1945年8月15日、天皇の戦争終結の詔書が放送され、日本の戦争が敗戦で終わりました。当時私は5歳でした。地方の貧乏家庭にいましたから、ラジオもなく、放送は聞きませんでした。町の北の方に陸軍の駐屯地があったせいか、町は連日のように艦砲射撃、空爆、空からの機銃掃射を受け、半分破壊されてしまいました。アメリカの攻撃が止まり、非常に静かになりました。幸い地方で、使われていない農地や、開墾可能な土地があったので父は農地を借りたり、開墾したりして農作物の生産に注力しました。それでも食料不足は深刻で、私は栄養失調で病気ばかりしていました。
アメリカの攻撃で廃墟になった町の記憶、爆撃で消えた母方の祖父の家の記憶などが強烈で、若い頃は、日本の戦争の記録をよく読み、無謀、生命の軽視を痛感し、戦争反対論者に育ちました。技術開発と生産に注力することで人々の生活水準が上がれば、戦争するなどと人は考えないと思い、私は技術者になりました。極貧の家庭に育った私が、技術者として生産会社に就職し、希望どおり、自分も含めて人々の生活水準が向上したと実感できたので幸福を感じました。
しかし、政府は、平和論より戦争論を好み、憲法第9条を変えたいとか、在日アメリカ軍を減らさないとか、アメリカとの同盟論を好むとか、強い国づくりのために自衛隊の防衛力を強化するとか、一宗教法人になったはずの靖国神社を特別扱いしたいとか、戦前復古の動きを強めるので、ときどき日本の未来を想像します。廃墟になった私の故郷を思い出します。
8月15日、戦争放棄の平和憲法を世界の最先端を行く国法と信じ、アメリカの占領から完全に解放された独立中立、外国に無害な国になることを目標とし、技術開発・生産、生活・生産環境を重視する美しい国になってほしいと祈ります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます