はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ネコの深謀遠慮

2018-11-18 17:54:32 | はがき随筆
 ネコのイークン専用出入り口を取りつけて、半年近くたった。イークン自身にとってガラス戸を自分で開けずに済むし、自由に出入りできるようになったというのに、ある酷暑の昼下がり、母屋のガラス戸を「開けてくれ」と要求されたのだ。
 その夜カミさんが「玄関に立っていたら、イークンが前足をアタシの足に乗せたのよ。足が熱かったのよね」と報告。言われてみれば、猫の出入り口は、日に焼けて足を下ろせないほど熱い階段に続く。母屋のガラス戸にはひさしがあり日が当たらない。深謀遠慮はオーバーとしてもイークンの要求は正しい。
 鹿児島県西之表市 武田静瞭(82) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

母とすり鉢

2018-11-18 17:46:42 | はがき随筆
 「しっかり押さえとくとよ」。鉢の下にすべり止めのタオルを敷くと母はすり始めた。右に回し左に回す。時々具を中央に寄せてはまた回す。そのスムーズな母の作るリズムが心地良かった。妹たちもでかけていて母と2人きり。母を想う時、思い出される光景の一つである。
 結婚後何年もたってすり鉢を買ったが、それだけでいっちょまえの親になった気がした。
 今夏はひや汁を作るのにすり鉢が活躍した。そろそろ魚のミンチと豆腐に根菜類を混ぜ込んだ熱々の揚げ身が食べたい。夫と2人暮らしの今、共同作業で作りましょうかね。 
 宮崎県高鍋市 井手口あけみ(69) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

学習

2018-11-18 17:37:25 | はがき随筆
 先日、玉名温泉の疋野神社で俳人十数名が集まって献句祭が行われた。神主の祝詞のあと、代表が句を読み上げ奉納し、最後に榊を供えて一同二礼二拍手一礼。社務所の和室で直会の茶菓子をいただきながら、文化祭の俳句大会の話など出て、帰りに家内安全のお札をいただき解散した。春秋の俳句大会も献句祭も高齢化のせいか参加者が年々減っているのが気がかりだ。
 退職後、生涯学習として始めた俳句と水墨画。おかげさまで多くの知己を得てボケもせず30年。健康と人との交流が一番で有難いことだ。忘れかけていたはがき随筆も何年ぶりだろう。
 熊本県玉名市 高村正知(89) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

すすき

2018-11-18 17:30:35 | はがき随筆
 御殿場から乙女峠を越えて箱根仙石原へ下った午後、眼下にうすむらさきに輝くすすき原、あれは豪華な景だった。
 昔々教科書に「乙女峠の富士」という文があり、展開する景観は美しかったが、それにも増す、すすきの原の量感はすばらしかった。
 光の加減でその光沢がさだかとなり、私にいつまでも漂っている。更に並木は真弓の実のみのりの季だった。バスの窓辺に沿って小さなピンクの実が続く。
 行けなくなった今、よみがえる旅の思い出、すすきが美しかった。
 鹿児島市 東郷久子(84) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

母心。父心。

2018-11-18 17:22:36 | はがき随筆
 夏の終わりに、次男が帰省した。県外に出てやがて10年になる。眼だけがギラギラで痩せている。キチンと食べているのかと聞けば、一食の時もあり、コンビニ食がほとんどらしい。
 久しぶりに家族そろった夕食。鰻の蒲焼きは「うまい」と丼茶碗2杯食べた。カレーを作ればがっつり2杯食べた。子供の頃の次男そのものでほっとした。
 土産を買うからと早めに家を出た。空港に送る道中男同士の会話で、今の仕事を頑張ると言ったらしい。夫は金を持たせたと指を3本立てた。「3000円?」と聞けば、「3万円よ!」財布の中の全額だった。
 宮崎市 津曲久美(60) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

生れ変われるなら

2018-11-18 17:16:55 | はがき随筆
 生れ変わったら何になりたいかと考えることがある。その時も今の私と同じ心を持っていられるのかな。
 いっそ男性がいい? 一家の大黒柱とみられるなら責任が重すぎる。動物? 魚でもいいな。でも生存競争激しそう。野生の動物は食うか食われるかだから。野に咲く花もいいな。高原の風に揺れながら一日中空とおしゃべりなんて夢みたい。
 今の私はこのままでいいのかな。もっと冒険がしたいし、知らないことばかりだし。
 ならばもう一度子供になりたい。それも特別出来のいい子に。秋の夜はロマンチック。
 熊本県八代市 鍬本恵子(72) 2018/10/25 毎日新聞鹿児島版掲載

関所

2018-11-18 17:08:35 | はがき随筆
 今の家に引っ越したのは8年前。通り沿いの住人は、ほとんどが私より高齢の家族ばかり。昼間から静寂で、屋外からは小鳥の鳴き声や、配送業者の車の音が聞こえるくらいだった。
 そんな通りの空き地に、2年前から3軒の家が建てられた。どの家族も若夫婦に2人の幼児。子らの笑い声、泣き声、嬌声が響くにぎやかな地域になった。隣の子・S君5歳が一番の年長らしく、遊びのリーダー役。朝のゴミ出しの大人たちには、庭先から「コンニチワー」と呼び掛けている。この「あいさつ関所」を通り抜けた人たちは、緩んだほおで一日が始まる。
 鹿児島市 高橋誠(67) 2018/10/24 毎日新聞鹿児島版掲載

どうするの?

2018-11-18 16:59:03 | はがき随筆
 「どうするの? この家」と姪っ子が。驚いたなあ。私たち2人に「子どもがいないのに、あと誰が住むの」と心配らしい。あれから20年。今更ながら、彼女の言葉が気がかりになった。
 今も昔も妻と2人。これからこの一軒家を守るには、荷が重い。妻に「引っ越そう」と言うと、「そうね」と返事も快い。物をため込んでしまうタチで、ガラクタの山。片付けるなら今だ。古い家財道具や着古しの衣類は、この際処分した。書籍や写真整理には難儀したが、思い切って資源物に出した。
 「このゴミ屋敷っ」とけなされる前に済んでホッとしたよ。
 宮崎市 原田靖(78) 2018/10/23 毎日新聞鹿児島版掲載