東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

静態保存のSLと都電

2021-03-26 | 散歩

  飛鳥山公園にはSLと都電が静態保存されています、
  久しぶりに行ったのでこれも懐かしく見てきました。
  保存状態がいいので今にも走り出しそう、
  ちびっ子はもちろん大人にも喜ばれています。

 

   D51、いわゆるデゴイチですね
   たくさん作られたのであちこちで見られるようですが
   公園に置かれているD51としてはきれいに整備されています。

 

 

   D51はこれがいいんだよね、連結棒。
   これがシュッシュッポッポと長い貨車を引っ張っている。

 

 

   D51853
   昭和47年6月まで走っていた蒸気機関車D51が飛鳥山公園に。
   配属されたのは、吹田機関区→梅小路機関区→姫路機関区→長岡機関区→坂田機関区と
   走り続けた総走行距離はなんと1,942,471.3kmになるそうです。

 

 

   一時は汚れてしまっているときもあったけど
   すっかりきれいになっていました。
   この状態を維持するのは大変なんだろうね。

 

 

   このSLのいいところは運転台に入れること、
   誰でも自由に入ることができます。
   ちびっ子にとってはたまらない"おもちゃ"なんだろうね。

 

 

   ちびっ子だけじゃなくお父さんもね、
   家に帰っても話が弾むのかな。

 

 

   こうした幼いころの思い出が
   大きくなったら電車の運転士さんを目指す。
   テレビに出ている鉄オタのみなさん
   みんな小さいころの思い出を話していますね。

 

 

   近くには都電の車両も静態保存されています。
   都電6080号車、
   昭和53年まで飛鳥山公園の下を走っていた電車です。
   都電荒川線の前身は王子電気軌道といい「王電」の名で親しまれていましたが
   路線の拡張に伴い昭和17年に当時の東京市に譲渡されました。
   この6000型車両は戦後初めての新造車で昭和24年に製造されたものです。

   さて長い間おつき合いいただいた飛鳥山公園
   そろそろ帰ることにしましょうか。
   もちろん都電に乗ってね、
   帰りの都電の車窓からなにか新しい発見があればいいね。

 

          data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 2月21日  北区・飛鳥山公園

          

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飛鳥山に戻って上から目線で

2021-03-25 | 散歩

  さて晩香廬を離れ公園に戻ってみましょう。
  いやしくも"飛鳥山"と名乗っているので
  高いところから見下ろしてみましょう。
  いろいろな"絶景"を見ることができます。

 

   晩香廬から一度下に降りてみます、
   道路は本郷通り、旧岩槻街道で将軍家が日光参拝のおり
   通った道、緩やかな坂になっていて「六石坂(ろっこくざか)」の名が。
   坂の上の田んぼに対して六石の税が課せらていたとあります。

 

 

   公園に戻って見たのは難読、読めないことで有名な「飛鳥山の碑」。
   近寄って見ても古いのと難解な漢字で全く読めません。

 

 

   「八代将軍・吉宗がここ飛鳥山を整備して一般公開した、
   王子・飛鳥山・音無川の地名の由来や
   吉宗が花木の植樹を行い王子権現に寄進した」と。
   最後にやっぱり読めないよ~と記されています。

 

 

   飛鳥山の上にさらに山が、
   この日はお天気がよく朝からたくさんの家族連れなどが来ていました。

 

 

   見晴らしがいいところへやってきました。
   右上へ音無橋を通って旧岩槻街道、日光へのお成道。
   下を流れるのは音無川、別れた支流は山谷堀となって吉原を抜け隅田川に注ぎます。
   吉宗の故郷、紀州を流れる音無川に似ているとこの名をつけました。

 

 

   撮り鉄にちょっとだけ人気があるJR王子駅、
   下を都電、上にはJR京浜東北線、さらにその上に新幹線と
   うまくタイミングが合うと一度に3つ以上の電車が撮れるところです。

 

 

   何年前になるだろう25.4mの山を登るのがめんどいという人のために
   モノレールが設置されました。
   かわいいモノレールには「アスカルゴ」という愛称が、
   飛鳥山とエスカルゴをくっつけた造語ですね。

