東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

木母寺にある梅若塚を訪ねる

2021-01-27 | 散歩

  東白髭公園の花壇の脇にある木母寺、
  その中に梅若塚があります。
  梅若伝説はちょっと古い伝説だけど有名な話、
  近くには梅若小学校、梅若橋、梅若公園とその名を残しています。

 

   東白髭公園の中にある木母寺、
   今まで見てきた寺とは全く違いますね。
   これは東白髭公園が防災拠点なので木造の建物は建てられない
   という事情によると思われます。

 

 

   木母寺の塀の中ほどに「梅若山王大権現」のお堂に続く扉が、
   でもこの扉の開いているのを見たことない、きっと開かずの扉なんでしょう。

 

 

   木母寺の入口から入ってすぐ右に梅若山王大権現のお堂が、
   先述したように木造は許可されないので強化ガラスで作られています。
   左が梅若塚ですね。

 

 

   中には三体の像が、
   観音様を中に梅若丸とその母、花御前でしょうか。
   私の勝手な推測です。

 

 

   ややグロっぽいけど梅若塚です。

   梅若丸伝説。
   京の都から拐かされて連れ回され、
   この地で衰弱して倒れた12歳の子ども梅若丸と、
   拐かされた梅若丸を捜し尋ねて狂女となった
   母、花御前の悲しくも切ないお話です。

 

 

   横から見た梅若塚。

   12歳の梅若丸がいまわの際に
   「たづね来て とはゞこたへよ都鳥 すみだの河原の露ときへぬと」、
   母が、自分を探して尋ねて来たら、
   隅田川の辺で息絶えました…と教えて欲しいと詠いました。
   梅若丸を看取ったすみだの人々によって塚が築かれ、
   印に柳の木が植えられました。

 

 

   元々あった場所に白髭防災団地が作られたためこの地へ。
   元の場所は小さな公園、梅若公園となっています。

 

 

   梅若山王大権現のお堂の横には
   芸道上達祈願の絵馬が沢山納められていました。

   木母寺は1590年(天正18年)に、徳川家康より
   梅若丸と塚に植えられた柳にちなんだ「梅柳山」の山号が与えられ、
   のちに梅の字を二つに分けた現在の寺号、木母寺に改められたと伝わります。
   江戸幕府からは朱印状が与えられ、
   江戸に下向する勅使たちが度々訪れていたようです。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月22日  木母寺と梅若塚

          

コメント (2)
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