人生を振り返ると法律的には問題ないが自分自身が罪を犯していると思う自責の念がある。
私の心には裁判官と被告人が同居している。
心が被告人に占領されると自暴自棄になったり、自死に向かったりする。
体力を消耗するのが圧迫発散の方法の一つである。
四国遍路路をトコトコ歩く。日没には疲労困憊、何も思わず爆睡する。
札所をお参りする目的があるから歩くことが出来る。
連続して歩き続けるとそれが習慣となり、心が裁判官で占領されるのだろう。
今は区切り遍路継続中であるが、何時の日か通しで歩き、野垂死にするのもありかなと思ったりするが人は生かされる。
先達は生きているが雑念の心は死んでいるから生き仏である。