 

 

   アスカルゴが登っていきます、上に見えるのが山頂駅。
   私はこれに乗ること自体がめんどいので乗ったことはありません、
   自分の足で歩いた方が早い。
   いろいろな"登山口"があるので景色を見ながらのんびりとね。

   飛鳥山公園にはもう一つ目玉があります、
   ついでなのでそっちの方にも回ってみましょう。

 

          data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 2月21日  北区・飛鳥山公園

          

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晩香廬と青淵文庫

2021-03-24 | 散歩

  渋沢栄一の旧邸「曖依村荘(あいいそんそう)」跡にある
  大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」を
  見てみましょう。
  両方とも国の重要文化財に指定されています。

 

   晩香廬(ばんこうろ)は、
   渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設が贈った洋風茶室です。
   晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。

 

 

   渋沢栄一が「相談役」として関わり、
   経営理念や方針をアドバイスした清水建設、
   1917年に落成した洋風茶室「晩香廬(ばんこうろ)」は
   同社社員一同から渋沢栄一へ寄贈されました。

 

 

   晩香廬の脇には、銘板がはめ込まれた台座付きの立像があります。
   フロックコート姿ですが、コートの裾や腰に
   手を当てた表現などで躍動感を感じさせます。

 

 

   渋沢栄一の喜寿を祝って清水建設が贈った晩香廬の内部、
   丈夫な栗材を用いて丹念に作られています。
   渋沢邸を訪れた賓客をもてなすために利用されました。

 

 

   晩香炉の名前はバンガローの音に当てはめ
   渋沢栄一自作の漢詩の一節「菊花晩節香」から命名されました。

 

 

   暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも
   当時の風潮が見てとれます。

 

 

   「青淵文庫(せいえんぶんこ)」
   「青淵文庫」は、渋沢栄一の傘寿(さんじゅ)、80歳と子爵への昇格の祝を兼ねて、
   1925年(大正14年)に現在の渋沢栄一記念財団の前身・竜門社が寄贈した建物です。
   渋沢栄一は青淵という雅号がありました、
   文字通り捉えると「とても深い青い色の川」という意味です。
   外壁は石貼りで、テラスに面した窓の上部はステンドガラスで飾られて、
   中から見るととてもきれいです。

 

 

   渋沢家の家紋「丸に違い柏」をモチーフに、
   柏の葉がデザインされたステンドグラスやタイルが使用された
   鉄筋コンクリート並びに煉瓦造りの洋館です。
   資料を火の手から守るため、防火扉も使われています。

 

 

   論語などの書庫だった青淵文庫。
   書庫として建てられましたが、接客の場としても使用されました。

   明治に入って渋沢栄一によって王子に「抄紙会社」が設立されました、のちの王子製紙です。
   戦後の財閥解体政策によって1949年(昭和24年)に旧王子製紙は解体され
   後継会社は苫小牧製紙・本州製紙・十條製紙の3社となりました。
   時は流れ東十条の十条製紙跡地に"凸版城北印刷"が設立されました、
   凸版印刷グループの会社ですがそこで働いていたため
   "紙"に興味を持ち、近くの王子製紙跡を見、さらに渋沢栄一を知ったわけです。

   そんな因縁もあって「青天を衝け」を見てみようかな、足跡をたどってみようと
   久しぶりに飛鳥山公園へ行ってみました。
   このあとはまた公園へ戻ってキョロキョロしてみたいと思います。

 

          data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 2月21日  北区・飛鳥山公園

          

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青天を衝けin飛鳥山公園

2021-03-23 | 散歩

  NHK大河ドラマ「青天を衝け」がわりと好評のようで、、、
  私も多少繋がりが無いわけでもなく1回目から見ていますが。
  渋沢栄一と言えばなんといっても飛鳥山公園ですね、
  渋沢栄一を語るには切っても切れない飛鳥山公園へ行ってみました。

 

   飛鳥山公園は北区王子、自転車で行くのはちょっときついかな
   都電で行くことにしました。
   見るばかりが都電じゃない、たまには乗ってみなくちゃね。

 

 

