2018年4月11日 (水)
岩国市 会 員 片山清勝
新生活が始まる時期に合わせて「春の新聞週間」が始まった。
私が新聞を読み始めたのは1949年、小学3年だった。戦後の混乱は収まってはいなかった。そんな頃に「新聞を読んで感じたこと」を発表する時間があった。今のNIE(教育に新聞を)の先駆けかもしれない。
それから69年、新聞は日々の生活から切り離せず 「速報は放送、詳細は新聞から」と配達を待つ。家族の一員と同じような存在になっている。
このところ「確認したが、ない」などとした公文書の存在が明らかになり、改ざんや隠蔽など、政府や行政の姿勢が問題になっている。この問題でも放送は聞き流して未消化で終わる。その点、新聞は納得できるまで読み返せる。解説はより深く理解させる。
紙面にはさまざまな情報がある。全てが気に入るものではないが、そこから自分とは異なる考えを知り、思いやりも生まれる。広場欄はそんな集約面の一つと思う。
(2018.04.11 中国新聞「広場」掲載)
岩国市 会 員 片山清勝
新生活が始まる時期に合わせて「春の新聞週間」が始まった。
私が新聞を読み始めたのは1949年、小学3年だった。戦後の混乱は収まってはいなかった。そんな頃に「新聞を読んで感じたこと」を発表する時間があった。今のNIE(教育に新聞を)の先駆けかもしれない。
それから69年、新聞は日々の生活から切り離せず 「速報は放送、詳細は新聞から」と配達を待つ。家族の一員と同じような存在になっている。
このところ「確認したが、ない」などとした公文書の存在が明らかになり、改ざんや隠蔽など、政府や行政の姿勢が問題になっている。この問題でも放送は聞き流して未消化で終わる。その点、新聞は納得できるまで読み返せる。解説はより深く理解させる。
紙面にはさまざまな情報がある。全てが気に入るものではないが、そこから自分とは異なる考えを知り、思いやりも生まれる。広場欄はそんな集約面の一つと思う。
(2018.04.11 中国新聞「広場」掲載)