はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

Ⅰ玉785㌘

2017-06-22 17:08:15 | はがき随筆
 大きなタマネギがゴロゴロ収穫できた。昨秋、苗に難儀した。植え終えたのは師走の初め。その後いつもの追肥をした。種苗店でいい追肥を尋ね「これがいい」とニトロ燐加を2回3回と少量ずつ施した。水をまき、小さい草までせっせせっせと抜いた。朝夕見回って「早く大きくなれ」と声(肥)もかけた。3月は暖かくなり葉もグングン伸びた。4月になっても薹は出ず生育を続けていた。4月下旬、大きいのは一玉785㌘になってびっくり。タマネギが応えてくれた。作秋の心配がうそのよう。いっぱい食べられるぞ、感謝、感謝、ありがとう。
  出水市 畠中大喜 2017/6/13 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆5月度

2017-06-22 16:50:48 | 受賞作品
 はがき随筆の5月度月間賞は次の皆さんでした。

 【優秀作】4日「断腸捨離」野崎正昭=鹿児島市玉里団地
 【佳作】17日「宝物」的場豊子=阿久根市大川
 △「80歳はヤバイ?」武田静瞭=西之表市西之表

 「断腸捨離」の表題は、断腸の思いと断捨離とのモジリです。いつ頃からかはやり出した身の周りの品物の整理と、それがなかなかうまく進まない心理を巧みに表現した内容です。バブルの時期頃から、私たちの所持品は増え続け、現在ではそれが殆ど不用品に化している。しかしモノには歴史が絡まっているので、捨てられない。なんとも厄介な事態です。
 「宝物」は、現在もあるかどうか、かつてあった吸い出し膏薬に関した逸話です。刺さったトゲや傷口のうみを、不思議なくらい吸い出して直してくれる塗り薬です。水産加工業の家に嫁いだ私に、母親の持たせた花嫁道具の一つでした。今でも残り少ない薬を、爪ようじでかすり取って使っているというところがいいですね。
 「80歳はヤバイ?」は、老いの自覚は自分ではなかなか難しいという、誰にでも訪れる経験が内容です。80歳を迎えたとき、たまたま身内の人たちが、3人も来訪し、直接にまたは間接に、運転が荒っぽいと言い置いて帰って行った。自分では気づいていなかったが、ありがたい忠告と感じている。
 この他に、美しい文章を3編紹介します。
 年神貞子さんの「身ぶり」は、最近とみに立ち居が不自由になっている。歌舞伎の玉三郎とまではいかないものの、加齢に逆らっても美しい立ち方をしたい。玉三郎の立ち姿やご自分の立ち居の描写がみごとで、鮮やかに目前に浮かぶようです。
 伊地知咲子さんの「ふるさと」は、高隈連山を眺望できる故郷の情景が、時間の経過とともに美しく描写されています。たそがれ時の、刻々とその色合いを変えていく夕空の様子、次第に浮かんでくる星や月、その色彩の変化、やがて明りのともる家々の夜景。美しい叙景詩です。
 山下秀雄さんの「菖蒲湯」は、高校生の頃の下宿近くの銭湯の思い出です。銭湯は年齢を問わない社交場で、巨人阪神戦が終わる頃、番台のお姉さんに挨拶され、一日が終わった気がして、菖蒲湯の移り香に包まれて帰って来た日々。
 鹿児島大学 名誉教授 石田忠彦

小さな池

2017-06-22 12:00:37 | 岩国エッセイサロンより


2017年6月21日 (水)
岩国市  会 員   森重 和枝

庭に小さなハナショウブ池がある。池は亡夫が手作りして、20株の苗を植えたものだ。「梅雨時の庭を彩り、心を和ませてくれる」と大輪の花を愛でていたことが何回あっただろう。
 あるじを失っても株は増え続け池は挟くなった。株分けし、休耕田の辺りに移し畑を作る。毎年、少しずつ広げていき、20年たった今では200株を超えてきた。手入れが行き届かない現状で、花付きが悪くなった。
 庭の池だけは、せっせと草取りをして毎日手入れをしている。今年も祥月命日に合わせて、きれいに咲いてくれた。
 形見の池は健在ですよ!
  (2017.06.21 毎日新聞「はがき随筆」)掲載)

