はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

うれしさも

2015-09-16 00:12:37 | はがき随筆
 毎月1遍ずつ投稿する。10年後、なんと120編の創作になる。いま120編創作しろと言われても、無理難題で投げ出してしまう。やはり継続して思考しながら、愉しみながら投稿する。生きがいも生じてくる。今月はどんな題材で創作するか。新鮮味も感じてくる。
 1日1㌻の日記励行。こっちの方は苦にもならず、時間設定もなく自由気ままに書く。老齢か、同じ内容のものもあるが、気にせずコツコツと書く。
 投稿も自由に実践。没も気にせず、毎月の継続の力も生き方に必要であろう。今月も投稿できたこと、うれしさも生じる。
  鹿児島市 岩田昭治 2015/9/7 毎日新聞鹿児島版掲載

ブルーベリー

2015-09-16 00:12:02 | はがき随筆
 友は上場高原にブルーベリーの果樹園を持ち、今が収穫だと言う。さすが高原。涼しい風が吹き、ヒグラシが鳴いて広々とした大地は気持ちがいい。
 若木は摘むのに程よい高さ。300本の木は品種もいろいろ、枝々に赤い実、そして濃い青紫色に白粉をおびた完熟実は、さわるとぽろりと落ちる。つい口に入れた。甘さと程よい酸味がいい。アントシアンが豊富な実は目にいいそうだ。
 かごいっぱいに摘んだ実のジュースやジャムへの加工の仕方を聞きながら、高原を下りた。友は春にもおいで、ブルーベリーの花が美しいと言う。
  出水市 年神貞子 2015/9/6 毎日新聞鹿児島版掲載

グリーフケア

2015-09-12 19:30:17 | はがき随筆
 12年間、自宅でご主人の介護をし、最後までみとったSさんが亡くなってもうすぐ2年になる。ご主人を亡くして4年目の夏。末期ガンだった。
 久しぶりにSさん最後のメッセージメールを読んだ。一人娘と私に、そして闘病中だった夫に「ずーっと見守っています。みーちゃん、恋もして青春を楽しんでね。長い間ありがとうございました」と書いてあった。
 長い介護が終わって体調を崩したり、亡くなってしまう方が多いと実感している。大切な人を亡くした悲しみをケアする「グリーフケア」を教えてくださるところはないだろうか。
  鹿児島市 萩原裕子 2015/9/5 毎日新聞鹿児島版掲載

風雪

2015-09-12 19:29:47 | はがき随筆
 義父が植えたという榊。炎天下に何を思うのだろう。
 義父は昭和20年、硫黄島の玉砕で戦死。享年30。青年学校の指導員だったそうだ。一人息子を奪われ悲嘆の中、祖母、義母は田畑を守り労苦の連続。多くの人がそうであったように。
 当時義母は25歳。祖母と2人、生後半年の夫を抱き、霧島に面会に行ったのが義父との最後となった。その年の桜は殊更きれいで……と感極まる。3世代で終わらぬ悲しみの連鎖を思う。
 戦後70年。古希を待たずして旅立った夫は、幻の父に会えただろうか。
  出水市 伊尻清子 2015/9/4 毎日新聞鹿児島版掲載


孫娘帰国

2015-09-12 19:29:09 | はがき随筆
 「鹿児島市青少年の翼」のパース市派遣で、15日間の日程を無事に終えた孫娘が帰国した。
 帰宅の第一声が「ご飯たべたい!」。さもありなん。学校では10時にティータイム。お菓子を食べ昼食は軽食。事前研修で身振りを交え「一回りも、ふた周りも成長して帰ります」と笑わさせた通り身体的成長? の顕著なこと。ホストファミリーはフィリピン人で母国語が多かったが、これも異文化体験。何人かの人に「発音がきれい」と褒められたという。
 貴重な体験を内面の充実につないでほしい。それが社会へのご恩返しになるのだから。
  鹿児島市 内山陽子 2015/9/3 毎日新聞鹿児島版掲載

えべっさあ

2015-09-12 16:17:39 | はがき随筆
 また一人、身近な人が94歳で逝かれた。いつも穏やかな笑顔で、この人は怒るという気持ちがないのかと思い、現代の〝えべっさあ〟と見ていた。
 つれあいに先立たれ、娘の家に身を寄せて余生を過ごされていたが、入退院のすえ、体力が衰え延命治療の選択を問われた。家族の心の葛藤はいかばかりか。点滴を外し6日目、残り少ない命を察してか、皆に「ありがとう、最高の人生だった」と笑顔で感謝の言葉を残されたとか。私もこんな最期でありたいと思うのだが、ピンピンコロリと逝きたかったり、まだまだ欲のかたまり。いけそうにない。
  阿久根市 的場豊子  2015/9/2 毎日新聞

