はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「夏の終わりに」

2012-09-01 19:39:09 | 岩国エッセイサロンより
2012年8月31日 (金)

岩国市  会 員   吉岡 賢一


広島、長崎の平和式典や終戦記念日追悼式など、お線香の香りの絶えない日が続く8月。そんな行事に挟まれるように、39年前に74歳の生涯を閉じた父の祥月命日がある。

帝国海軍軍人であったことを誇りに生きた父も、昭和48年の歴史に刻まれた猛暑酷暑には耐えられなかったのか、短い患いであっけなく逝ってしまった。あの夏の再来を思わせる連日の猛暑を無事乗り切り、せめて寿命だけでも父と肩を並べられる日を迎えたい。

8月は鎮魂の月。風鈴を揺らす風とともに心静かに手を合わす。秋はすぐそこに。

(2012.08.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩國エッセイサロンより転載

二百十日、そして秋

2012-09-01 14:51:52 | アカショウビンのつぶやき


 今日は立春を起算日(第1日目)として210日目の二百十日。
ちょうど、この頃が稲の開花期にあたり、強い風が吹くと花粉が散り、実りが悪くなることから、厄日と言われてきたらしい。
私が子どもの頃は、よくこの頃に台風が来て、学校が休みになる…とうれしかったものだったが…。

関東大震災は1923年9月1日。義兄はその日に長崎県壱岐に生まれ、母方の祖父は関東大震災で焼死した。大惨事のあった、本所被服敞で亡くなったという。
当時、都心から離れた所に住んでいた母は3歳と1歳になったばかりの二人の男の子を抱え、地震の被害には遭わなかったものの、度々の余震に生きた心地はなかったとよく話していた。
それに悪意のデマの恐怖も…。

関東大震災から89年、今また、南海トラフ巨大地震の被災予想が、連日報道されている。
そして今日は防災の日。
自分でできる安全対策を実行しないと!
毎年、考えるだけで実行が伴わない私。
非常持ち出しリュックは、用意した8年前にはしっかり背負えたけれど、今はどうなんだろう。
立ち上がる事さえできないかもしれない…ヤバイ。

寝るとき頭の上にある、亡夫の写真も、大きな揺れだと、まともに落ちてくるかもしれない。
いつもそばに居たいのだけれど、ゴメンネ。なんとかしなくちゃ。

日本沈没が現実となりそうな日本列島。
原発は本当に大丈夫だろうか。

節電が叫ばれたこの夏、来客のとき以外は、エアコンなしで頑張った。
そして今朝は寒さを感じるほどの冷気で目が覚めた。

秋が来たー。
いつも私に秋を知らせてくれる、タマスダレも咲いた。


義父

2012-09-01 14:44:52 | はがき随筆
 3年前に97歳で天寿を全うした義父は高齢のため、多少認識機能は衰えてはいたものの、周囲の人を笑わせ介護者を楽にさせてくれた。ショートステイの見送りの際、何を思ったか、息子である主人に「お前も一緒に行かんか」と誘い、本人は旅行気分で今から温泉にでも行くつもりだったらしい。施設で昼寝から目覚め、いきなり「中国は良かとこじゃ」と瞬時にワープできたりと逸話に枚挙がない。家族やヘルパーさんを和ませてくれる達人でもあった。口ぐせは「ありがとう」と「すまんなあ」でした。私たちもそんな義父を見習って過ごしたい。
  鹿屋市 中鶴裕子 2012/9/1 毎日新聞鹿児島版掲載

「水道メーターの気持ち」

2012-09-01 14:40:53 | 岩国エッセイサロンより
2012年9月 1日 (土)

     岩国市  会 員   片山 清勝

私は水の門番である水道メーター。日ごろはその仕事ぶりを見られることもなく、蓋をかぶせられた地中の箱の中にいる。

2ヵ月に1度、その仕事ぶりを確認に年配の男性が訪れる。蓋を開けメーターの数値を携帯PCへ打ち込む。そのわずか数秒の間だけ外の明るさを感じる。パタン。音とともに次の2カ月はまた闇の世界へ。それでも家庭で使われる水は私の中を通り過ぎなければ使えない。それをいつも誇りに思って仕事をしている。 

予定外の日に蓋が開いた。見上げると、いつもと違う感じのいい青年の顔。「メーターの定期交換です」と家の主に説明している。主は後学のためと作業を見ている。「交換は何年おきに」という質問に「7年です」と青年。ここに住み始めてそんなにたつのか。 

青年は私の埋もれた箇所の土を取り除く。前後のジョイントを緩め私を取り外し、交代さんを取り付けて作業は終わり。その間、わずか数分。取り外された私は作業車の荷台へ。そこには何十個もの仕事を終えた仲間か休んでいた。 

それこそ日の当たらないところで、昼夜の区別なく、幾つもの歯車を間違いなくかみ合わせての水番。7年間、一度も異常点検を受けなかったことは務めを全うしたことになる。主がよく言っていた「やり遂げた喜び」とはこのことだったのだろう。メーカーさんで調整され、再登板となったらうれしいのだが。

  (2012.09.01 毎日新聞「男の気持ち」掲載)岩國エッセイサロンより転載