今日は久しぶりに平塚市横内築に坐す御霊神社の例大祭にお呼ばれしました。昨年は残念ながら台風の襲来に伴って中止となってしまっていたために、二年越しの例大祭となりました。
私は御神輿の宮入に伺ったのですが、境内に着いた時にはちょうど御神輿を迎え入れるべく、神楽殿で太鼓が打ち鳴らされているところでした。
そのうち太鼓の音の向こうから、御神輿に着けられた鈴のガランガランという金属音が響いてきました。と共に、境内に近隣の人が続々と集まってきて、徐々に神輿宮入に向けてのボルテージが上がってきました。
やがて行灯が仄暗く揺れる参道の向こうから、道行提灯に明々と照らし出された黄金色もきらびやかな御神輿がやって来ました。

先導役と担ぎ手とによって交わされる「ドッコイドッコイ!ドッコイソォレ!」という掛け声と共に御神輿が激しく上下に揺られると、御神輿の四隅に張られた晒に括り付けた鈴がガランガランと激しく音を立てます。その音に合わせて、居合わせた人々のテンションはいよいよ増していきます。
境内に入ってからは早く御霊を本殿にお戻ししたい神職と、お祭りを終わらせたくない担ぎ手との間での攻防戦が繰り広げられます。御神輿の屋根の鳳凰の足元から白いものが伸びていますが、これは神職が御霊を迎え入れるべく御神輿を手繰り寄せている晒の長布です。神職はこれを手繰り寄せながら何とか早く御霊をお戻し申し上げたいと奮闘するのですが、担ぎ手の方は、御霊をお戻ししてしまえば祭りが終わってしまいますから『そうはさせじ!』と抗って後退して行きます。
その攻防戦の中で、先導役が
「ゑ〜ぇ、相州相模はぁ!」
と甚句と呼ばれる一節を唄い出します。すると担ぎ手達が
「ヨイヨ〜イ!!」
と合いの手を入れます。そこから更に
「相州相模は横内のぉ〜…」
と甚句が唄われる度に担ぎ手や観衆から
「ア〜ヨイショ!」
と合いの手が入り、最後に
「今もぉ〜昔もぉ〜」
と唄い上げる節になると担ぎ手達が渾身の力を込めて、担ぎ棒も折れよとばかりに御神輿を上下に振ります。御神輿の鈴は更に高鳴り、境内のボルテージは最高潮に達するのです。その後も神職と担ぎ手との応酬は続き、境内に入ってから実に30分近く続きました。
そして、遂にその攻防戦に終止符が打たれる時が来ました。
最後の甚句が唄われると世話役によって木が入り、台の上にゆっくりと御神輿が降ろされました。こうして、二年越しの例大祭は恙無く御開きとなりました。
この『どっこい神輿』と呼ばれる慣習は、主に湘南地方から一部の神奈川県央部にかけて見られるものですが、江戸前神輿とはまた違った勇壮さがあります。特に、担ぎ手も大変なのですが

御神輿の土台部分に付いている箪笥の引き出しの取っ手のような金具(この部分を本当に『タンス』と呼ぶのだそうです)を、写真で御神輿の左右に立っている青年が土台に打ち付けながら実質的な音頭を取るのですが、タイミングを誤ると勢いをつけた金具と土台の受け具の間に指を挟んでしまったりして、かなりな大事になる…ということも教えて頂きました。お祭りもある意味、命懸けなのですね…。
この後は御霊還御祭が行われ、最後に神楽殿から縁起物のチマキが撒かれて、熱気を帯びたお祭りは全て御開きとなりました。
こうした地域の伝統行事を人々が大切にしている姿というものは、実に感動的です。存続していくための御苦労も決して小さくないと思うのですが、これからもこうした地域の行事を大切にしていってほしいと思いました。
私は御神輿の宮入に伺ったのですが、境内に着いた時にはちょうど御神輿を迎え入れるべく、神楽殿で太鼓が打ち鳴らされているところでした。
そのうち太鼓の音の向こうから、御神輿に着けられた鈴のガランガランという金属音が響いてきました。と共に、境内に近隣の人が続々と集まってきて、徐々に神輿宮入に向けてのボルテージが上がってきました。
やがて行灯が仄暗く揺れる参道の向こうから、道行提灯に明々と照らし出された黄金色もきらびやかな御神輿がやって来ました。

先導役と担ぎ手とによって交わされる「ドッコイドッコイ!ドッコイソォレ!」という掛け声と共に御神輿が激しく上下に揺られると、御神輿の四隅に張られた晒に括り付けた鈴がガランガランと激しく音を立てます。その音に合わせて、居合わせた人々のテンションはいよいよ増していきます。
境内に入ってからは早く御霊を本殿にお戻ししたい神職と、お祭りを終わらせたくない担ぎ手との間での攻防戦が繰り広げられます。御神輿の屋根の鳳凰の足元から白いものが伸びていますが、これは神職が御霊を迎え入れるべく御神輿を手繰り寄せている晒の長布です。神職はこれを手繰り寄せながら何とか早く御霊をお戻し申し上げたいと奮闘するのですが、担ぎ手の方は、御霊をお戻ししてしまえば祭りが終わってしまいますから『そうはさせじ!』と抗って後退して行きます。
その攻防戦の中で、先導役が
「ゑ〜ぇ、相州相模はぁ!」
と甚句と呼ばれる一節を唄い出します。すると担ぎ手達が
「ヨイヨ〜イ!!」
と合いの手を入れます。そこから更に
「相州相模は横内のぉ〜…」
と甚句が唄われる度に担ぎ手や観衆から
「ア〜ヨイショ!」
と合いの手が入り、最後に
「今もぉ〜昔もぉ〜」
と唄い上げる節になると担ぎ手達が渾身の力を込めて、担ぎ棒も折れよとばかりに御神輿を上下に振ります。御神輿の鈴は更に高鳴り、境内のボルテージは最高潮に達するのです。その後も神職と担ぎ手との応酬は続き、境内に入ってから実に30分近く続きました。
そして、遂にその攻防戦に終止符が打たれる時が来ました。
最後の甚句が唄われると世話役によって木が入り、台の上にゆっくりと御神輿が降ろされました。こうして、二年越しの例大祭は恙無く御開きとなりました。
この『どっこい神輿』と呼ばれる慣習は、主に湘南地方から一部の神奈川県央部にかけて見られるものですが、江戸前神輿とはまた違った勇壮さがあります。特に、担ぎ手も大変なのですが

御神輿の土台部分に付いている箪笥の引き出しの取っ手のような金具(この部分を本当に『タンス』と呼ぶのだそうです)を、写真で御神輿の左右に立っている青年が土台に打ち付けながら実質的な音頭を取るのですが、タイミングを誤ると勢いをつけた金具と土台の受け具の間に指を挟んでしまったりして、かなりな大事になる…ということも教えて頂きました。お祭りもある意味、命懸けなのですね…。
この後は御霊還御祭が行われ、最後に神楽殿から縁起物のチマキが撒かれて、熱気を帯びたお祭りは全て御開きとなりました。
こうした地域の伝統行事を人々が大切にしている姿というものは、実に感動的です。存続していくための御苦労も決して小さくないと思うのですが、これからもこうした地域の行事を大切にしていってほしいと思いました。