   都電の停留所に近い入口から飛鳥山に登ります、
   なんとそこはもう「青天を衝け」の世界でした。
   誰だぁ、こんなにノリノリになっているのは。

 

 

   飛鳥山、東京で一番低い山?で標高は25.4m。(北区による実測値)
   ただ国土地理院は"飛鳥山"を山とは認めていない、
   従って公式には"飛鳥山"は単なる地名ということかな。

 

 

   「飛鳥山三つの博物館」といわれる博物館が3つ並んでいます、
   北区飛鳥山博物館、渋沢史料館、紙の博物館の3つ。
   そのうち北区飛鳥山博物館は
   「渋沢x北区 青天を衝け 大河ドラマ館」となっていました。

 

 

   その左に「渋沢史料館」。
   この日は2月21日、第一回目のドラマが放送された日です、
   時間的には今は朝なので夜まで待たなくてはいけないですけどね。
   でもここは閉鎖中、史料を隣のドラマ館に持って行ったのかな。

 

 

   その史料館、向こうのブルーシートで覆ってあるのは
   渋沢栄一の顔だけの石像、せっかくの石像なんで隠すの
   中身は隣へ引っ越ししたのかな。

 

 

   反対側、飛鳥山博物館の右にあるのは「紙の博物館」。
   渋沢栄一はこの地で洋紙抄紙工場を造りました、
   「王子製紙」ですね、飛鳥山の下にレンガ造りの工場。
   印刷会社に勤めるようになって見に行きました、
   レンガ造りの工場の一部が残っていたように記憶しています。

 

 

   今まで何もなかった博物館の前あたりにチケット売り場が、
   商魂たくましいな、どこかな北区かな。
   まあ、今年一年はこれで喰えるか・・・
   稼げるうちに稼いでおかなくちゃね。

   このあとは晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ)へ
   行ってみましょう、どちらも渋沢栄一の記念館的存在です。
   こちらは訪れる人もなくひっそりとしていました、
   少なくとも今はテレビで放送しない地味な存在。
   せめて終盤近くなってからでも放送してくれれば
   訪れる人たちも多くなってくれるかな。

          data: EOS70D/EF17-40mm 1:4 。 撮影 2月21日  北区・飛鳥山公園

          

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ハーブ園と温室で見た花

2021-03-22 | 散歩

  公園をぐるっと見て廻ったあと
  ハーブ園とそこにある温室に行ってみました。
  他の公園などとは違って「自由に葉を千切って香りをお楽しみください」と、
  まあ私にはハーブは似合わないので遠慮しておきましたが。

 

   ハナニラが咲き始めました、もう道端でも見られます。
   これから初夏にかけてどこででも見られる花ですね。

 

 

   ノースポールが小さな木箱の中で窮屈そうに、
   前には公園の丘一面に植えられ真っ白い丘が見られたんだけど。

 

 

   キンカンが実っていました、
   枝いっぱいに実をつけていてちょっと手を出したくなるね。

 

 

   正確には柑橘属ではなく、独自の金柑属という分類になるとか。
   皮ごと食べられ、柔らかい苦味と甘味があって生食も美味しいですよね。

 

 

   ミモザが残っていました、わりと長持ちする花です。
   これは銀葉アカシアで、ベルモント公園で見られるのは房アカシアのミモザです。

 

 

   温室に入ってみたら久しぶりにブーゲンビリア、
   前はほぼ一年中咲いていたけど久しぶりに見ました。
   花は真ん中の白い部分、花びらに見える部分は苞(ほう)という葉の一部です。

 

 

   エバーフレッシュが咲いていました、
   ネムノキの仲間で夜になると葉を閉じて寝てしまいます。

 

 

   南米原産の花ですが観葉植物として人気の植物。
   ネムノキは薄紅色の花だけどこっちはクリームイエローの花、
   でも花言葉は同じように「歓喜」とか「胸のときめき」とか
   ロマンチックな花言葉を持っています。

   桜の開花宣言から一週間、
   そろそろ行ってみなくちゃね。
   去年は公園には入れなかったけど
   今年はどうだろ、お花見の人たちで混んでるかな。

 


          data: EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 3月14日  足立区・都市農業公園

          

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