東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

行こか戻ろか思案橋

2016-07-06 | 散歩
  東堀留川が日本橋の架かる日本橋川と合流する処
  小網町一丁目と二丁目の間に思案橋は架かっていた。

  思案橋は江戸に散在していた私娼窟を日本橋葺屋町傍の葦の茂る
  湿地に集め、幕府公認の遊里・吉原を作った時に架けられた橋である。
  その名は遊里に遊びに来た客が渡るのを思案する橋というところから
  付けられたとされている。

  その後、幕府は明暦の大火を機に遊里を浅草浅草寺裏の田圃に移し
  新吉原とした、遊里が移り町名が変わっても
  思案橋の名は変わらなかった。

  藤井邦夫/「知らぬが半兵衛手控え帖」のうち「戻り橋」冒頭から。


  

     まず前回の親父橋からと歩き出したけど
     途中で赤い幟を発見、こんなところに「出世稲荷」と。
     どう見てもアパートの入口だけど入っていいのかなぁ?。




  

     アパートの中に入り込んでみるとゴミゴミした中にお稲荷さん、
     東京のお稲荷さんはこんなところにも。
     笑っちゃうのは”住居表示”の青いプレートがしっかりと貼ってあった、
     この住所にお願いの手紙を出せば届くのかなぁ?。





  

     この辺りはかつて”芳町”と呼ばれたところ。

     よし梅・芳町亭が隠れ家のように細い路地に佇んでいた。
     昭和の名女優・花柳小菊が住んでいた美しい建物は
     有形登録文化財に指定された情緒あふれる日本料理店。

     芳町は元吉原にあった町だったが吉原が浅草に移ったあとは
     陰間茶屋が生まれ、若衆と呼ばれる10代から20代初頭の少年が接客した。
     それが、後の芳町花街の始まりだった。




              

              芳町亭のすぐ近くに日本橋小学校。
              明治の初めには西郷隆盛の屋敷があったようです。




  

     さて、先を急ぎましょう。
     ここは先日”親父橋”の跡として看板があった歯医者さんの建物、
     改めてここから思案橋を探します、近くにあるはず。

     今回、次回は地名が多く出てきます、気にしてください、
     ここは”小網町”です。




              

              ちょっと進んでここは富士銀行創業の地。
              それはまあどうでもいいけど画面下に”小舟町ビル”、
              親父橋のときも出てきたけど”小舟町”です。

              ”小舟町”と”小網町”、何か匂ってきますね。




  

     まっすぐ行くと江戸橋だけど渡らずに手前を左折、日本橋川に沿って進みます。

     と、道路が盛り上がっている。ブラタモリのタモさん曰く
     「道路が不自然に盛り上がっているところには何かある、何かあった!」。

     思案橋です、思案橋があった所。
     地番を見ても思案橋があったと思われる所と一致する。




  

     盛り上がっている所まで行ってみました、
     埋め立てられた東堀留川、思案橋が架かっていた川の跡です。
     木立の向こうは日本橋川、ここに流れ込んでいたんですね。
     ついに思案橋の跡を見つけた!、公的な看板などは無かったけど。




  

     一本向こうの道には小網神社、
     この辺り一帯は”小網町”です。

     「江戸時代に将軍の御前で網を引いた漁師が御肴御用を命ぜられ、
     白魚]献上の特権を得た故事により、この漁師たちの一丁目の町角に
     漁網を一張干しておく風習から生じた町名と推定される。」 (wikipedia)

     ”小舟町”に”小網町”、昔の姿が浮かび上がってきます、
     次回はさらに検証していきましょう。
                                                             6月26日 思案橋を訪ねて
         

コメント (2)
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