今日は阪神淡路大震災が発生した日です。あれから24年という月日が経ちました。
あの日、私は自宅で休んでいて、寝起きばなにテレビのスイッチを入れました。すると画面に、何処かの都市が燃えている映像が映し出されたのです。
はじめは音声が消音になっていたのと寝ぼけていたのとで、その頃報道されていたチェチェン共和国での紛争のニュースだと思っていました。しかし徐々に音量を上げていくと、テレビから悲痛な声でアナウンサーがしゃべっているのが聞こえてきました。そこで初めて
「…へ?神戸?地震?!」
となったのです。
その時に何よりも真っ先に思ったのは、大阪に住んでいる友人のことでした。どうしても神戸の東灘区や三ノ宮近辺の凄惨な状況は報道されるのですが、その合間に伝えられる大阪の状況もひどいもので、ビルがまるまる一棟横倒しになっていたりしましたから、どうなっただろうと頭が真っ白になったのです。
すぐにでも様子を確認したい…と思ったのですが、こういう時にただでさえ混み合う電話回線に個人的な電話をかけてしまっては迷惑になってしまうのではないかと思い留まったり、そうと分かっていてもつい受話器を手に取ってしまっている自分に気づいたりと、内心気が狂いそうでした。
それでも、どうしても無事を確認したくてたまらずにかけてしまった電話…
すると聞こえてきたのはプーップーッという音ではなくコール音。そして…
「もしもし?」
紛れもない彼の声でした。無事だったのです。
「よかった…よかった!」
後は何を言ったか殆ど覚えていません。ただ、涙でグチャグチャになりながらも手短に済ませなければ…と思っていた電話で彼の御家族も皆さん御無事だということを確認できて、安堵したことが今でも忘れられません。
あれから24年、未だに被災者住宅で生活している方がおられる一方で、あの日を知らない世代が増えているという現実もあるようです。平成という時代が終わっていくと共に震災の記憶も風化していくのではないか…と危惧する声も聞かれますが、それでも大人から子供たちに連綿と伝えていくということはこれからも続いていくであろうとも思っています。
今日は先の震災で犠牲となられた六千四百有余の御霊に、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》の第2楽章『葬送行進曲』を送ります。20世紀の巨匠カール・ベームの指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏です。
合掌。
ベーム ベルリンフィルの「エロイカ」ライヴ 第二楽章
あの日、私は自宅で休んでいて、寝起きばなにテレビのスイッチを入れました。すると画面に、何処かの都市が燃えている映像が映し出されたのです。
はじめは音声が消音になっていたのと寝ぼけていたのとで、その頃報道されていたチェチェン共和国での紛争のニュースだと思っていました。しかし徐々に音量を上げていくと、テレビから悲痛な声でアナウンサーがしゃべっているのが聞こえてきました。そこで初めて
「…へ?神戸?地震?!」
となったのです。
その時に何よりも真っ先に思ったのは、大阪に住んでいる友人のことでした。どうしても神戸の東灘区や三ノ宮近辺の凄惨な状況は報道されるのですが、その合間に伝えられる大阪の状況もひどいもので、ビルがまるまる一棟横倒しになっていたりしましたから、どうなっただろうと頭が真っ白になったのです。
すぐにでも様子を確認したい…と思ったのですが、こういう時にただでさえ混み合う電話回線に個人的な電話をかけてしまっては迷惑になってしまうのではないかと思い留まったり、そうと分かっていてもつい受話器を手に取ってしまっている自分に気づいたりと、内心気が狂いそうでした。
それでも、どうしても無事を確認したくてたまらずにかけてしまった電話…
すると聞こえてきたのはプーップーッという音ではなくコール音。そして…
「もしもし?」
紛れもない彼の声でした。無事だったのです。
「よかった…よかった!」
後は何を言ったか殆ど覚えていません。ただ、涙でグチャグチャになりながらも手短に済ませなければ…と思っていた電話で彼の御家族も皆さん御無事だということを確認できて、安堵したことが今でも忘れられません。
あれから24年、未だに被災者住宅で生活している方がおられる一方で、あの日を知らない世代が増えているという現実もあるようです。平成という時代が終わっていくと共に震災の記憶も風化していくのではないか…と危惧する声も聞かれますが、それでも大人から子供たちに連綿と伝えていくということはこれからも続いていくであろうとも思っています。
今日は先の震災で犠牲となられた六千四百有余の御霊に、ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》の第2楽章『葬送行進曲』を送ります。20世紀の巨匠カール・ベームの指揮、ベルリンフィルハーモニーの演奏です。
合掌。
ベーム ベルリンフィルの「エロイカ」ライヴ 第二楽章