東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

コツ通りを抜け小塚原回向院

2021-01-20 | 散歩

  自虐ではないと思うけどコツ通り、
  江戸時代の刑場跡を一発で表していますね。
  素戔雄神社から自転車で10分かからないかな、
  JR常磐線などたくさんの線路が走る所にありました。

 

   日光街道にぶつかる直前のコツ通りに
   「コツ通り整骨院」、コツと整骨院をかけているのかな。

 

 

   小塚原刑場での死体はちゃんと埋葬されなかったため、
   夏には周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が
   食い散らかして地獄のような様相でした。
   この様子を見た墨田区の回向院住職が刑死者を供養するため
   創建したのが小塚原回向院で、処刑された罪人を葬りました。

 

 

   回向院の壁には、歴史の教科書で見覚えのある、あの前野良沢、
   杉田玄白の「解体新書」の扉絵がついた記念碑があります。
   「解体新書」作成のお手本である“ターヘル・アナトミア”の
   人体解剖図を検証するため、前野良沢、杉田玄白らが
   小塚原刑場を訪れたことを記念しています。

 

 

   明治維新への精神的指導者と云われる「吉田松陰」の墓です。
   1863年に高杉晋作らによって世田谷区若林に改葬され、
   その地に松陰神社が建立されたので、
   ここには当時の墓石だけが文化財として保存されています。

 

 

   開国派として危険視された「橋本左内」の墓。
   政治犯であった彼らの処刑は、小塚原刑場ではなく
   伝馬町牢屋敷でしたが、罪人として回向院に葬られました。

 

 

   変わった人たちのお墓もありました。
   明治初期の稀代の悪婦として知られ、最初の夫を毒殺後、
   各地を放浪しながら悪事を重ねた『高橋お伝』。
   江戸時代の侠客で、喧嘩で深手を負った自分の片腕が見苦しいと、
   子分に鋸で切り落とさせた伝説の持ち主『腕の喜三郎』。

 

 

   江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした有名な窃盗犯『鼠小僧次郎吉』。
   鼠小僧次郎吉の本来の墓は墨田区の回向院で、
   この墓石は義賊に恩義を受けた人々が建てたと言われています。
   何れも小塚原刑場で処刑されたけど鼠小僧の墓は谷中にもあったような、
   ご利益があると受験生などに削られもうボロボロになっていたけど。

 

 

   何の碑か分からなかったけど大きな"石板"が立っていた、
   例のモノリスみたいだなと撮ってみたけど悪ふざけが過ぎたかな。

   次回は元々一緒だった「延命寺」を訪れてみます、
   鉄道を引くため別れたけど元は同じです。
   そして刑場へ引かれる罪人たちが現世との別れの場となった
   泪橋を望みながらJR隅田川駅などもチラと見てみましょう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月14日  南千住・小塚原回向院

          

コメント (4)
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