母の大島紬

2017-06-21 06:49:59 | 岩国エッセイサロンより
2017年6月20日 (火)
  岩国市  会 員   安西 詩代

私の小さい頃から明治生まれの母がよく着ていた、大島紬の着物をもらっていた。これから先、この和服を着る予定もなかったので、洋服のベストに作り替えてもらった。縫ってくれた方が「ところどころ、薄くなっていましたよ」と言っていた。
先日、57年前の写真がでてきた。その大島紬の着物を着ている母と父が、宮島の鳥居をバックに撮影した白黒の記念写真。この6年後に父は亡くなっている。
今の周南市から宮島まで、1日かけての小旅行だったのだろう。父と母は、どんな話をしながら宮島を歩いていたのだろう。私の知らない父と母を大島紬は知っている。 
この着物は母のお気に入りでとても丁寧に手入れがなされ、いつ見ても新品のようだった。最初はよそ行きにしていたのだろうが、そのうちにかっぽう着の下に着る普段着にしていた。
 50年以上も母と共にした大島紬は、喜びと悲しみを織り糸の中に包み込み、今度は私の喜びと悲しみを、その上に重ね込んでくれる洋服に生まれ変わった。大島紬の寿命に驚くとともに、よみがえったベストを見て、母が喜んでくれている気がする。
(2017.06.20 朝日新聞「ひととき」掲載)

雪の下

2017-06-16 21:51:23 | はがき随筆


 我が家の裏庭に回ると「雪の下」が盛りだ。白い花は横向き、上の3枚の花びらは短く赤い斑点がある。下の2枚は左右長さが異なり、鴨の足の形に見えるので「鴨足草」とも書くと歳時記にあった。葉は円く表面は緑色、裏は暗赤色で毛が密集している。かれんな花に見入っているうち亡き父を思い出した。
 父は晩年、庭の一画に箱庭を設け、軽石で家や橋を造り、盆栽の草木を植えて故郷の風景を再現していた。今の時期に帰省すると箱庭の周りには雪の下が咲いて楽しそうに語る父がいた。父もこの花形の珍しさと優しい色合いが好みだったのだろう。
  出水市 年神貞子 2017/6/11 毎日新聞鹿児島版掲載

かくれんぼ

2017-06-16 21:40:53 | はがき随筆
 青蛙を見つめていた。バックネット裏の紫陽花の上。ちょこんと座っている大きな目。
 日曜日、野球部の練習が終わると、監督は帰っていった。それからが、僕らのかくれんぼタイム。いろんな物陰に散っていくユニホーム。今でも夢の中にでてくる光景である。オニの私は、不思議と寂しさはなく、ワクワクして探しまわる。見つけられたときのみんなの表情。びっくりした顔とはじける笑い声。今度は私が隠れる番。息を潜めてしゃがんでいた。ぴょんと青蛙がと飛び跳ねた。そこで目が覚めた。「お父さん、寝ながら笑っていたよ」と娘が言った。
  出水市 山下秀雄 2017/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載

真央の涙

2017-06-16 21:33:59 | はがき随筆
 「体も心も出し切ったので」。スケートの女王、浅田真央の引退記者会見での言葉である。その決断までには想像を絶する苦悩があったことであろう。しかし彼女はそのことをおくびにも出さず、終始笑顔をたやさず丁寧に堂々と応答していた。まさにメダルを超えた王者の風格であった。私は感じ入ってみつめていた。
 最後に立ち上がってあいさつしようとするとき、一瞬記者団に背を向け目頭を押さえた。しかしすぐまた向き直り、もとの笑顔であいさつを終えた。なんとつつましい仕草であることか。私も思わず目が潤んだ。
  鹿児島市 野崎正昭 2017/6/9 毎日新聞鹿児島版掲載

心の中の父

2017-06-11 20:17:10 | 岩国エッセイサロンより
2017年6月 9日 (金)
岩国市  会 員   樽本 久美

もうすぐ父の日がくる。4月に父が亡くなったので、デパートで今年は、何を贈ろうかと考えることができない。寂しい。でも、父は私の心の中にいる。生きている時とは違った感覚。
 最近、仏様の本を読んでいる。今まで何にも知らなかった作法や死後の世界。「毎日生きているのが当たり前」のような生活をしていた私。父の死で今日の大切さを痛感している。「今日できることは、今日やろう」。明日の命は、わからない。
 まだ、母が生きている。父の分まで母を大切にしたいと思うが、わがままな母。最近携帯電話を使うことになった84歳の母。何度も教えるが、なかなか使うことができない。年を取るとは、こういうことなのか?
 昔は、なんでもできた自慢の母であったが、今は……。私も通る道。我慢してもう少し、母に付き合うことにしよう。
 父はいないが、私の心の中にはいる。困ったことがあれば、南無阿弥陀仏と父の法名を唱えよう。周防大島が父の故郷。大島でも八十八ヵ所巡りができる。御朱印帳を持って巡りたい。観光も兼ねて大島の海と青い空を。
 事あるごとに父を思い出すが、前を向いて笑って生きていこう。そんな思いを込めた私の書作品を父のひつぎに入れた。
 小さいころ、あまりに落ち着きがない私に、書を習わせてくれた父。父の友人から書を習った。その先生も、今は、あの世で父と会っているであろう。私のことを見守ってくれているであろう。父の娘で本当によかった。ありがとう。合掌。
  (2017.06.09 毎日新聞「女の気持ち」掲載)

