農耕民族の家の生業である田畑を守る制度が家父長制、家長の下に家族が隷属し、家長の命には反抗が許されない。個人の自由は皆無だったが、家長は永続的な一族郎党の生活保障の責務が有った。
敗戦後、西洋の個人の尊厳を重要視する憲法の発布に伴い、封建的な家父長制は消滅し、一族郎党の連帯責任なる概念も消滅した。
自由とは個人の行為を誰も咎める者はいない。しかしそれでは弱肉強食、やったもの勝ちの無頼漢が幅を利かす。その歯止めが法律だろう。
人が人を正確に評価し裁く事は至難、不可能だろう。
農耕民族の仏教は自身で自身を規制する事を奨励する。自分の蒔いた種、その実りは良かれ悪しかれ自身が始末するのだろう。他人の蒔いた種の収穫をしたら泥棒で、犯罪だ。
自己責任に徹して行動する事が真の自由、自灯明法燈明の教えと思うのである。