透し始めているところに問題があります。
大体、学校ではちゃんと『れる』と『られる』の使い分けを教えているはずですし、テレビの街頭インタビュー等で「見れるんですけど~」と答えている場面でも、画面下の字幕には「見られないんですけど~」と「ら」をわざわざ足したかたちに直して書かれていたりするのです。そういったことからも分かるように、基本的には『ら抜き言葉』は誤用と位置づけられていますから、大人から直していく必要があります。
ただ、もし「この動詞に『ら』は必要なんだっけ?」と迷った時に、それを解決するいい方法があります。その動詞を勧誘のかたちにしてみるとわかるのです。つまり…
◎「走ろう」「守ろう」といった『ろう』が付く動詞⇒『ら』不要 「走れる」「守れる」
◎「投げよう」「食べよう」といった『よう』が付く動詞⇒『ら』必要 「投げられる」「食べられる」
といった具合です。因みに、これらは私の生徒にも徹底させています。
以前「方言によってはそういった言い方をすることもある」と反論してみえた方もいらっしゃいましたが、これはあくまでも『標準語としての日本語』についての文法上の決まり事ですので、そこのところを御理解頂きたいと存じます。
「そうは言っても、こういった表現も少しずつ許容されつつある」などという意見も聞かれますが、私は認めたくありません。あくまでも『誤用』という認識に基づいて設定され、教育現場でも教えられているのですから、日頃からきちんとした美しい日本語を使えるよう心掛けたいものです。
何だか気も滅入るのですが、それでも何らかの買い物は済ませなければならないので、仕方なく駅前のAEONまで買い出しに出掛けることにしました。そうしたら、売り場の一角にいた子供が傍にいた親に向かって
「これ、開けれない!」
と大声で叫んだのです。どうやらお菓子の袋の口が開けられないことを訴えかけていたようなのですが、思わずズッコケてしまいました。もし親戚の子供だったら、ひっぱたいてやったかも知れません。
最近に始まったことではありませんが、日本語の誤った用法として問題視されていることの一つに『ら抜き言葉の氾濫』というものはあります。これは主に可能動詞の誤用なのですが、そもそも可能の表現に『れる』と『られる』の2種類があることを認識していない人すらもいるようです。
かいつまんで言うと、『れる』を使っていいのは五段活用する動詞…走る・守る等…で、上一段活用、カ行変格活用、下一段活用の動詞…見る・食べる等…は『られる』をつけるという文法上の決まりがあるのです(因みに先程の「開けれない」は『開ける』という動詞が下一段活用の動詞ですから「開けられない」が正解です)。それが、主に話し言葉から『ら抜き』が始まって、その浮ついた手軽さから徐々に書き言葉にも浸透し始めているところに問題があります。
大体、学校ではちゃんと『れる』と『られる』の使い分けを教えているはずですし、テレビの街頭インタビュー等で「見れるんですけど~」と答えている場面でも、画面下の字幕には「見られないんですけど~」と「ら」をわざわざ足したかたちに直して書かれていたりするのです。そういったことからも分かるように、基本的には『ら抜き言葉』は誤用と位置づけられていますから、大人から直していく必要があります。
ただ、もし「この動詞に『ら』は必要なんだっけ?」と迷った時に、それを解決するいい方法があります。その動詞を勧誘のかたちにしてみるとわかるのです。つまり…
◎「走ろう」「守ろう」といった『ろう』が付く動詞⇒『ら』不要 「走れる」「守れる」
◎「投げよう」「食べよう」といった『よう』が付く動詞⇒『ら』必要 「投げられる」「食べられる」
といった具合です。因みに、これらは私の生徒にも徹底させています。
以前「方言によってはそういった言い方をすることもある」と反論してみえた方もいらっしゃいましたが、これはあくまでも『標準語としての日本語』についての文法上の決まり事ですので、そこのところを御理解頂きたいと存じます。
「そうは言っても、こういった表現も少しずつ許容されつつある」などという意見も聞かれますが、私は認めたくありません。あくまでも『誤用』という認識に基づいて設定され、教育現場でも教えられているのですから、日頃からきちんとした美しい日本語を使えるよう心掛けたいものです。