特攻花

2017-06-08 17:26:25 | はがき随筆


 田舎の農道を歩いていると黄色の菊みたいな花を見た。気にはなったが、その花のことは忘れていた。その後、バラ公園へ妻と2人で行き、山野の道を歩いていると、妻が、この花は特攻花といわれると聞いた。いわれは知覧から飛び立った特攻隊員に贈られた花と教えてくれた。好奇心から山野草図鑑で調べるも、キンケイキクに似ているが……。さらにパソコンで特攻花と入力するとテンニンギクと出る。
 この花の真相はやはり天国に行った隊員からのメッセージと思うが、皆さんはいかに思われますか。
  鹿児島市 下内幸一 2017/6/4 毎日新聞鹿児島版掲載

新聞効果

2017-06-08 17:20:43 | はがき随筆
 
 遠くに居て、なかなか会えない娘や中高生の孫に、この便利な携帯電話の時代に逆らって、たとえ一方通行だとしても、何か気持ちを伝える手段はないかと筆を取る。それぞれに合った励ましや、わが家の近況報告も兼ねている。関心事の健康や教育に関する記事は見逃さぬように切抜き、同封することもある。子育て中の親には多くのヒントを与え、アドバイスもあり、とても参考になる。シニアが内容を理解するには高度な脳機能を使うため、刺激は大で、認知症予防にもなるらしい。良いことずくめの新聞効果、これからも続けようと思うのだった。
  鹿屋市 中鶴裕子 2017/6/5 毎日新聞鹿児島版掲載

テレビで面会

2017-06-08 17:14:47 | はがき随筆
 テレビに吹上浜の砂の祭典が映った。さまざまな砂像の景観がすごい。来年もまた発想豊かに人々を驚かせることだろう。
 ふと画面に姪に似た横顔を見た。あれと思っているとインタビューを受けて正面を向いた。おー香代ちゃんか、久しぶり、元気だね……。1人で画面に向かって話しかけていた。字幕で名前が出て映像は消えた。
 香代子は鹿大時代に中村晋也先生のブロンズ像に魅せられ、以来先生を師と仰ぎ彫塑に打ち込んできた。小さな身体で仕事は大変らしい。いま熊本の崇城大学で学生を指導している。孫たちよ、叔母を見習へと――。
  霧島市 楠元勇一 2017/6/6 毎日新聞鹿児島版掲載

あぁ私

2017-06-08 17:04:43 | はがき随筆
 あれしてこれして次はバスで出かける。庭の手入れの後のバス。お出かけは、まず服の着替えからまたたく間の準備。
 そこいらのものを着ていざボタンをかけると、こともあろうか胸の中央のボタンがちぎれてない。黒い小さいシャツボタンだ。洗濯のとき? と探すが、せわしく捜すので見つからない。シャツボタンの白を収納した引き出しから素早くえりだし、白糸で取りつける。なんと真っ白である。マーカーペンの黒でボタン糸とも黒く塗ってその場をしのぐ。バスに間に合った。よくある私の早業バンザーイ。まだまだできる。
  鹿児島市 東郷久子 2017/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載

老人クラブ一考

2017-06-08 16:45:35 | はがき随筆
 県下の市町村に老人クラブ組織がある。会員になって8年。要請があったときに参加していた。昨年から地区会長になったところ、町、市、郡、県単位の行事活動の企画運営準備に出るこが多くなった。文化芸能、スポーツなど幅が広くなったためで、その苦労は理解できる。そして役員になり手がいない、加入者が少ないと言われる。役員の苦労あってこそ、参加者の元気はつらつとした顔が見れ、自分も元気をもらうのである。組織活動を充実するため、会員をよくまとめていくリーダー研修会こそ必要だと思う。モットーの健康寿命であるために。
  湧水町 本村守  2017/6/8 毎日新聞鹿児島版掲載

76歳の旅

2017-06-08 16:28:06 | はがき随筆
 海外旅行はもう最後かもと思い60歳違いの綾子とスペインへ。大繁栄をとげた国だけあって大聖堂、イスラム教寺院、王宮など石造建築物がすごい。
 特に心ひかれたのはピカソ生誕の地に近いミハスという白い村。石灰で白く塗られた家々の壁が光をはね返して白く輝いている。観光客でごった返す石畳の道を下って行くと村の教会があった。内部の立派さに驚く。旅の祈りをささげた。教会の裏手はもう地中海。向うに厚く横たわる雲の上に青い山脈の上部が見える。海峡の向こうはモロッコという。ああ、ついにアフリカ大陸を見た。
  霧島市 秋峯いくよ 2017/6/2 毎日新聞鹿児島版掲載