はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

はがき随筆年間賞

2013-05-19 23:15:24 | 受賞作品


 12年のはがき随筆年間賞に塩田さん
     「心の会話」みつめて


 2012年度の「はがき随筆」年間賞に出水市下知識町、塩田きぬ子さん(62)の「一切れのカステラ」(12月27日掲載)が選ばれた。塩田さんに執筆の動機、作品への思いを聞いた。年間賞の表彰式は19日午後1時から、JR鹿児島中央駅前の鹿児島市勤労者交流センターである。

 受賞作は、母の道上ハル子さん(97)を老人ホームに訪ねた際、傍らにいた高齢の夫婦に対する心象と自らを重ねたものだ。「夫婦の〝心の会話〟を想像して書きました」と振り返る。
 ハル子さんも忙しい生活の傍ら俳句を作っていた。きぬ子さんも子育てなどが一段落し、約7年前から俳句を始め、随筆も約3年前から書き始めた。「人生はあっという間だが、文字にすればどこかに転がって残るような気がして」と人生の日記をつけるような気持だ。今回の受賞を「生きてきたことへのご褒美のよう」と喜ぶ。
 ハル子さんは認知症だが、それでも、身体をもんであげると、「もうやめんか。わや、いそがしかじゃっで(お前は忙しいのだから)きぬ子」と。娘の名を口にすることがある。
 最近、「葉桜や 子想ふばかり 母の魂」と句にしたためた。意識の奥底で親子の会話はできると感じている。
 記者がこの記事のため写真を頼むと、ハル子さんとのツーショットのリクエスト。「親孝行になれば。母との共作とも思うので」
【取材 豊満志郎】

人生考えさせられる


 平成24年の年間賞には、塩田きぬ子さんの「一切れのカステラ」を選びました。
 母の面会に行った老人ホームで見かけた、夫は無言のままカステラを渡し、妻も無言でそれを食べた光景に、二人の声なき会話に夫婦愛を感じたという内容です。自分の場合は母は娘の認識もない。無言の会話のもつ感情の交流が、対比的に見事に描かれ、人生について考えされられます。
 その他の記憶に残った作品です。的場豊子さんの「無阿弥陀仏」は、スイカ泥棒に対して、皮肉たっぷりな洒落た立て札を見かけたという、軽妙な文章です。種子田真理さんの「マイ骨壷」は、ご母堂が気に入った骨壷を手に入れて見せてまわっているという、なんとも奥の深い文章です。小村忍さんの「更地とチョウ」は、廃屋を解体した跡地につがいのアゲハチョウが飛んできて、まるで両親が見に来たようだったという、夢幻の雰囲気が捨てがたいものです。
(鹿児島大学名誉教授・石田忠彦)

寮からの手紙

2013-05-19 23:01:52 | はがき随筆
 セピア色した1通の手紙が出てきた。五十数年前の4月、私が福岡から母に宛てたもので、大学の寮の様子を伝えている。
 寮は旧制高校からの古い建物でかなり傷んでいた。窓ガラスは破れ、廊下には穴が開き、12畳の部屋はごみとほこりに埋もれていた。部屋の隅々に6人の住人が陣取り、夜は2階から寮雨(小便)が降り注いだ。
 同室者が腹痛になり、往診を頼むと、医者は「よくこんな所に住んでいる」とあきれていた。みんな貧しく、トイレの壁に愛や恋の思いを落書きし、友人と夜を明かして、人生を論じた。
 1年後、寮は取り壊された。
  田中健一郎 鹿児島市 2013/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載

豊饒の海

2013-05-19 22:54:56 | はがき随筆
 「ヒジキ好き?」と友人に尋ねられた。「好きよ」と答えると、袋を下げて浜に行くことになった。磯に立つと波は一波寄せて三波引く。ゆったりと波は引いていった。青く見えた海面が茶っぽくなる。ヒジキが海面に浮いてきた。ゆらゆら揺れるヒジキ。そのうち岩が現れ、がっちり根を張ったヒジキの根元からたくさんの茎が出て穂先まで2メートルはあろうか。枝枝にふっくらしたヒジキがついていた。見渡せばヒジキ一面、僅か30分ほどで袋いっぱいになった。
 なんと豊饒の海よ。自然の恵みに与りながら、ふと原発事故による海の汚染が気になった。
 出水市 年神貞子 2013/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載

