またまたネタ切れです(笑)
雨が続くようでお出かけもできないので、ブログをお休みしようかと思いましたが、思い直して昔の山の思い出を綴りたいと思います。
今、ブログ仲間の錫杖さんも「回想 〇〇岳」というテーマで、過去の山行から素晴らしい山岳写真をアップされています。
しかし、私ときたら一番よく山に登っていた頃は、フィルムカメラや「写ルンです」しか持って登りませんでした(笑)
ということで、頂上での記念写真的な物ばかりしか残っていないのです。
前置きが長くなりましたが、今回の回想の山は、白馬岳(しろうまだけ)です。
上の写真は、2016.9.28に八方池から撮影した白馬三山(手前から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)です。
この頃から、やっと一眼ミラーレスで山岳風景の写真も撮るようになりました。
さて、白馬岳には3度登りましたが、はじめて白馬岳に登ったのが、1968年(昭43)高校2年生の時でした。
それが、北アルプスの高峰に立った最初の登山でした。55年前の話です。
この時のルートは、はっきりと覚えていませんが、一般ルートとはちがうルートを辿ったと記憶しています。
なにしろ登山部の夏山合宿だったので、重い荷物とロングコースが定番でした。
大阪発の夜行列車で糸魚川まで行き、そこから大糸線に乗り換え、北小谷駅で降りました。
そこが登山のスタート地点です。まず、めざすのが風吹大池です。
風吹大池からは白馬大池、三国境を経由して白馬岳に登頂し、そのあと、三国境までもどります。
翌日に朝日岳に登り、その後イブリ尾根の長い下り坂を北又までおりて、さらに小川温泉まで歩くというコースだったと思います。
たしか2泊したと思うのですが。もちろんテント泊です。(布製の三角テントです。)食事も自炊です。ご飯は米から炊きます。カレーもジャガイモを切るところから始めます。
調理器具は、ガソリンストーブのホエーブスと灯油ストーブのオプチマスという代物でした。
その他の登山の装備は、ザックはキスリングと言って、布製の横長ザックです。ズボンはニッカボッカ、靴はナイロン製のキャラバンシューズ。雨具はナイロン製の物だったと思います。
なにしろ55年前の話なので、こまかいところは覚えていませんが、荷物が重くても、道が遠くとも、平気でした。やはり若いということですね。
2回目に白馬岳に登ったのが、1985年(昭60)です。5人の山中間と、猿倉から大雪渓を登って白馬岳(テント泊)翌日は、白馬鑓ヶ岳から鑓温泉、猿倉という一般ルートをたどりました。
初めての夏山から17年経っているので、さすがに装備も、軽量のナイロン製テント・ガスボンベの料理器具・縦型ザックに変わっていました。
燃料が無くなってすき焼きが食べられなかったことや、下山時に雷に会ったことなどが思い出として残っています。
そして、3回目が2007年(平19)です。3人の山中間と、一般ルートでの登山です。
この頃になると、さすがにテント泊はしんどくて、山小屋に泊まるようになりました。従って、食料を持たなくてもいいので、ザックもずいぶん軽くなりました。
大雪渓を見上げます。
白馬岳頂上です。
頂上からの白馬槍ヶ岳方面です。
コマクサです。
雷鳥です。
白馬鑓温泉です。
歩いてしか行けない秘湯です。
大出原(おおでっぱら)のお花畑です。
一番よく山に登っていた30〜40代の頃は、カメラに興味がなく、従って山の写真はほとんどありません。
「写ルンです」で撮った山頂での記念写真がアルバムに残っているだけです。
今から思えば惜しいことをしたと思うのですが、こればかりは仕方がありません。
次回はどこの山にしようかと思案中です。
雨が続くようでお出かけもできないので、ブログをお休みしようかと思いましたが、思い直して昔の山の思い出を綴りたいと思います。
今、ブログ仲間の錫杖さんも「回想 〇〇岳」というテーマで、過去の山行から素晴らしい山岳写真をアップされています。
しかし、私ときたら一番よく山に登っていた頃は、フィルムカメラや「写ルンです」しか持って登りませんでした(笑)
ということで、頂上での記念写真的な物ばかりしか残っていないのです。
前置きが長くなりましたが、今回の回想の山は、白馬岳(しろうまだけ)です。
上の写真は、2016.9.28に八方池から撮影した白馬三山(手前から白馬鑓ヶ岳・杓子岳・白馬岳)です。
この頃から、やっと一眼ミラーレスで山岳風景の写真も撮るようになりました。
さて、白馬岳には3度登りましたが、はじめて白馬岳に登ったのが、1968年(昭43)高校2年生の時でした。
それが、北アルプスの高峰に立った最初の登山でした。55年前の話です。
この時のルートは、はっきりと覚えていませんが、一般ルートとはちがうルートを辿ったと記憶しています。
