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はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「えさでつる」

2012-11-29 11:56:33 | 岩国エッセイサロンより
 岩国市  会 員   山下 治子

1人暮らしの息子の誕生日が近い。彼が出て行く時、「食いつめたら相談に乗る」と見送ったが、ウンもスンもなく、たまに戻るのは、パーマ嫌いの私の髪をカットしてくれる時。ビール付きでちょっと気張った夕食で代払いする。

「20代最後の誕生日、注文は?」とメールすると「五体満足な体とナイスな顔で十分」との返信。数日後、「マグロの山かけ食いてェ」とメールがあり、続きに「いつもウルサイと思ってた。今はアリガトウと思ってる」とある。

男の子は、いつもこれ。たまには、面と向かって言ってみて。

(2012.11.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載





映画の中の言葉

2012-11-29 01:12:19 | はがき随筆
 山田洋次監督の「男はつらいよ」の映画の中で、寅さんが「それを言っちゃあ、おしまいよ」と言う場面がある。私はその言葉に心ひかれる。「それを言っちゃあ、おしまいよ」。言葉の持つ力は大きい。
 笑いあり、けんかあり、心配事あり……。寅さんが寅さんらしく生きられるのは、周りの心優しい人たちが、心から寅さんのことを考え、支えてくれているからであろう。
 寅さんの周りの暖かい人情に、ホッと心が和み、また明日から頑張っていこうという勇気や希望、元気の出る映画であったと、懐かしく思い出す。
  屋久島町 山岡淳子 2012/11/28 毎日新聞鹿児島版掲載

93個

2012-11-29 01:05:59 | はがき随筆
 2㍍に満たない木に柿が93個もぶら下がった。枝は重さに絶えられず、しだれ柿になっている。
 実がなって3年目の豊作に、母は「市場に出そうか。行商に行こうか」と笑わせる。オレンジ色に輝くと、母の柿外交が始まった。「あの人もこの人も喜んでくれたよ」と、柿の木に頭を下げている。
 朝な夕なに眺めては一喜一憂していた母。4月の若葉から10月の収穫まで、7ヶ月も母の守をしてくれた柿の木に感謝する。93個もの柿の収穫に、木の大健闘をたたえて子守り柿を5個残した。
  出水市 道田道範 2012/11/27 毎日新聞鹿児島版掲載

獅子島への橋

2012-11-29 00:54:35 | はがき随筆
 どんな化石に巡り合えるだろうかと思いながら、仲間と離島の長島町獅子島へ化石拾いに行った。片側港に着くと、車は急坂を巡る。湯ノ口を回った海岸で化石拾い。運良く1億年前? の巻き貝化石を拾った。
 しかし、私は化石拾いの最中も、山また山の獅子島の島民の生活の厳しさが気になった。平野が少なく、稲の刈り跡が見当たらない。漁獲も減ったという。最盛期、約2400人の島民は現在3分の1とか。
 だが、30年後、島民悲願の、長島から獅子島へ橋が架かる計画があるという。良かった。
 私の胸は少し軽くなった。
  出水市 小村忍 2012/11/26 毎日新聞鹿児島版掲載

65の旅立ち

2012-11-29 00:48:04 | はがき随筆
 中学校を卒業してから50年目の今年は慌ただしく過ぎようとしている。
 誕生日の前日に市役所で住民票と戸籍謄本を取り、年金事務所で年金請求の手続きをしないといけないと思っていたら、その前に介護保険被保険者証が届いた。更にインフルエンザの予防接種通知書も追っかけて来た。年金請求の手続きが済んだと安心していたら、今度は介護保険料納入通知書が来た。弟の喪中年賀欠礼のはがきを書き終えたところだったので投函に行き、介護保険料を払い込んだ。
 リタイアして、65歳が強く意識され初めて寂しさを感じた。
  いちき串木野市 新川宜史 2012/11/25 毎日新聞鹿児島版掲載 

盆に載せたよな

2012-11-29 00:41:40 | はがき随筆
 小学生の頃、友達と「ひな祭り」や「雨降り小槻さん」の振り付けをして遊んでいると、針仕事の手を止めて祖母がこう言った。「あのっさあ盆に載せたよな踊いしやっとお」。意味はわからなかったけれど、妙に心にひっかかった。
 顔見知りのあのおばさんはどんな踊りをするのだろう。
 やがて盆に載せてささげたくなるような、匂うような優美な女人の舞が見えてきた。
 あれから六十余年、おばさんの踊りを見る機会はなかったけれど、祖母の一言からのぞき見た美しい舞は心のフイルムに焼き付いている。
  鹿屋市 伊地知咲子 2012/11/24 毎日新聞鹿児島版掲載

M君との別れ

2012-11-29 00:36:13 | はがき随筆
 M君が小学6年の時、父親が亡くなった。私は保護者の葬式に初めて参列した。
 父を亡くして間もない冬休み、私の家に友人2人で遊びに来て正月を迎えた。しばらく疎遠になっていたが、5年前、彼らの還暦同窓会に招かれ、再び交流が始まった。夫婦で来訪もして、仕事のこと、自分の病気のことなどを話した。
 彼は福岡市を拠点に調剤薬局を経営していたが、志半ばにして帰らぬ人となった。福岡市の斎場で行われた社葬に彼の同級生と一緒に参列して別れを惜しんだ。温厚な彼だったのに、私の心は冷たく固まっていた。
  志布志市 一木法明 2012/11/23 毎日新聞鹿児島版掲載

お母さんありがとう

2012-11-29 00:30:32 | はがき随筆
 「輝子、今から麦刈りに行こう」。下校した私に母からの命令。隼人中学校に入学して初めての中間テスト。びっくりして「おかあさん、よその家は勉強しなさいと言うのにおかしい。私はテスト勉強がしたい」。
 母は悲しそうな顔で言った。
「おかあさんは試験の点数を取りに学校へ行かせているのではない。社会人になるための勉強をさせに学校に行かせている。麦刈りも社会勉強だよ」
 納得できなかったが仕方なく麦刈りの手伝いに行った。今は母の気持ちがよくわかる。5人の息子を育てられたのも社会人勉強のお陰かな。
  山口県光市 中田輝子 2012/11/22 毎日新聞鹿児島版掲載

幻想の駅跡

2012-11-29 00:25:03 | はがき随筆
 故郷の吉利駅跡を訪ねた。旧南薩鉄道は昭和59年に廃線になったが、最近駅跡が整備され、憩いの場が誕生していた。駅は村の玄関口として数限りない歴史を刻んできた。列車を待つ乗客と送迎の人たちがあいさつを交わし、情報がもたらされ活気があった。戦時中は幾多の将兵を見送り、戦後は戦地や外地から多くの引き揚げ者が降り立った。待合室では警察がヤミ米を摘発する光景も見かけた。残されたホームに立つと、黒煙を吐いて蒸気機関車が入ってきて、駅長が発車の合図を送る情景が浮かぶ。しばしの幻想を抱かせたひとときであった。
  鹿児島市 田中健一郎 2012/11/21 毎日新聞鹿児島版掲載