三代で墓参り

2013-05-19 22:48:05 | はがき随筆
 連休に福岡から帰省した次女夫婦と孫娘が墓参りをしたいと言う。ありがたい願いだ。次女の愛犬と隣の孫娘も加わる。
 130㌔離れた熊本県玉名市にある墓地までは約3時間かかる。墓地は木や竹に囲まれていて折れた枝などが散乱している時がある。そういう場合、1人での作業は2時間かかるが、今回は落ち葉だけなので掃除は30分で終わった。やはり数の力だ。
 婿は墓誌を見て「長寿の家系だ」と驚き、娘は「落ち葉を持ち帰りたい」とつぶやく。きれいになった墓に合掌する子孫三代に先祖は喜んでいよう。鳥の鳴き声を背に墓地を後にした。
  出水市 清田文雄 2013/5/16 毎日新聞鹿児島版掲載

ボールペンと私

2013-05-19 22:39:21 | はがき随筆
 私が初めてボールペンで書かれた字に出会ったのは1945年(終戦の年)の春だった。
 「このはがきの字は水にぬれてもにじみません」。そう書かれたはがきは、中国の天津に住む叔母が、台湾にいた私たち家族に宛てたものだった。「うそでしょう」と水にぬらしてみたが、1字もにじまなかった。
 終戦後、日本に帰って5年過ぎ、私は初めてボールペンを手にする事ができた。しかし当時のインクはまだ青色だった。
 今では当たり前のように思われている物にはそれぞれに変遷がある。携帯電話、カップ麺しかり、人間もまたしかり。
  鹿児島市 高野幸祐 2013/5/15 毎日新聞鹿児島版掲載

民泊受け入れ

2013-05-19 22:33:21 | はがき随筆
 5月中旬、関西から中学校修学旅行の女子生徒4人の民泊受け入れをすることになった。しかし、築60年の我が家は都会の乙女が泊まるには問題点だらけ。トイレ、風呂場にかぎがないなど、大慌ての改修大掃除に余念がない。特に目立つのが落書きだらけの茶の間の柱。
 3人の子が記した背丈、その上に孫たちが書き、子と孫が貼ったシールが貼り付いている。
 雑巾片手に悩んだが、ありのままの我が家として残すことにした。そして乙女たちにも書いてもらおう。いつの日か、この地を思い出してもらえたらうれしい。近づく出会いにどきどき。
  出水市 塩田きぬ子 2013/5/14 毎日新聞鹿児島版掲載

新一年生

2013-05-19 22:26:15 | はがき随筆
 東京の孫は入学式に小学校の門をくぐった。組編成の紙が貼られた。教室に入ると先生が出席をとり、「はーい」と1年生らしい声で返事した。「元気がいいね」と先生が褒め唱えた。うれしそうな顔をした。
 孫息子はスイミングクラブに入ったよと電話があり、ぜんそくを患っては、健康のためには良いだろう。孫息子よ「少年よ大志を抱け」。未知の世界へ「夢は大きく描いて」羽ばたこう。田舎より入学式の門出をお祈りしつつ、お祝いに乾杯しよう。
 学業の第一歩をスタートした孫に山あり、谷ありの険しい道も一歩一歩、歩んでほしいと。
  姶良市 堀美代子 2013/5/13 毎日新聞鹿児島版掲載

本が好きに

2013-05-19 22:20:59 | はがき随筆
 読み聞かせは、幾つも年を経て続いている。 
 子供たちの生き生きとした反応に、こちらのほうが励まされ、楽しみをもらい続けている。
 今年も、図書の先生を通じて、子供たちより、感想文や礼状をもらった。
 いつも心からうれしいのは、「本が好きになりました」とか「たくさん読みたいです」などの文言が少なくないことだ。
 2年生では「きちきちばった」を板書して歌った。
 ある朝、近所の2年生が門を通りながら、家で歌ってるよと言ってくれた。
  出水市 松尾繁 2013/5/12 毎日新聞鹿児島版掲載

新たな出発

2013-05-19 22:13:11 | はがき随筆
 右足のひざから下を切って捨てたいと心底思った。寝ても横になっても、あぐらを組んでも正座しても、すねの痛みは飛散することはなかった。
 腰部脊柱管狭窄症と診断されたのは、その痛みで早期退職した後のことである。優雅な退職後の人生と人は言うが、数十㍍で涙する間欠跛行で惨めなスタートとなった。ひきこもり状態で体重は増え、動きも緩慢となり、廃人同様であった。
 夏休みの朝のラジオ体操に孫と参加したことで、身体に変化が生じた。
 子供たちが力を与えてくれたその夏が、また巡ってくる。
  いちき串木野市 新川宣史  2013/5/11 毎日新聞鹿児島版掲載