旅の緊張感が老人を身延駅前のホテルで早朝に目を覚まさせる。春旅の最終日は日蓮上人の身延山久遠寺を訪れる日である。混乱の世直しを幕府に3度進言するも受け入れられず、9年間隠棲した地である。
奈良の聖徳太子が庇護した仏教は、最澄天台宗・空海真言宗の平安時代で日本化を成し遂げた。天才空海は弘法大師個人崇拝に特化し国民に支持されるのである。当時の先進国・中国の科学技術による物的な豊かさの現世利益の追求は、戦後の西洋科学主義の物欲社会と似ているのであるが、根底に仏教思想があった。
最澄が開いた天台宗は、妙法蓮華経を根本経典とし、禅や戒、念仏、密教を容認する四宗兼学の仏教の総合大学である。伝教は教授、弘法は社長。
武士が台頭した戦乱の鎌倉時代に、法然・親鸞は念仏で、栄西・道元は禅で、比叡山・高野山は真言で、奈良仏教は250戒で、荒んだ民衆の心を救おうとした。
アンカーの日蓮上人は釈迦の教えの集大成である妙法蓮華経を重視する事をアピールするべく、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊のキャッチコピーを考え出した。
密教や念仏は、釈迦や妙法蓮華経を軽んじ、大日如来や阿弥陀如来を信じ、禅宗は、妙法蓮華経を不立文字で否定し、律は大乗仏教の利他を否定するから、と攻撃布教し、釈迦の教えの妙法蓮華経に帰依した。キリスト教が聖書を、イスラムがコーランに帰依するのと同じである。南無妙法蓮華経の題目を本尊とするアイディアは日蓮さんの特許である。
妙法蓮華経は釈迦の諸悪莫作・衆善奉行の四法印である、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦の人生の真理を述べている。
7時20分の始発バスで身延山に向かい、総門をくぐりと15分ほどで到着する。門前町を歩き、菩提梯は104m・287段の石の急階段で、踊り場が7つある。南無妙法蓮華経の七文字に合わせてある。怠け癖のついたおいらには過酷な道程で、休みながら、若者の2倍の時間を消費して上りきった時、突然、間もなく落慶法要をする五重塔や本堂などの荘厳な伽藍の佇まいが目に入る。
苦しんだ末には、きっと素晴らしい御褒美が待っている。人影は無く、修行僧が庭掃除の作務を中断し、大声で朝の挨拶をして下さる。信じる道で精進している行動は美しい。
帰宅の為の僅かな電車、それに接続するバスの待合せの時間は充分にある。境内を散策、お堂の内部を見学、南無妙法蓮華経の題目のご朱印を頂くが、「志で結構です」とのお言葉、500円玉を手渡す。通常は300円である。対面販売の時には買い手の虚栄心が出る。
奥の院に向かうロープウエーが有るが、始発が9時であるから電車に間に合わない。強度の高所恐怖症のおいらが、意気地なしと言われない理由が出来た。有り難い事である。南無妙法蓮華経。
男坂を下り、御廟所・御草庵跡を巡り、土産物屋で信玄桃と胡麻だれ餅を購入、女将さんに、大石寺の道案内を請うと、嫌悪感を露にするのである。
日蓮は死を前に六老僧に集団指導を託すが、日興が背いて富士宮の日蓮正宗に分派した。天台でも比叡山と三井寺の円仁と円珍のセクト闘争があった。
10時32分身延駅発の電車で、興醒めした大石寺の富士宮駅を通過、12時2分に富士駅に到着する。快晴の早春の富嶽が美しい。富士山は大沢崩れの甲斐で観るより駿河が良いようだ。
12時17分の島田行きに乗車、13時18分に到着。世界一の木造橋である大井川の蓬莱橋に行くことにする。100円支払う歩道橋。必死に生きるために設けた粗末な昔の橋。観光の為の安全な今の橋は感動が薄いのである。
14時24分の電車で15時13分に浜松で下車、虚無僧の寺を案内所で尋ねるが、分からない。15時46分に乗車、豊橋で乗り換え、16時44分に岡崎駅に辿り着いた。
