一生懸命精進努力したつもりだけど、成る様にしか成らない世間、何か偉大な存在・サムシンググレートにすがりたいのは社会経済弱者の老人の心境で、神社仏閣に参拝し祈りに時間を割く機会が多々ある。
天孫降臨の際に天照大神がニニギノミコトに授けた三種の神器は鏡・勾玉・剣、剣は熱田神宮、勾玉は皇居そして伊勢神宮の御神体は鏡である。
寺院の仏様は合掌している。
社会的地位の有る人々は何故だろうと疑問を発するのは大人げないと思い黙して語らないが何故だろうと考える老人は童心に帰っているのだろう。
神社の鏡、寺院の仏像の合掌、何故だろう。
思いは千差万別、みんな違ってみんな良い。
二礼二拍手一礼、顔を上げると鏡に私がいる。仏に合掌すると仏様も合掌をする。ならば、私は神で仏なのだろうか。世間は「ほっとけ、構うな」と言う。