鳩の街は玉ノ井の近く、東京大空襲で玉ノ井が
焼けたのでその業者がこの地に移転して開業したのが起こり。
戦後は米兵相手の施設だったが
そのあと日本人相手の"赤線"として発展した。
鳩の街商店街は一本道の商店街、
どっちが入り口かと言われると困るけど
私は向島百花園の近くの墨東通りから入るのでこっちから。
逆の水戸街道から入ると入り口にしょぼいアーチがあったりする。
とにかく狭い通り、軽トラだってすれ違いは出来ない。
夕方の時間帯は車は進入禁止となっている。
前回行ったときは古い娼家の姿も見られたけど
行ってみたら今は全く残っていなかった。
この建物は昭和2年建築の元薬局をリノベーションして
2006年11月にオープンした古民家カフェだったが今は営業していないみたいだ。
洋風居酒屋 Hun-gryと看板にあるけど
ウリは唐揚げなんだろうか。
こんな小さな店がびっしりと並んでいる。
商店街というけど露地だよね、
こんな通りにいろいろなお店が並んでいる。
歩いてみると昭和の昔に来たみたいだ。
造りがメチャ古いお店、まだ営業中なのかな。
ここは前回来たときにも全く同じ姿で変わっていない。
変わったのは店の前にしっかりとシュッシュが置いてあったことくらい。
店頭は懐かしい風景、
未だにこんな光景が見られるところは他にはないだろう。
小学生のころの街の本屋さんの店先みたいだ。
銅板を貼り付けた壁の家、
昔は結構見られた造りだけどさすがに今では見られなくなった。
前回来たときには円形の柱にタイルを張り付けた
いわゆるカフェー風の建物も残っていたけど。
ラモナー化粧品、知ってますか?私は残念ながら。
建物は、現在はイベント会場として利用されているみたいだ。
前回来たときにはこの辺に「松の湯」があったような、、、
木の実ナナさんの実家だと聞いていたけど今は無くなったようだ。
水戸街道からの入口、
このアーチは前回来たときより寂しくなっていた。
ここからいま来た道をもう一回歩いてみよう、
古い佇まいに混じって
新しい洒落たお店がどんどんできている。
「鳩の街」の由来として「上客である進駐軍に
ここへ来れば幸せになれますよ」と幸せの象徴である
鳩が使われたという話がある。
英語では「Pigeon storeet」と呼ばれていたらしい。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 2月17日 鳩の街を歩いてみた
夕方の時間帯は車は進入禁止とな!
消防車入って来れないもんね。
古い街並みには、こんな所が多いんでしょうね。
2回のスダレの窓が怪しい。。。(*´m`)むふ♪
函館ならまだ、古い通りもあるけれど、
旭川は全くないわ。
でも、ナンチャラ小路ってのあるんだったかなぁ・・・
銅板なのぉ?
で錆びて緑青?これって昔は有毒って行ってたけど、
実は無毒だったって聞いた事あるわ。
ラモナー化粧品、しらない。
ハトのマチ・・幸せになりそうに見えないけど・・・(;´▽`lllA``
あっという間にみんな灰になっちゃう、
まあそれに備えて手押しの井戸ポンプがあるけど
25日に紹介します、ただ焼け石に水・・・にもならない。
さすがにこんな地域は少なくなっていますね、
東京でも片手で数えられるんじゃないかな。
函館は古い街が残っているんでしょ、
旭川は新しい街だもんね、でもン十年後にはどうなんだろ。
あれ緑青って無害なの?
子どものころ親から絶対舐めちゃダメって言われていたけど。
ラモナー化粧品知らないよね、
都電の停留所に古い琺瑯看板が多数あるけどここにもなかった。
ハトのマチ、幸せになれるのはオトコだけですよオトコ。
吉原もオトコの街、昔はオトコだけ幸せになればよかった?、
いい時代だったかどうかはともかく
それであちこち発展した街があった。
敗戦のおかげですね女性の権利が飛躍的に伸びた、
お国のためと戦った兵隊さんのおかげです。
時代の波でしょ?
またなんだかきな臭いニオイが・・・
あぁあ。。。
男社会ってヤダわ!
わたしなぞ、だんだん頭も平和になっていってるよ。( ̄m ̄*)
あの出来事がなかったら数十倍の時間がかかったのでしょう。
男社会も捨てたもんじゃないけど
世の中がこう変わったんじゃそれを言うと袋叩きに遇っちゃう、
男と女、それぞれの役割があるので
仲良く生きて行きたいですね。
純粋に生物学的に言うとオスがメス化していくと
生殖に支障をきたしやがてその種は滅びていく、
逆の場合も同じですね。
先日テレビでそんな番組があって見ていた私は
「そうだ、そうだ」と一人で盛り上がっていましたが。
まあ何ごともほどほどに、人類が滅亡しないように祈りましょう。
そんなことより私が滅亡しないようにしなくちゃ。(^^;