帰る所があるのが旅、無いのは放浪、帰れないのが拉致である。満足感を心に、自宅まで40分ほど歩いて、大団円を迎える。
奈良の聖徳太子が庇護した仏教は、最澄天台宗・空海真言宗の平安時代で日本化を成し遂げた。天才空海は弘法大師個人崇拝に特化し国民に支持されるのである。当時の先進国・中国の科学技術による物的な豊かさの現世利益の追求は、戦後の西洋科学主義の物欲社会と似ているのであるが、根底に仏教思想があった。
最澄が開いた天台宗は、妙法蓮華経を根本経典とし、禅や戒、念仏、密教を容認する四宗兼学の仏教の総合大学である。伝教は教授、弘法は社長。
武士が台頭した戦乱の鎌倉時代に、法然・親鸞は念仏で、栄西・道元は禅で、比叡山・高野山は真言で、奈良仏教は250戒で、荒んだ民衆の心を救おうとした。
アンカーの日蓮上人は釈迦の教えの集大成である妙法蓮華経を重視する事をアピールするべく、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊のキャッチコピーを考え出した。
密教や念仏は、釈迦や妙法蓮華経を軽んじ、大日如来や阿弥陀如来を信じ、禅宗は、妙法蓮華経を不立文字で否定し、律は大乗仏教の利他を否定するから、と攻撃布教し、釈迦の教えの妙法蓮華経に帰依した。キリスト教が聖書を、イスラムがコーランに帰依するのと同じである。南無妙法蓮華経の題目を本尊とするアイディアは日蓮さんの特許である。
妙法蓮華経は釈迦の諸悪莫作・衆善奉行の四法印である、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦の人生の真理を述べている。
7時20分の始発バスで身延山に向かい、総門をくぐりと15分ほどで到着する。門前町を歩き、菩提梯は104m・287段の石の急階段で、踊り場が7つある。南無妙法蓮華経の七文字に合わせてある。怠け癖のついたおいらには過酷な道程で、休みながら、若者の2倍の時間を消費して上りきった時、突然、間もなく落慶法要をする五重塔や本堂などの荘厳な伽藍の佇まいが目に入る。
苦しんだ末には、きっと素晴らしい御褒美が待っている。人影は無く、修行僧が庭掃除の作務を中断し、大声で朝の挨拶をして下さる。信じる道で精進している行動は美しい。
帰宅の為の僅かな電車、それに接続するバスの待合せの時間は充分にある。境内を散策、お堂の内部を見学、南無妙法蓮華経の題目のご朱印を頂くが、「志で結構です」とのお言葉、500円玉を手渡す。通常は300円である。対面販売の時には買い手の虚栄心が出る。
奥の院に向かうロープウエーが有るが、始発が9時であるから電車に間に合わない。強度の高所恐怖症のおいらが、意気地なしと言われない理由が出来た。有り難い事である。南無妙法蓮華経。
男坂を下り、御廟所・御草庵跡を巡り、土産物屋で信玄桃と胡麻だれ餅を購入、女将さんに、大石寺の道案内を請うと、嫌悪感を露にするのである。
日蓮は死を前に六老僧に集団指導を託すが、日興が背いて富士宮の日蓮正宗に分派した。天台でも比叡山と三井寺の円仁と円珍のセクト闘争があった。
10時32分身延駅発の電車で、興醒めした大石寺の富士宮駅を通過、12時2分に富士駅に到着する。快晴の早春の富嶽が美しい。富士山は大沢崩れの甲斐で観るより駿河が良いようだ。
12時17分の島田行きに乗車、13時18分に到着。世界一の木造橋である大井川の蓬莱橋に行くことにする。100円支払う歩道橋。必死に生きるために設けた粗末な昔の橋。観光の為の安全な今の橋は感動が薄いのである。
14時24分の電車で15時13分に浜松で下車、虚無僧の寺を案内所で尋ねるが、分からない。15時46分に乗車、豊橋で乗り換え、16時44分に岡崎駅に辿り着いた。
帰る所があるのが旅、無いのは放浪、帰れないのが拉致である。満足感を心に、自宅まで40分ほど歩いて、大団円を迎える。