東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

夜鷹が集まったという柳原土手を歩く

2016-07-14 | 散歩
  今回はあの有名な夜鷹、夜鷹が営業する場所として有名な
  神田川の柳原土手、いろいろな小説に出るのでぜひ見ておきたかった。
  さらに下流の神田川に架かる柳橋、ここもぜひ見ておきたい。
  秋葉原から両国橋まで神田川を見ながら歩きます。


  

     今ではすっかり街歩きの拠点となった小伝馬町、
     会社へ行くときは反対側を通るのでこんな標識があることを知らなかった。

     江戸時代には旅人宿の多い賑わった町だった、
     また、江戸幕府が牢屋敷を設置したことでも知られている。
     町の名は名主・宮辺又四郎が伝馬役を司ったことに由来する、
     伝馬役とは公用旅行者や公用荷物を運ぶために馬と人足を提供する義務を負った人。




  

     まっすぐ秋葉原の方へ歩いて和泉橋。

     ここは昔私が自転車で走り回っていたころ毎日のように通っていたところ、
     すっかりご無沙汰し50年ぶりの再会となった。

     創架は寛永年間とされる。
     芭蕉は、俳句の世界で名前が知られていない頃、この神田川の治水に関わる仕事をしていた、
     その頃の庵が上流にある関口芭蕉庵(せきぐちばしょうあん)である。




  

     和泉橋から上流方向を。

     神田川は東京都三鷹市、井の頭公園内にある井の頭池に源を発し、両国橋脇で隅田川に合流する。
     神田川はすっかり護岸に取り囲まれているが
     上流から下流まで暗渠はなく全て地上から見られる。
     おでことおでこをごっつんこさせて走るは秋田新幹線かな。




  

     柳原土手はもうちょっと上流の筋違御門から浅草御門までの
     南岸に築かれた土手で、柳の木が植えられていた。
     この土手は今はなく神田川沿いの道路が柳原通りとなっている。

     この土手は夜鷹(路傍で春をひさぐ下級の売春婦)が現れる場所として
     時代小説にはしばしば登場します。
     公式な資料はないけど柳原土手の夜鷹を詠った川柳が残っていることから、
     怪しげな商売があったことは事実のようです。

     ちなみに、夜鷹の値段は100文、現在の価値で1,500円~2,000円くらい、
     吉原以外の岡場所の遊女で500文、7,500円~10,000円くらい。
     吉原の花魁ともなると揚げ代(遊女の代金)だけでは済まず飲み食いや
     その他まで入れると一晩で20両、140~200万円くらいと言われている。




  

     柳橋へ向かう前に数十歩だけ上流へ。

     柳森稲荷
     長禄元年(1457)に太田道灌が江戸城を築城するにあたって
     城の鬼門除け(東北)に祀られた社であると伝えられ、
     多くの柳を植樹したのが名前の由来となっている。
     いろいろな神社が集まっていて神様の団地みたい。

     さて、ぼつぼつ下流へ。




  

     街歩きにとってトイレはなくてなならないもの、
     冬場は特に切実に感じる。
     柳原通りにはこんなおしゃれなトイレがあった。




  

     柳原通りには今も柳が植えられている。
     さあ、もうちょっとで柳橋です。




  

     柳橋の二つ上流の左衛門橋から見た神田川上流、
     神田川に掛かる左衛門橋・浅草橋・柳橋の間には屋形船の船宿が並ぶ。

     カラフルな遊漁船、隅田川のそれとはちょっと違うような、
     柳橋という土地柄のせいでしょうか。

     残る橋は浅草橋と柳橋、
     柳橋では色っぽいお姐さんに会えるかな?。^^; 
                                                              7月3日 柳原土手はいま
         

コメント (2)
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