東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

久しぶりに上野を歩く

2016-07-19 | 散歩
  上野も懐かしい町、東京へ来てからはよく行っていた。
  都電で一本、タクシーを奢っても60円!、都電はいくらだったかなぁ?。
  ただドロ臭い町なのでだんだんと足が遠のき、
  今では年に数回行くか行かないかの街になってしまった。


  

     国立西洋美術館(上野公園内)、世界文化遺産に決定。
     トルコのイスタンブールで開催されている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は17日、
     国立西洋美術館本館を含む7ヵ国17資産で構成される「ル・コルビュジエの建築作品」の
     世界文化遺産登録を決めた。

     1階に柱で空間を作り2階を浮かせる建築様式。
     大小様々な大きさで区切る石畳でリズム感をつけている。




  

     正岡子規記念球場(上野公園内)、草野球場です。
     正岡子規は明治初期に日本に野球が紹介されて間もない頃の愛好者であり、
     明治19年から明治23年頃、この球場がある上野公園内で野球を楽しんでいたという。

     子規は「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」
     「ショートストップ」などの外来語に対して、
     「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」「短遮(中馬庚が遊撃手と表現する前の呼び名)」
     という翻訳案を創作して提示している。

     「春風や まりを投げたき 草の原」     子規




  

     9時半、アメ横は結構人出がありますね。
     傘はいらないけど小雨が降っています、とても写真を撮る天気じゃない。




  

     アメ横の中にある下谷摩利支天、徳大寺。
     徳大寺に奉置される摩利支天像の姿は、左手をかかげ、右手に剣を持ち、走るイノシシの上に立つ。
     下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから、下谷摩利支天とも呼ばれている。


     10月最初の亥の日に、「かわせみ」ではるいがお吉をお供に
     上野の摩利支天様へ参拝に出かけた。
     俗に開運の摩利支天で知られているが、正しくは徳大寺で、
     ここの門前市の賑わいは江戸でも評判であった。

     とりわけ、10月の初亥の日は玄猪祭りと呼ばれ、
     終日、信徒が木剣の加持、護摩祈祷を受けにやって来る。
     寺ではくちなしの実で染めた黄飯(おうはん)をくばり,
     それを頂くと運が開け、また冬中、風邪をひかないなどと
     信じられている。

     平岩弓枝/「御宿かわせみ」のうち「亥の子まつり」冒頭。




  

     上野公園の前、右手木立の向こうが不忍池です。
     黒門町は不忍池の左側、ずーっと湯島の方までがそうでしたが
     今では上野一丁目~上野三丁目と無粋な名前になってしまいました。




  

     振り返ると甘味処、みはし。
     まだ開店準備中みたいですね。
     若いころにはよく戴きました、お土産で。
     みはし製と聞いただけで美味しさが倍加したような、、、。




  

     不忍池近くに、帯締め 道明。
     1652年創業、呉服関係者や着物の達人が「帯締めなら道明が一番!」と口をそろえる名品。
     小さなお店で探すのにちょっと苦労しました。




  

     不忍池
     このお天気にもかかわらずたくさんの人が訪れていました。

     この不忍池は昔ここらあたりまで海だったんですね、
     その海の名残です。


     で、また一つ・・・
     ここに「藍染川」という川が流れ込んでいました、
     神田川の上流には今でも藍染屋さんがあるけど
     名前からするとその藍染に関連するのかな?。
     そのうち確かめに歩いてみたい。


     次回は黒門町に入ります、
     いまの町名は上野一丁目なんてことになっているけど
     黒門町の名前はいたるところに残っていました。
                                                            7月17日 上野公園あたり
         

コメント (2)
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