共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

祖母の新盆に寄せて ~ いわきじゃんがら念仏踊り

2018年08月20日 19時11分10秒 | スピリチュアル
昨日、祖母の一周忌のことを書きましたが、一周忌であると共に特に今年は新盆でもありました。

私は福島県いわき市で生を受け、4歳まで暮らしていました。そのいわき市で新盆というと、必ず行われるのが『じゃんがら念仏踊り』です。

これはいわき市を中心として、北は原発事故で有名になってしまった楢葉町から南は県境を越えて北茨城市に至る地域に分布・伝承する郷土芸能で、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家の前で踊る独特の供養の仕方です。いわき市では単に『じゃんがら』と呼ばれていて、毎年8月の13日から15日にかけての3日間に、主に各地域の若衆によって踊られます。いわき市の無形民族文化財に指定されていて、夏には各地域の青年会や保存会によるコンクールも開かれるほど有名なものです。

じゃんがらの起源には諸説ありますが、江戸時代前期にまで遡ると云われています。

かつて一番有力とされていたのが、現在のいわき市四ツ倉出身の浄土宗の高僧で、芝・増上寺の第36世法主だった祐天上人が、村人達の慰安と念仏の普及を兼ねて「南無阿弥陀仏」の称名に歌の節をつけて、踊りと共に唱えさせたのが始まりとする説でした(因みに祐天上人が晩年を過ごしたのが東急東横線の駅にその名のある祐天寺です)。

しかし後になって、江戸明暦年間に磐城平藩の郡奉行として用水路の工事を指揮したりしていたにも関わらず、有らぬ罪を着せられて切腹させられた澤村勘兵衛勝為の霊を慰めるため、澤村勘兵衛の一周忌に彼が開基した利安寺で、当時江戸で流行していた泡斎念仏(ほうさいねんぶつ)を村人達が始めたという資料が発見されたため、今ではそれが起源であることが確実視されています。

地区によって形態の伝承方法が独特なので必ずしも一様ではありませんが、凡その特徴として地区の若者達10人前後の踊り手で構成されています(嘗ては男だけ踊られていましたが、近年は女の踊り手も見られます)。浴衣に長い白襷をかけ、手甲、白足袋、鉢巻を着けます。集団の先頭で長(おさ)を務める踊り手は弓張提灯を手にし、踊りの中心には紺地に白抜きで『南無阿彌陀佛』と染め抜かれた太鼓着物と呼ばれる布を巻きつけた太鼓を打つ踊り手が3人並び、他は全員で太鼓打ちの周りをぐるりと囲んで、鉦を打ち鳴らしながら歌い踊ります。一部の地域には、これに笛が加わるようです。

決して長く住んでいたわけではありませんが、やはり幼少期の記憶というものは根強いもので、この鉦の音は今でも覚えています。今でもこの時期になると、当時3~4歳だった私が、近所の大きなお兄さん達が歌い踊っていたじゃんがら踊りを見ていたことが思い出されます。もし長くいわき市に住んでいたら、間違いなくあの地区の踊り手になっていたでしょう。

今日一周忌を迎えた祖母ですが、遺骨を管理してくれている叔父の都合で北茨城市にあるお寺に埋葬されています。先程も書きましたが北茨城市にもじゃんがら文化が伝わっていますので、祖母の新盆に、実際にあるご家庭の新盆で踊られたじゃんがら念仏踊りの動画を送りたいと思います。

ショーとしての舞台芸能とは違った、福島に脈々と伝わる野辺送りの伝統文化を御堪能下さい。

2012.8.14 いわきじゃんがら念仏踊り
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