ある有名な川の源流。そこか ら湧き出る澄みきった神秘的な 水ー。そうした映像をふとし たきっかけで見た。「源流」と いう言葉など知らない小学生時分の小さな大冒険が胸をよぎる。
それは単純な疑問から始まっ た。この小川の上流はどうなん だろう、そこへ行ってみよう、 と深く考えもせず向かった。今 にして思えば無謀極まりない。
親や先生にばれてしまえば、厳 しく叱られるかもしれなかった。だが、そんな心配はつゆほどもしなかった。 山も小川も、畑や雑草の広場も、全て遊び場で怖さなどみじんもなかった。
山の麓で川に入り、浅い流れの中を上流へ進む。二つの砂防ダムを越える。勾配は次第にきつくなる。 だがさして苦ではなかった。 しばらく行くと、谷幅は狭くなり勾配が増した。 両側の山肌から垂れ下がる木の枝や背丈以上の雑草に阻まれて、進めなくなった。
そこら辺りまで、うっすらと記憶に残っている。 子どもだから、割とあっさり諦めて引き返 したのかもしれない。だから記憶にないのかもしれない。
小川は、子どもにとってはフナを釣る遊び場だった。 大人の社会では、錦帯橋の架かる本流の錦川へ届くまで、家庭用の井戸水や途中に広がる稲田の大切 な水源だった。
その稲田。今は幹線道路が通り、広い商業地帯となっている。 かつてをしのぶものはない。 散歩の折、小川の源流を目指して山を見上げる。 遠い山は昔のままで変わらない。
無職 片山 清勝(80)=岩国市 ひといき欄掲載 岩国エッセイサロンより