旅の興奮は老人を早起きにさせる。7時にはチェックアウトして、駅前のバス乗り場に行く。 少年時代を過した長野駅前。あの仏閣の駅舎は消滅して、鉄とコンクリートとガラスの冷たい建物になっている。周囲には高層ビルが林立している。そして煙を吐く黒の蒸気機関車は、長野新幹線のスマートでカラフルな車体に変身した。島崎藤村は古き悪しき日本を破戒したが、オリンピックは古き良き日本を破壊した。
川中島自動車は松本電鉄のアルピコハイランドエクスプレスになっている。長野市には長野電鉄が在るが、何故松本市の会社が経営するのか。資本の動きは不可思議で諸行無常と仏は述べる。人間臭い物欲の世界は、仏はほっとくし、神はかまわない。
小雨降る大門バス停に到着し、備え付けの傘を拝借し、人影の無い参道を歩き、国宝善光寺本堂に到着する。 お朝事の法事が、作法に則り進行している。
無宗派の善光寺は、天台宗の大勧進貫主と、本日の導師の浄土宗尼僧の鷹司誓玉大僧正が交代で勤める。大本願に戻る参道で、中腰の信徒の頭を数珠で撫でて功徳を授ける、お数珠頂戴に参列する幸運に恵まれた。南無阿弥陀仏。
甲斐善光寺を目指す本日の旅を開始すべく、長野駅に戻り、しなの鉄道8時44分の電車に乗り小諸駅に向かう。長野駅から篠ノ井駅まではJR信越本線だから青春18きっぷで改札口を通過する。
367kmの日本で一番長い信濃川の上流の千曲川は長野県内の名称であるが、その川岸を遡る。標高は長野駅361m、小諸駅は660mで移動距離は75kmである。
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」で始まる島崎藤村「千曲川旅情の歌」の歌碑が小諸懐古園にある。
小諸駅9時50分着、跨線橋をわたり向かいのホームに待つ、空に一番近い小海線9時58分の電車に乗る。世界初のハイブリッド鉄道車両キハE200型「こうみ」の最新鋭車両に遭遇する幸運に恵まれたのも、善光寺如来阿弥陀仏のお陰なのだろう。南無阿弥陀仏。
佐久盆地を千曲川源流を目指して、小諸から61kmの野辺山駅に向かって懸命に登る。標高1345mはJR最高駅で、清里駅の間に1375mのJR最高地点があり、分水嶺で笛吹川・富士川となり太平洋に流入する。野辺山界隈は高原野菜の産地である。
清里駅から雪が降っている。甲斐小泉駅には平山郁夫シルクロード美術館がある。昔々、岡谷や佐久地方から絹を運んだ道がある。
野辺山から26kmの標高881mの小淵沢駅には12時24分に到着、中央東線の12時29分の電車で標高270mの甲府駅を経由しJR東日本酒折駅13時22分に下車して、天候の回復した道を10分程度歩いて甲斐善光寺に辿り着いたのである。
小淵沢からの勾配は小諸からの1.6倍になる過酷な山登りである。
冷静に懐古すると、篠ノ井から小諸までの運賃930円が不払いになっている。前後は青春18きっぷで支払い済みだが、間が抜けてしまった。前後が金属のキザミ煙草を喫煙する煙管(きせる)が昔々に存在したが、昔愛煙家、今嫌煙家に変身したおいらがキセル乗車を復活してしまった。おいらは犯罪者である。浄土宗増上寺派の甲斐善光寺の阿弥陀様に懺悔し、罪滅ぼしの墨跡朱印に300円支払った。南無阿弥陀仏。
懐古話のナラは法隆寺、タラは北海道、レバは焼肉屋。大勲位総理が国鉄を分割民営化しなかったナラ、新幹線が無かっタラ、しなの鉄道が倒産してレバ、この犯罪も無かった。
門前町の唯一の食堂、「手打ちうどん・とだ」の吉田肉うどん450円は硬いうどんであるが、美味な昼食を頂いた。
JR東海身延線善光寺駅まで10分程歩き、14時43分の鰍沢口行きに乗って、15時17分に到着する。吃驚するのは何も無いことである。市街地は遠く離れた彼方である。何で此処が終点なのだろうか。鰍沢は落語の演目にあった。好奇心は老人を老けさせない。
駅の自販機缶コーヒーで16時19分の電車まで1時間の難行苦行。インドネシアの青年が石和の養鶏農家の仕事の休日に静岡の友人を訪ねると片言の日本語で話しかけてくる。給料が少ない事の悩みを愚痴る。そして取り出した携帯電話はソフトバンクの最新鋭のi-Phoneである。豊かな出稼ぎ労働者。
16時55分に身延駅に到着し、駅前のビジネスホテル「いち川」にチェックイン。
「ほうとう」は[吉田うどん」と、農水省の「農山漁村の郷土料理百選」の甲斐国の代表である。駅前の和食処で食べたのであるが、1400円である。うどん一杯にしては高価な印象であるが、名古屋の山本屋の味噌煮込みうどんは同価格で同じ郷土料理だから相場なのだろう。愛知県の他の一つは「ひつまぶし」である。「身延の旅」のコップ酒を購入してホテルで飲むことにする。489号に続く。