なにしろ登山部の夏山合宿だったので、重い荷物とロングコースが定番でした。
大阪発の夜行列車で糸魚川まで行き、そこから大糸線に乗り換え、北小谷駅で降りました。
そこが登山のスタート地点です。まず、めざすのが風吹大池です。
風吹大池からは白馬大池、三国境を経由して白馬岳に登頂し、そのあと、三国境までもどります。
翌日に朝日岳に登り、その後イブリ尾根の長い下り坂を北又までおりて、さらに小川温泉まで歩くというコースだったと思います。
たしか2泊したと思うのですが。もちろんテント泊です。(布製の三角テントです。)食事も自炊です。ご飯は米から炊きます。カレーもジャガイモを切るところから始めます。
調理器具は、ガソリンストーブのホエーブスと灯油ストーブのオプチマスという代物でした。
その他の登山の装備は、ザックはキスリングと言って、布製の横長ザックです。ズボンはニッカボッカ、靴はナイロン製のキャラバンシューズ。雨具はナイロン製の物だったと思います。
なにしろ55年前の話なので、こまかいところは覚えていませんが、荷物が重くても、道が遠くとも、平気でした。やはり若いということですね。
2回目に白馬岳に登ったのが、1985年(昭60)です。5人の山中間と、猿倉から大雪渓を登って白馬岳(テント泊)翌日は、白馬鑓ヶ岳から鑓温泉、猿倉という一般ルートをたどりました。
初めての夏山から17年経っているので、さすがに装備も、軽量のナイロン製テント・ガスボンベの料理器具・縦型ザックに変わっていました。
燃料が無くなってすき焼きが食べられなかったことや、下山時に雷に会ったことなどが思い出として残っています。
そして、3回目が2007年(平19)です。3人の山中間と、一般ルートでの登山です。
この頃になると、さすがにテント泊はしんどくて、山小屋に泊まるようになりました。従って、食料を持たなくてもいいので、ザックもずいぶん軽くなりました。
大雪渓を見上げます。
白馬岳頂上です。
頂上からの白馬槍ヶ岳方面です。
コマクサです。
雷鳥です。
白馬鑓温泉です。
歩いてしか行けない秘湯です。
大出原(おおでっぱら)のお花畑です。
一番よく山に登っていた30〜40代の頃は、カメラに興味がなく、従って山の写真はほとんどありません。
「写ルンです」で撮った山頂での記念写真がアルバムに残っているだけです。
今から思えば惜しいことをしたと思うのですが、こればかりは仕方がありません。
次回はどこの山にしようかと思案中です。
こんばんは。
びっくりですが当時は大阪発の
夜行の普通列車があったんですよ。
帰りも泊から夜行で帰りました。
いつもありがとうございます。
「はくばだけ」と言っていて
悲しいやら、腹立たしいやら。
糸魚川まで夜行列車…
特急「日本海」、いや急行「きたぐに」かな。
応援ぽち
おはようございます。
キャリアだけは長いですが‥。
しかし、このコースは渋すぎますよね。
今歩けと言われても絶対に断ります(笑)
当時は若さだけで歩けたのだと思いますが
最近は体力に応じた山行を心がけています。
今はカメラ無しには山には登りませんが
昔はカメラも持たずに山に登ったので
随分と絶景を逃してきたかもしれません。
と言っても雨に会うことが多かったので
目に焼き付いた景色も少ないです(笑)
今はカメラ無しにはと言いましたが
信さんのように写すのは無理ですね。
いつもありがとうございます。
おはようございます。
一緒に登ったのは1985年でしたね。
もう38年も前の話になりますね。
写真は白馬鑓ヶ岳の頂上で
5人で写した写真しか残っていません。
あの頃は私も若くて元気がありましたが
最近は足が攣ってしかたがありません(笑)
あの時は白馬鑓温泉には入れませんでしたが
3回目でやっと入ることができました。
またどこかの山に登りましょう。
コメントありがとうございます。
高校時代からの登山キャリア、50年以上の王道を行く山やですね。
最初の風吹から白馬岳、そして雪倉・朝日・イブリ尾根コースは全行程60~70kmくらいになるのでしょうか。
20kgくらいの荷物を担ぎながら、20km近くの山谷を歩ける気力・体力は相当なものだと思います。
うちのクマさんはデジタルでなくても「頭に焼き付ければ良い」とよく云います。
私はカメラ無しで山を歩いた経験がありません。
そのためか強烈に記憶に残る山景のシーンが無いように思えます。
初めての登山は、ルートと装備から想像して、
物凄く大変だった事でしょうね。
ご一緒させていただいたのは、
1985年でしたか?
雪渓を歩き、温泉にたどり着いた時、
入りたいと思いました。
でも、播さんは天候の悪化を予想して、
テントを張れる場所まで行くように
判断されました。
山の天気の変わり易さと怖さ、
それと、登山の素晴らしさを
教えて頂きました。
ありがとうございました。