シフォンケーキ

2015-09-12 16:16:04 | はがき随筆
 腹が立つのでシフォンケーキを焼いた。焼きたてを頬ばっていると、心の水面漂うかなしみが見えてくる。怒りはこのかなしみから生まれるらしい。
70年前不戦を誓い、平和への未知を歩いてきたのに、いま誓いを破る力かうごめいているのでかなしくてならないのだから。
 ビッグバンから現代までを1年とすれば、人類は大みそかに誕生したばかりで幼稚なので、愚かな戦争をしたがる。
 この命尽きるまでに完全な平和を築けないとしても、神の国でシフォンケーキを焼きながら人類が成長して平和への道を歩きますようにと願い祈りたい。
  鹿屋市 伊地知咲子 2015/9/1 毎日新聞鹿児島版掲載

対象地域

2015-09-12 16:14:41 | ペン&ぺん

 水俣病の被害者救済を巡って先週「熊本県内の救済対象地域の外に住んでいた3761人が救済された」という生地が載っていた。熊本県は「大概地域の外側でも申請を呼びかけ、1人でも多く救済しようと取り組んだ結果だ」と、この数字を肯定的にとらえている。これに対し、被害者団体は「水銀に汚染させた魚は海の中を自由に動き回るのだから、そもそも対象市域かどうか線を引くこと事態がおかしい」と反論していて、議論がかみ合っていない。
 「救済対象地域」とは何か。2009年に成立した水俣病被害者救済特別措置法(特措法)に基づく救済制度は、原因企業・チッソ水俣工場のあった熊本県水俣市を中心に、熊本県内の3市町の全域または一部を「対照し地域」に定めた。これらのエリアでは水銀汚染魚を通じて、通常以上の水銀を体内に取り込んだ可能性があるというのが理由。具体的には過去に水俣病認定患者が存在した地域が対象になった。
 地域外からも申請はできるが、水銀に汚染された魚を多く食べたことょ証明しなくてはならない。1956年の水俣病公式確認から来年で60ねん。当時の食生活を証明するのは簡単ではなく「半世紀前の魚屋の領収書を持ってこいということか」などと新生社が反発したのも無理からぬことだろう。熊本県内では、対象地域内の申請者の90%が救済されたが、地域外は64%だったという。
 御名町病は被害がどこまで広がって、患者が何人いるのか、実はいまだにはっきりしていない。今の救済制度から漏れた住民1001人がいま国や熊本県、チッソを相手に熊本地裁で裁判を起こしているが、この中には鹿児島県内の原告348人が含まれている。私はたまたま特措法が成立したころ水俣で勤務したが、水俣病問題は解決から遠いという気が今もしてならない。
  鹿児島支局長 西貴晴  2015/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載

高隈の嶺

2015-09-12 16:10:15 | はがき随筆


 日中は残暑がきついが、朝夕はずいぶんしのぎやすくなった。早寝早起きの私は起床と同時に家中の窓を開け放つ。
 台所の窓枠に、すっぽり高隈の嶺をはめ込んで、お茶の準備、朝がゆ作りを同時進行。そして、今日の天気の行方を見定める。山が遠のいた感じのときは好天と見てよい。山が近く見える日は〝天気の崩れる兆し〟ということをいつしか学んだ。 
 間もなく日差しが庭に差し入り、ピーマンや花オクラ、クレオメなどに降り注ぐ。
 お茶もおいしそうにはいった。かゆも煮えた。順調に1日が送れそうだ。
  鹿屋市 門倉キヨ子 2015/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載


居場所

2015-09-09 08:42:34 | 岩国エッセイサロンより
2015年9月 8日 (火)

 岩国市  会 員   樽本 久美

 父が、あんなに行きたがらなかったデイサービスに行くことになった。父と母と私で見学に行ってみた。1年前にできたので建物もきれいで明るく、男性が多くリハビリに励んでいた。足の悪い母がお世話になっているデイサービスは、女性が多く男性は少ない。 
 ここは、食事がないが、男性が多い。これからは、2冊のデイサービスノートを書くのが私の仕事。子供のいない私には、どんなやり取りノートになるか楽しみである。もしかしたら、父がまたアコーディオンを弾けるかもしれない。もうすぐ84歳。運転免許証を返した父の新しい居場所。

  (2015.09.08 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載