コロナ禍でお別れもできなかった亡夫のすぐ上の大阪の義姉。その義姉の忌明けの品に掛け時計を選ばせてもらった。1時間ごとにメロディーが流れる度に義姉のことを思う。結婚して始まった大阪での生活。義姉とは前後して母親となった。長女が生まれて3カ月の頃に私は盲腸炎になり、半月もの入院となった。その間、娘は義姉に預かってもらいありがたかった。その後、娘は義姉を見ると私の胸元を離れて、母乳が豊かであった義姉の方へにじり寄って行ったものだ。おおらかで面倒見が良くて、義兄も優しくて、私たち家族は甘えてばかりだった。
鹿児島県霧島市 秋峯いくよ(81) 2021/7/29 毎日新聞鹿児島版掲載