風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

厭離経済欣求平和

2016年01月07日 09時20分04秒 | 随想

徳川家康誕生の岡崎城下の我が家は戦国時代の戦場の小豆坂の近く。

桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗戦した時に、家康になる松平元康は今川陣営だった。前途を悲観して、大樹寺に逃げ込み切腹を決意した時に住職から諭され、思い止まる。

厭離穢土欣求浄土

信長の家来になった元康だった家康はこの言葉を旗印にする。旗本には賛同する武将が集まり、征夷大将軍の天下泰平の世が長く続く。

元康も家康も共に厭離穢土欣求浄土を知っているが、解釈が違った。

平安仏教は最澄と空海の両巨頭、その仏教感は正反対。

穢れた現世は欲望の巷、阿弥陀仏の極楽浄土を目指す努力しか救われないと思う伝教大師に対して、弘法大師は人間の知恵でこの世を極楽にして阿弥陀様をお迎えしようと考える。

元康は最澄色が強く、家康は空海を志向した。

徳川幕府が倒れ、文明開化の世になり、万物の霊長の驕りで祖国は物欲に支配される穢土に逆戻り、経済戦争を厭離して、平和を欣求する時が来た。


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