風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

南国土佐で吃驚仰天 248号

2008年03月30日 16時53分02秒 | 四国遍路
南国土佐・唐浜の浜吉屋で5時に目覚めた。遍路旅の難所である27番神峯寺(こうのみねじ)にお参りする日である。後の旅程を考えると10時前には土佐くろしお鉄道の唐浜駅に到着しなければならない。往復で3時間半が平均的な所要時間である。

誰も起きて来ない5時45分に一人朝食を頂き、リュックサックを宿の玄関に預け、6時に出発した。目的地は遥か彼方の山の8合目である。標高差420m・4000mの距離があり、「真っ縦」といわれる勾配45度の1300mの急坂が有名である。自動車道は蛇行した道でバス遍路客はハイヤーでピストン輸送される。坂を直行出来ない乗用車は人間より明らかに劣っている。

喘ぎながら、休みながら、一歩一歩、ゆっくり遍路道の急坂を登り、7時20分お寺に到着した。美しい寺で、階段の横の庭園が素晴らしい。そして山から見下ろす土佐湾の景観が壮大で、頬にあたる浜風が爽やかである。本尊は十一面観世音菩薩で、真言は「おん まか きゃろにきゃ そわか」である。

下山も遍路道を歩いた。会社の営業マンのズル休みの理由に使う、会社に寄らず直接顧客を訪問したことにして、会社に寄らず直接帰宅することを直行直帰と言うが、私は直登直降である。足に肉刺(まめ)が出来ることを予想していたが、その兆候が無い。飯田市の援農果樹園で食べた馬のおたぐりから遺伝子が混入して足にヒズメが出来ているのかもしれない。

8時15分には宿の玄関に到着した。バスの駐車場に昨日、金剛頂寺の納経所で待たされた一行が到着した。寺の宿坊に一泊したのだろう。バスガイドと添乗員の女性は寺までの徒歩による往復の速さに驚いている。

宿から15分の歩行で「とうのはま へんろ君駅」に到着し、9時3分発の高知行きのレールバスに間に合った。予定より1時間早い。後免の町の喫茶店でコーヒーを飲みながら11時21分発の南風3号を待つことにしよう。1時間程の乗車で「ごめん えきお君駅」に到着、途中下車し、そして吃驚仰天したのである。喫茶店が無い。コンビニが無い。パチンコ屋が無い。何も無いのである。この町は無の世界である。何も無くて後免なさい。10時29分の特急しまんと5号に飛び乗り高知駅を目指した。JR四国の誕生日きっぷがあるから特急のグリーンまでが3日間乗り放題なのである。貧乏な鉄道会社の奉仕は吃驚仰天なのである。

高知駅に到着して吃驚仰天した。新しくて何でもあるのである。今年の2月26日に開業した新駅舎なのである。木目の巨大なアーチ屋根がホームを覆っている。

11時34分のアンパンマン南風3号のグリーンで窪川駅に向かう。座席数は3席6列の18で乗客は4名である。横幅がありゆったりしている。12時45分には窪川に到着する。

途中下車して37番岩本寺(いわもとじ)を訪ねる。駅から500mである。吃驚仰天、本尊は阿弥陀如来・不動王明王・観世音菩薩・薬師如来・地蔵菩薩の五仏宝殿が本堂である。
真言は阿弥陀如来 オン アミリタテイゼイ カラ ウン
不動王明王 ノウマク サマンダバザラダン センダマカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ カン マン
観世音菩薩 オン アロリキャ ソワカ
薬師如来  オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
地蔵菩薩  オン カカカ ビサンマ エイ ソワカ

予土線の15時2分の清流しまんと1号に乗車した。土佐大正から江川崎の間はトロッコの指定席に乗れる。四万十川は太平洋に近い水源の窪川の海抜222mから内陸に向かい多くの川の水を集め蛇行しながら、十川駅付近でUターンして太平洋に向かう清流である。江川崎駅からの予土線は四万十川本流に別れを告げ、十川・広見川・三間川に沿って海抜10mの宇和島に下って行く。四万十名物の沈下橋は随所で発見できる。しかし橋梁架設技術の進歩で常時通行可能な抜水橋が増えているようである。

トロッコ乗車区間に半家(はげ)駅がある。私は不治の遺伝病のAGA患者で、世俗的表現は禿である。同じ音感で近親感がある駅名である。「半」の横棒を上に持っていくと「平」の字になる。吃驚仰天、半家は平家の隠し文字で、この地は貴族平家の落人だったのである。

時速25キロのレールバスで北宇和島駅には18時に到着し、今宵の素泊まり遍路宿「もやい」まで10分程歩いた。主人は小児麻痺で手足の不自由な若い青年である。吃驚仰天、障害が有っても強い心があれば何でも出来るのである。素晴らしい勉強をさせて頂き、極め細やかに懸命に接待して下さる事に感動した。近くのクワライフ宇和島の銭湯に行き、帰りに名物「ジャコテン」とビールを購入して新築間もない宿に戻り、一人晩酌をしながら明日の遍路道を主人に尋ねると、遍路に詳しい父親の登場である。十分な情報を手に入れ、明日の歯長峠越えの20kmの遍路を思いながら、20時には就寝した。3月26日の日記である。

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